「中秋の名月」と呼ばれる旧暦8月15日(現代の9月中下旬頃)の月を観賞する習慣がすでに平安時代に行なわれていたように、日本では古くから月が愛されてきた。
浮世絵にも夜空に輝く月の景色はしばしば描かれるが、最も多く手掛けたのは、風景画の第一人者である歌川広重だろう。広重の月の名作を数え上げれば切りがなく、一つに絞ることは頭を悩ませるが、ここでは「木曽海道六拾九次之内 長久保」(図1)を紹介しよう。
場所は、中山道の長久保宿(現在の長野県小県郡長和町長久保)から西へ向かったところ、落合橋が架かる依田川の川辺である。すっかり日が暮れた時刻のようで、画面手前にいる子どもたちは家路についているのだろう。白い犬が大人しく子どもを背中に乗せている姿がなんとも微笑ましい。
この作品の月は、背の高い松の枝で半分以上隠れてしまっているため、あまり存在感がないかもしれないが、実は大きな役割を果たしている。
画面の色に注目して欲しい。手前の子どもたちや馬を連れた馬子は、その姿がくっきりと鮮明に描かれているが、遠方の橋を渡る人々や遠くの山はグレーを基調としたシルエットとなっている。すなわち、手前は月の光で明るく照らされているのに対し、遠くは徐々に闇に包まれようとしているのである。
夜景を得意としていた広重だからこそ、月の光を繊細に捉え、その違いを色で表現しようとしている。馬を連れた馬子が見上げた視線の先に月があるのも、心憎い演出であろう。
図2 月岡芳年「月百姿 はかなしや波の下にも入ぬへし つきの都の人や見るとて 有子」明治19年(1886)、東京都立中央図書館蔵
さて、浮世絵に描かれる月は風景だけではない。『竹取物語』を例に出すまでもなく、日本では古くから月にまつわる物語があり、和歌や俳諧でも月はしばしば詠まれている。
明治時代に活躍した月岡芳年は、「月百姿」という、月にまつわる和漢の物語を題材にした全部で100点からなるシリーズを手掛けている。そのうちの一図、有子という女性を描いた作品(図2)を見てみよう。
平安時代後期、厳島神社の巫女であった有子は、公家である徳大寺実定に想いを寄せるが、身分の差により、その願いが叶わないことを知る。小舟に乗って琵琶を弾くが、悲しみで涙が止まらず、演奏を続けられない。この後、作品の題名となっている和歌を詠み、愛する人のことを想いながら海中に身を投げることになる。
この作品では、月そのものは描かれず、水面に反射された光で月を表現している。月の光には、有子の愛する人が住むきらびやかな世界が重ねられていると同時に、摑もうと思っても摑むことのできない、有子の儚い願いも象徴している。水面に照り返る月の光が美しいからこそ、有子の悲しみがより一層強く感じられるのである。
月の光は美しいだけでない。切なさや悲しみも引き起こす不思議な光でもある。