モチーフで読む浮世絵

富士山
信仰の対象、芸術の源泉

富士山ほど、詠まれたり、描かれた山はないでしょう。 今回は数ある富士山の浮世絵の中から、江戸の人びとを驚かせたとっておきの2作品を!
図1 葛飾北斎「冨嶽三十六景 凱風快晴」天保元~2年(1830~31)頃、島根県立美術館蔵(新庄コレクション)

  標高3,776mという日本一の高さを誇る富士山。登山客たちは毎年夏になると20万人以上訪れ、写真家たちは美しい霊峰の姿を撮影しようとカメラを構える。江戸時代においても、富士山への愛着は深く、時には信仰の対象として崇められ、時には浮世絵を含むさまざまな絵画に描かれた。

 富士山の浮世絵と言えば、葛飾北斎の「冨嶽三十六景 凱風快晴」(図1)であろう。「赤富士」という通称で親しまれているように、赤茶色の地肌をした夏の富士山が、堂々とそびえ立っている。題名の「凱風」とは、初夏に南から吹く穏やかな風のこと。夏場は靄がかかって富士山が見えなくなりがちだが、この絵では凱風が靄を吹き飛ばしてくれたようだ。

 有名な作品のため、現代の私たちはこの富士山に違和感を覚えないだろう。だが、江戸の町で暮らす人々にとって、赤茶けた富士山は馴染みのあるものではなかった。遠方から見える富士山は、白い雪をかぶるか、淡く霞んだ色をしていたからだ。北斎は、赤茶色の夏の富士山を描くことで、江戸っ子たちのイメージの裏をかき、あっと驚かせようとしたのである。

 さて、江戸の町を描いた浮世絵の中に富士山は頻繁に登場する。特に、五街道の起点であった日本橋や、呉服屋の三井越後屋がある駿河町を舞台にした絵には、必ずと言っていいほど描かれている。まるで江戸の町を見守るかのようなその姿は、当時の人々にとって、富士山が日常のすぐそばにある身近な存在だったことを物語っている。

 だが、今回はあえて、ちょっと珍しい富士山の浮世絵を紹介しよう。歌川貞秀の「大日本富士山絶頂之図」(図2)である。ごつごつとした岩山や切り立った絶壁が連なっているが、富士山山頂の火口部を描いている。はるか上空から風景を俯瞰する鳥瞰図を得意とした貞秀らしい独特の構図である。

図2 歌川貞秀「大日本富士山絶頂之図」安政4年(1857)、東京大学総合図書館蔵

 江戸時代後期、富士山を信仰する「富士講」という民間信仰が流行した。関東の各所に富士山を模した富士塚という小高い丘が築かれ、さらには、富士詣をするため、多くの人たちが白装束を着て、仲間と共に富士山の山頂を目指した。


 この浮世絵は、富士講の人々のお鉢めぐり、すなわち、富士山山頂をぐるりと一周する様子を捉えている。大勢の人たちが列をなして崖を登ったり、いくつもある鳥居や石室で拝んだりする姿が事細かに描かれていることが分かるだろう。これから富士山に登りたいという人たちは、この浮世絵を眺めながら、頂上の神秘的な景観に思いを馳せたに違いない。

 平成25年(2013)、富士山がユネスコの世界文化遺産に登録されたが、なぜ自然遺産ではなく、「文化」遺産だったのかと言えば、富士山が信仰の対象であり、芸術の源泉だったからだ。まさしく浮世絵は、日本人と富士山の関わりを象徴する絵画なのである。