誰にも精神的にまいってしまう時というものがあるものである。何もできないのに、苦しくて、一人でいたくないけど、誰にも相談できず、明日が来るのをただ恐れながら、居心地の悪い一夜を過ごさねばならないつらい時間というものがある。そんな時はテレビも、映画も、いいけれど、自分のペースで読める本が助かる。でも、そういう時に、そういう気分にフィットする本というものはなかなか見つからないものだ。だが、そんな時にも、暗闇の中で一緒に苦しんでくれる本というものがある。今回、紹介したいのは、そんな本たちのことだ。
ヘルマン・ヘッセ『デミアン』(岩波文庫)
主人公はとにかく自分の途というものが見つからず、迷ったり苦しんだりして、時々途方に暮れている。ところが、ある日、転校先でデミアンという少年と出会う。デミアンはそれから一生の友となるが、しかし、親友というわけでは全然ない。デミアンは主人公の人生の節々にだけ現れて、主人公を正しい方向に導いてくれる。そんな不思議な少年だ。芸術家となろうとしてもがき苦しんでいる主人公に向かってデミアンは言う。鳥は卵の殻と戦って、突き破って外に出なければならない。卵の殻は世界で、君は鳥だ。生まれ出でようとするものは、一つの世界を滅ぼして、新しい世界を迎えなければならない。鳥は神に向かって飛ぶ。これは自分のうろ覚えの台詞なので正確には本書を読んで頂きたい。高校生の頃に読んで、苦しい時期はこの本ばかりを読んでいた。傷つきやすいあの時期をやり過ごせたのは、この本のおかげだ。僕は懐にこの本を抱えて、思春期を駆け抜けた。読まなくなった歳月の中でもずっとこの本に感謝している。本当に。
川原礫『ソードアート・オンライン〈7〉マザーズ・ロザリオ』(KADOKAWA)
ソードアート・オンラインは人気シリーズだが、第七巻はこの本の中で完結しているので、いきなり読んでも大丈夫である。バーチャルリアリティによって参加するオンラインゲームが舞台だが、この第七巻は人間のドラマとして素晴らしい出来になっている。僕は時々、この七巻だけを買ってプレゼントしているぐらいだ。キリトとアスナというのはシリーズの主人公とヒロインだが、ある時、ユウキという少女にゲームの中で出会う(ここからはネタバレになりますが、ここまでで面白そうと思えたら、そのまま単行本を読んでください)。ユウキは最強の剣士と言われたキリトよりも強い。アスナはすっかり仲良しになってしまう。キリトは気になって調べていくと、ユウキはある病院からアクセスしていることにたどり着く。現実では身体が無力になってしまったユウキが自分の人生の意義をかけて最後の生をゲームの中でまっとうしようとしている姿をそこで見る。キリトは、その事実をアスナに伝える。この大団円はただひたすらに美しい。
上遠野浩平『ビートのディシプリン』(KADOKAWA)
00年代を代表するライトノベルと言えば、上遠野浩平の「ブギーポップ」シリーズであり、それはジャンルを越えた文学的傑作である。ブギーポップが書かれ始めた時期は、バブル崩壊後の日本である。その時代の寂寥感と思春期の虚無感を重ねて書かれたのがブギーポップ・シリーズだ。ブギーポップは「不気味な泡」という意味で、世界に危機が起こった時に自動的に少女に憑依して現れる。ライトノベルとして明るくないオフビートな作品である。ぜひ普段ライトノベルを読まない方にもお薦めしたい。『ビートのディシプリン』はその派生シリーズである。僕は二十代に本当に精神的に苦しい時期があって、この作品ばかりを繰り返し読み続けていた。ビートはよくわからない理由から組織に命を狙われることになり、逃げ続ける。助かったと思うたびに崖の上から蹴り落とされる(物理的に)。それはビートの試練(ディシプリン)で、僕は出口の見えない二十代後半の苦しみをこの物語を抱えて過ごしていた。その文章には不思議な清涼感があった。世間に振り落とされそうになりながら、世間の崖っぷちで、なんとか世間にしがみつくビートの状況は、当時の僕の状況そのものだったからだろう。試練を受けて心が折れそうになっている者にお薦めする一冊です。
僕はどちらかと言えば、きちっと出来た文学的傑作が好きだ。1000ページや2000ページあるような文学全集に収められた作品が好きである。しかし、そういった作品は読むのにとても体力がいるし、一晩では無理だ。とりあえず、今日という日をなんとか乗りきるために、一晩で読めて、明日をかろうじて生きるだけの力をくれる、そんな作品を心から必要とし、何度となく助けられた。この本たちに心から感謝している。