モチーフで読む浮世絵

長寿をもたらす花

今回のテーマは「菊」。 古くから歌に詠まれたり、意匠に用いられてきた菊は、長寿をもたらす花でもあったようです。 ここでは鈴木春信の「菊慈童」と歌川国芳の菊細工の浮世絵を見てみましょう。

図1 鈴木春信「見立菊慈童」明和2~3年(1765~66)頃 東京国立博物館蔵 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)

 平安時代、9月9日の重陽の節句には、盃に菊の花を浮かべた菊酒を飲んだり、菊の花に被せた真綿で肌を清めたりといった、菊にまつわる宮中行事が行われていたという。菊は邪気を払い、長寿をもたらす花と考えられていたからだ。

 菊と長寿が結びついた物語で有名なのが「(きく)慈童(じどう)」である。古代中国・周の時代、王に寵愛を受けた慈童という美少年が過失により流罪となる。慈童が山奥で菊の葉から滴る露を飲むと、少年の姿のまま不老不死になったという伝説で、謡曲にもなっている。
 浮世絵では、古典に登場する人物を現代の姿にアレンジする「見立」や「やつし」と呼ばれる手法が頻繁に行なわれた。
 鈴木春信の「見立菊慈童」(図1)には、小川のほとりで菊の花を手折ろうとする振袖姿の若い町娘が描かれている。絵の中に題名は記されていないので、何の知識も無ければ、単なる花好きな少女にしか見えないだろう。
 だが、当時この絵を鑑賞していた人たちは、川辺に咲く菊の花と可憐な少女の組み合わせから、菊慈童を連想することができた。格式ある菊慈童のイメージを今風の「ギャル」に置き換えることでギャップが生まれ、そこにユーモアを感じ取ったのである。

図2 歌川国芳「百種接分菊」弘化2年(1845) 国立国会図書館蔵 出典:国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1307605 (参照 2024-04-09)

 さて、江戸時代は多くの人々が熱心に菊を鑑賞したり栽培したりしており、菊の栽培に特化した園芸書も刊行されるほどであった。
 浮世絵の視点から注目したいのが文化年間(1804~18)と弘化年間(1844~48)に流行した「菊細工」である。菊細工とは、たくさんの菊の花を使って宝船や富士山、鶴や象、人物などをかたどった造り物のことで、その様子が浮世絵にもしばしば描かれている。菊慈童の菊細工もあったそうだ。
 ここで歌川国芳の「百種接分菊(ひやくしゆつぎわけぎく)」(図2)をご覧いただきたい。弘化2年(1845)、巣鴨周辺の植木屋たちが協力し、さまざまな菊細工を並べるイベントを行なったが、その際に出品された一つが百種接分菊である。さまざまな形をした色とりどりの花が咲いているが、いずれも菊の花。
 注目すべきは地面の方で、よく見ると一本の茎しか生えていない。実は、一つの茎に百種類の菊の花を接ぎ木して同時に咲かせているのである。
 この百種接分菊を実現させたのは今右衛門という植木屋。現代の技術をもってしても100種類の花を咲かせるのは困難で、江戸時代の栽培技術がいかに優れていたかを象徴している。菊を愛する人たちが多かったからこそ、その技術が磨かれたのであろう。
 百種接分菊は話題となり、国芳の浮世絵が捉えているように、老若男女、大勢の見物客たちが足を運んだ。そしてこの浮世絵を見た人は、噂となっている見事な菊の花をこの目に焼き付けたいと思ったことだろう。
 浮世絵は当時のイベントを記録するだけでなく、菊を見て元気になりたい人たちを呼び込む広報の役割も果たしていたのである。