年末年始はたくさん本を読もうとおもっていたのに、気持ちがずーんと沈む出来事があって、なかなか文字を追うことができなくなってしまった。どんな物語を読んでも、自分の憂鬱に接続されてそっちの物語の方が頭の中で駆動してしまいページをめくる手がとまってしまう。これはマズイなーとおもって、珍しく短歌を買ってみた。余白のある言葉を身体が欲していた。
山田航『さよならバグ・チルドレン』(ふらんす堂)に収められたいくつもの歌を読んでも、僕の意識が言葉から剥がれて浮遊することはなかった。むしろ、五七五七七というリズムの隙間に入り込んで結びついて溶け合っていくみたいだった。ここで歌われる夏や恋、そして青春の景色をたしかに僕は知っている。でも、読むまでその景色を知ってるなんて知らなかった。覚えていないものを思い出す、そんな感覚。
「ともに見る月の白さに笑ったあとも君は遥かな夏を見る人」
この歌を読んだ瞬間、僕の頭に浮かんだ映像は「クレヨンしんちゃん」だった。いつかのクレヨンしんちゃんのエンディング、仕事帰りのひろしをみさえたちが迎えに行く場面。月が浮かぶ中を野原一家が手をつないで帰っていく姿が、この歌に重なった。みさえとひろしが同じ月をみつめて、ふと、ひろしはみさえの表情を確認するが、彼女はそのことに気づかないままずっと月を眺めてる。たしかそんなシーンがあったはずだと映像を見返したけど、実際はそんなシーンなんてなく、月をバックに野原一家が歩くだけだった。じゃあ僕の覚えている、ひろしとみさえのこのまなざしのシーンはいったいなんなんだろう。山田航さんの歌集を読んでいたらそんな瞬間がなんども訪れた。
歌集を読み漁るうちにだんだんと頭が言葉を受け入れる状態になってきたので、次にメレ山メレ子『メメントモリ・ジャーニー』(亜紀書房)を読んでみた。西村ツチカさんのカラフルな装画に惹かれて手に取った。タイトル通り「死」と「旅」にまつわるエッセイ集。昔は旅行も紀行文を読むのもあまり好きじゃなかった。僕にとって景色は通り過ぎるものでみるものじゃなかった。でもここ数年、演劇のツアーでいろんな土地に行くことが増えたからか少し感覚が変化していて、わざわざ景色をみつめるために歩いたり、旅にまつわる本も読むようになった。
本書の中に登場する「なにわホネホネ団」という存在を僕はそれまで全くしらなかった。大阪私立自然博物館を拠点とした動物の骨格標本や剥製をつくるサークルで、一般人も入団可能らしい。メレ山さんは剥製作りの過程を、死に対する好奇心を隠さずに綴っていくが、そこに不謹慎さは全くない。死への関心がとても純粋なのだとおもう。終わった時間を残すことへの興味。
メレ山さんの書く文章にはまさにふらっと旅にでるかのような身軽さがある。腰を据えてじっくり読書するというのがなかなか難しい精神状態だったけれど、この本は移動中のちょっとした時間に読み進めることができた。旅にまつわる本だし、旅にぴったりの本だ。
憂鬱が訪れて本が読めなくなると、僕はいつもこんな風に少しずつ言葉を頭に注いでいくようにしている。そして、気がつくとまた物語の世界にどっぷり浸かれるようになっている。