普段は花に興味がなくても、春を告げる桜にだけは自然と心が躍る人は多いだろう。
毎年大勢の見物客でごった返す桜の名所の中には、江戸時代から変わらぬ人気を誇る場所がある。例えば、かつては寛永寺の敷地であった上野恩賜公園や、隅田堤と呼ばれた向島の隅田川沿いの堤防。いずれも浮世絵を通して過去のにぎわいを思い浮かべることができる。
飛鳥山も浮世絵にたくさん描かれてきた由緒ある桜の名所だ。飛鳥山は現在の東京都北区王子にある小高い丘。享保5年(1720)、8代将軍徳川吉宗が千本以上の桜を植えた後、庶民の行楽地として開放し、現代でも大勢の花見客でにぎわう。
鳥居清長の「飛鳥山花見」(図1)は飛鳥山でそれぞれに花見を楽しむ人たちを描いている。中央の黒い振袖の若い娘は、笠に手をかざして花の美しさに見入っているが、右側にいる肩がはだけた女性は、花よりもお酒を楽しんだようで、ほろ酔い加減で千鳥足だ。
左側にいるお洒落をした女の子は、揚帽子をかぶった女性に手を引かれているところを見ると、武家のお姫様であろう。外出が楽しくてウキウキしている気持ちが伝わってくる。
背景には飛鳥山ののどかな景色が広がっているが、茣蓙を敷いて宴会をしながら眺望を楽しむ一行や、飛鳥山の由来を記した石碑をじっくりと眺めたりする武士もいる。
時代が移り変わっても、花見を楽しむ人たちの笑顔は変わらない。
さて、数ある江戸の桜の名所でも、特殊と言うべき場所が吉原遊郭である。
歌川国貞「北廓月の夜桜」(図2)は、吉原遊郭の入り口となる大門を真正面から捉えている。二階建ての建物の軒先にずらりと飾られた提灯は夜の闇を煌々と照らし、往来は着飾った花魁や粋な男性客、廓で働く男たちでにぎわっている。
だがそれ以上に真先に目に飛び込んでくるのが、堂々とそびえ立つ満開の桜だろう。満月の光に照らされ、花がほのかに輝いているようだ。しかも、吉原の桜はこの一本だけではない。ここから仲の町と呼ばれるメインストリートが200mほど伸びているのだが、そこがずらりと桜並木になっているのである。
ただ、この説明だけでは吉原遊郭の桜がいかに特殊かは伝わらないだろう。
実は、吉原遊郭の桜は開花している時だけにしか植えられていない期間限定のものであった。すなわち、開花の時期になると植木屋が外から樹木を運び入れ、花が散ると今度は樹木ごとすべて撤去するのである。吉原遊郭の桜は客たちを集めるためのイベントの道具であり、遊廓という空間をより幻想的に演出するための装置だったのである。
桜はほんの一時だけ美しい花を咲かせてすぐに散ってしまうが、吉原遊郭の桜は樹木そのものもわずかな期間しか見ることができない。遊郭に囚われた花魁たちの美しさと同様、吉原の桜も儚い、かりそめの存在だったのである。