江戸時代の気温は、現代よりも総じて低かったという。一面の雪に覆われた江戸の町を描いた浮世絵をしばしば見かけるが、やはり今の東京よりも雪が積もることが多かったのだろう。雪を題材とした浮世絵はいくつもあるが、今回は、風景をメインとしたものではなく、雪の日の暮らしの一コマを描いた作品に注目してみよう。
鈴木春信の「高下駄の雪取り」(図1)では、2人の女性たちが雪の降る川辺を散策している。しばらく雪の中を歩いていたためか、左側の女性が履いていた下駄の底に雪が詰まってしまったようだ。これでは歩きづらいと、お付きの侍女が扇子を使って雪を掻き出してあげている。
雪道を歩く際、右側の女性のように、歯の高い足駄を履いた方が安全である。しかし、左の女性が履いているのは黒塗りの駒下駄。内刳りになっているため、雪が詰まりやすいのだが、歩きやすさよりも足元のお洒落を重視して、あえて流行の駒下駄を選んだと思われる。
紅色の華やかな振袖に、道行と呼ばれるコートを着ているところをみると、かなりファッションにはこだわりがあるようだ。裕福な商家の娘なのかもしれない。
雪を取っている侍女の背中に当たり前のように手を乗せている仕草から察するに、こんな風に世話を焼いてもらうことはきっと日常茶飯事なのだろう。
さて、雪がたくさん降り積もった時に子どもたちが作るのが、雪だるまである。
現代の私たちが雪だるまと聞くと、大きな雪玉を二段に重ね、帽子の代わりにバケツを載せたり、腕の代わりに木の枝や手袋をさしたりしている姿を思い浮かべることだろう。だが、江戸時代の浮世絵を眺めていると、今とはちょっと違った形をしていることに気が付く。
歌川広景「江戸名所道戯尽 廿二 御蔵前の雪」(図2)の雪だるまは、文字通り、だるまの形となっている。
だるまとは、禅宗の開祖である達磨のこと。達磨が座禅をしている姿が起き上がり小法師となり、18世紀半ば頃、子どもたちの玩具として広まった。子どもたちは身近にあるだるまを真似て、雪だるまを作るようになったのだろう。
雪で作った大きな像としては、兎や犬、猫などを浮世絵で見かけることがあるが、やはり最もポピュラーなのは雪だるまであった。
この雪だるまの手前で、男が下駄の鼻緒を結び直している。雪に足を取られて、鼻緒が切れてしまったようだ。晩飯として携えていた鱈と葱を雪だるまの上に置いたのだが、腹が空いた野良犬は、そのわずかな隙を見逃さそうとしない。はたして男は盗まれる前に気が付けるのか。はたまたこの雪の中を走って追いかけることになるのか。
何気ない雪の日でもちょっとしたドラマが潜んでいる。