からだ全体に彫られた刺青に、威圧感を覚えて眉をひそめる人は多いかもしれないが、カッコいいお洒落なファッションと捉える人も増えていることだろう。
江戸時代に流行した中国の長編小説である『水滸伝』は、梁山泊に集った豪傑たちが腐敗した政府を倒すために反旗を翻す物語だが、九紋龍史進や花和尚魯智深といった、刺青をしているアウトローなキャラクターたちが大活躍する。
歌川国芳は「通俗水滸伝豪傑百八人之一個」という揃物で梁山泊の豪傑たちを描き、一躍人気絵師の仲間入りを果たしたが、全74図の中でも全身に彫られた刺青が最も印象的な作品が「浪裡白跳張順」(図1)である。
泳ぎの達人である張順。籠城する敵軍に潜入するため、刀を口にくわえ、水門を打ち壊したという場面だ。腕、胸、脇腹、太腿、脛と、美しい白い肌に藍と朱の刺青が施されている。模様は口から炎を吐く大蛇。左胸から左腕にかけて、とぐろを巻くように絡みつく。
この絵が描かれた頃、鳶や火消し、飛脚、あるいは侠客や博徒たちといった、都市に住む下層の男性たちの間で刺青、当時の言葉では彫物が流行していた。普段から肌を露出する機会が多く、勇ましさを誇示する必要がある彼らにとって、相手を威嚇することもできる刺青は打ってつけのファッションであった。
実は国芳が描いた『水滸伝』の張順、原作を読んでみると体に刺青をしていたとは記されていない。国芳が張順の刺青を勝手にデザインし、アウトローなキャラクターの勇ましさの演出に用いたのだ。
国芳の描いた水滸伝シリーズを通して刺青はさらに話題となり、歌舞伎の舞台にも刺青をしたキャラクターたちが頻繁に登場するようになる。しかしながら、幕府の目に刺青は風紀を乱す好ましくないファッションとして映っていた。天保13年(1842)には「彫物御停止令」という刺青の禁止令が出されている。
だが、刺青の人気は根強かった。幕府の禁止令の影響力が弱まってくると、刺青をした歌舞伎役者の絵がなし崩し的に描かれるようになっていく。
役者絵の第一人者である歌川国貞が描いた「当世好男子伝」(図2)はその頃の作品。歌舞伎役者が侠客のキャラクターを演じているが、そこに『水滸伝』の豪傑のイメージを重ねるというちょっと複雑な仕掛けとなっている。
例えば右端の男性は、三代目市川市蔵が演じる、野晒悟助という髑髏模様の衣装を着た侠客。本来は刺青をしていないはずだが、『水滸伝』の九紋龍史進のイメージが重ねられることで、史進と同様、龍の刺青を背中と腕に彫った姿となっている。
幕末という不安が漂う動乱の時代、『水滸伝』の豪傑たちの物語や、侠客がヒーローとなる歌舞伎や講談が好まれた。刺青をした反骨のアウトローたちは、国貞の浮世絵の題名が物語っているように「好男子」だったのである。