丸屋九兵衛

第13回:身につまされたのでLGBTQ奇譚集を。『ボヘミアン・ラプソディ』からホモサグまで

オタク的カテゴリーから学術的分野までカバーする才人にして怪人・丸屋九兵衛が、日々流れる世界中のニュースから注目トピックを取り上げ、独自の切り口で解説。人種問題から宗教、音楽、歴史学までジャンルの境界をなぎ倒し、多様化する世界を読むための補助線を引くのだ。

 「やっぱり男の子のほうが好きなんですね?」
 「九兵衛さんはどっちなんやろなあと思ってましてん」
  「そうか、ゼイン・マリクみたいなタイプが好みですか……」

 わははは。ゼインに限らず南アジアから西アジアにかけての血を引くハンサムは確かに好きだが、クリス・ウーやクォン・ジヨンといった東アジア勢も捨てがたいぞ! そしてジェイソン・モモアも。それを言い出すと、『ゲーム・オブ・スローンズ』のランセル・ラニスターとヴィセーリス・ターガリエンもいいな!

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 さて、我らが『ストレイト・アウタ・コンプトン』から始まったミュージシャン伝記映画ブームの頂点は『ボヘミアン・ラプソディ』でした……という結論になりそうな昨今。あの映画には――音楽史的には――言いたいことも多々あるのだが、配役面でのホワイトウォッシュも、描写面でのストレートウォッシュもなかったことは、素直に喜んでいいだろう。

 そして、あの映画を見ていると、身につまされる瞬間がいくつかあった。しかも2月はUK版のLGBT History Monthではないか! だから今回は、LGBTQについて書こうと思う。
 ただ、冒頭部分から推測できる通り、わたしはLGBTQのB(bisexual)でありQ(ここではquestioningのほう。最近では疑問を感じることが少なくなったが)でもあって、つまり当事者である。ゆえに、いつもより私的な響きを帯びた、個人的な内容となるのは許してくれたまえ……と、いつぞやも書いたな。しかも今回は、どうにもまとめきれず、エピソディック&サプリメンタリーな羅列になってしまうのだが。

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●エピソード1
 10年ほど前だったか、☆Taku Takahashi (m-flo)に質問されたことがある。
 「丸屋さんってゲイだっけ?」
 わたしは即座に否定した。「違うよ」と。
 うむ……全き真実を伝えなかったのは事実だが、嘘はついていない。先に書いた通り、わたしはバイセクシュアルだから。

 もっとも。今であれば、肯定した上で「正確にはバイセクシュアル」と付け加えるだろう。
 「ゲイの範疇にバイセクシュアルを含むか否か」。その定義面で考えが変わったのだ……と書きかけたが、いや、それはウソや。照れとためらいがあったんだな、当時は。

追記:俺は両方を選ぶとオベリンは言った 
 わたしの場合、人間への恋愛傾向と、書物への愛(ビブリオフィリア)は似ている。どちらのラヴライフでも、わたしは揺れ動いた末に「両立」へと至ったから。

 まず、わたしにとって文学とは「SF」と「ファンタジー」しかない、という事実を理解いただいたうえで。
 小学校2年ごろまではファンタジー寄りだったが、そこからの3、4年はSF側で過ごした。ある日、母が「ゴミ捨て場に落ちていた」と言って、ピアズ・アンソニイのユーモア系ファンタジー小説『カメレオンの呪文』を持って帰ってくるまでは。こうして思春期は相当なファンタジー主義者となり、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』にも燃える(like ヴィン・ディーゼル)が、大学時代にウェイン・ダグラス・バーロウによる異星人図鑑『Barlowe's Guide to Extraterrestrials』と出会ってSFに再開眼!
 以来、「SF」と「ファンタジー」を両輪として同時に愛する、豊かな読書人生を歩んでいる。

 同様に。恋愛感情に関しても揺れ動いてきたが、今ではバイセクシュアルなのだろうと悟るに至った。いや、悟ってはいないか。自分に対する疑問は残っているから。

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●エピソード2
 うちの大学の名物施設の一つ、大隈講堂。その地下には小スペースがある。キャパシティ300席のそれは、通称「こぐま講堂」だ。
 わたしが学生の頃、その小講堂で「Mr.レディ」コンテストなるものが開催された!

 ……と言うと、みんなの反応は揃いも揃って「出場したんだよね?」。
 だが、残念ながら違う。観客だ。

追記:メアリーとキャサリン
 日本は、いわゆる「オカマ」には優しい。そんな気がする。
 つまり、「女装していて、言動もフェミニンな男性同性愛者」には、ということだ。

 わたしは少女マンガ育ちなので、少年マンガには詳しくない。そんなわたしでも通ったのが『こちら葛飾区亀有公園前派出所』だ。同作を読んでいてわたしが驚いたのは、女装の男性巡査マリアこと麻里愛(あさと あい)に注がれる優しい視線。女性巡査、秋本・カトリーヌ・麗子に対する無邪気かつマイルドな軽侮とはえらい違いだ。

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●エピソード3
 大学時代。
 わたしの唇が妙にツヤツヤしているのを不審に思った先輩(男)が「九兵衛くん……まさかリップスティックつけてないよね?」と言った。
 わたしは即答した。
 「違います、さっき天ぷらを食べたせいで、口の周りが油っぽくて」

 真っ赤なウソである。
 実際にはピンクのリップスティックを塗っていたさ。当時はヒゲがなかったし。とても細かった(身長172cm、体重50kgほど)から、女性モノのパンツスーツを好んで着ていた二十歳前後の日々。サイズは11号だったか?

追記:そして2019
 今でもわたしは、ゴスロリ系ブランドの服を――サイズが許せば――着るし、女物の傘を愛用し、組紐製の髪留めを使い、スカート(メンズスカートという括りだが)を履き、撮影時は化粧する(ファンデーションと眉毛だけ)。
 とはいえ、そんな小技が効いていても、現在のわたしを女性的と見なす人は少なかろう。たぶん、うちの伯母くらいだ。
 それどころか、見る人が見れば「男性ホルモンがみなぎっている」らしい。

 そんなわたしが「男性に(も)懸想している」ということを語って、サラッと受け入れられるようになったのは、ごく最近のような気がする。 
 いや、それが「サラッと受け入れられている」かどうかは心許ない。でも、わたしの周りで「ホモかよ! 気色悪い」という反応は見られないのだ。ありがたいことに。

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●エピソード4
 映画『ボヘミアン・ラプソディ』の中で面白いシーンがあった。オールバック+ヒゲという後年お馴染みのマスキュリンな容貌となったフレディ・マーキュリーが「どう思う?」と訊くと、ロジャー・テイラーは「ゲイ」と答えるのだ。フレディが問うたのは、新居についての感想だったのに!

 そういえば、アメリカの非白人系ゲイ雑誌で“are you man enough to love another man?”という表現を見かけたような。

追記:Are you man enough?
 「マスキュリン」ということで、ヒップホップの話をしよう。
 それは、同性愛者嫌悪の傾向が否めない音楽/カルチャーだ。男たちは、とてもわかりやすいマッチズモとマスキュリニティの誇示が求められる。当然、異性愛者であることが前提だ。
 だが、ヒップホップ・カルチャーにアイデンティファイするアフリカン・アメリカンやラティーノの男性にも、LGBTQはもちろんいる。「意識高い系」ではなく、より「ストリート」なメンタリティを持っている男たちの中にも。サグ(悪党)やギャングスタと見なされる外見の奥に、まさにそのカルチャーで軽蔑される性的傾向を秘めて生きることは、相当にキツいことだと思う。

 そんな彼らはホモサグ(homo thug)もしくはゲイングスタ(gayngsta)と呼ばれる。

 詳しくはJames Earl Hardyの小説『B-Boy Blues』シリーズを。

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●エピソード5
 70年代ソウルを代表する最高のヴォーカル・トリオ。それがオージェイズだ。「裏切り者のテーマ」こと“Back Stabbers”だけでいいから聴いてくれ。
 リード・シンガー、エディ・リヴァートの息子たちは「リヴァート」というヴォーカル・グループを結成し、80年代後半からは彼らもチャートを賑わすようになった。もっとも息子たちは父より早く世を去ってしまうのだが。まあ、それは後の話だ。とにかく、エディ・リヴァートの長男ジェラルド・リヴァートが残した発言が興味深い。
 歌唱力とセックスアピールの両方が求められるソウルの世界にあって、父エディ・リヴァートの外見は評判が悪かった。そのため息子ジェラルド・リヴァートは子供の頃、父の容貌をネタに同級生から苛められたという。
 曰く、「おまえの父ちゃんブサイク!」。さらには「あんなにひどい顔だと女に相手にしてもらえないから、ホモに決まってる!」。

追記:溺れる者は
 この理屈、わたしには衝撃的かつ新鮮だった。
 「ヘテロセクシュアルという広き門から拒まれた男が、やむなくすがるワラとしての同性愛」。なるほどなあ。
 他方、我が国では「美しすぎる男たちが走る魔道」のように捉えられている節もある。

 もちろん、どちらも妄想なのだが!

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●エピソード6
 2013年、ザッカリー・クイントにインタビューしたことがある。2009年からの劇場版『スター・トレック』シリーズで若きミスター・スポックを演じてきたゲイの俳優だ。その取材から、同性愛とslash(アメリカンやおいフィクション)に関するやり取りを引用する。

――そんなわけで、いろいろな壁を壊し、差別と闘ってきたスター・トレックですが、このシリーズが敢えて取り上げようとしない領域が一つだけあるように思えます。それは同性愛です。どう思います?
ザッカリー「う~ん、なんと言ったらいいか。かつて、同性愛者の存在が社会で歯牙にもかけられない時代があった。でも今は、それが無視できないトピックになっている。J・J・エイブラムスもそこに気づいているはずだ。それに、僕たちが作っているスター・トレックは、いま世界で何が起こっているかをテーマにした映画。次の劇場版で、とはいかないかもしれないけど、近い将来、きっと取り上げられると僕は信じている」

――ところで、「スラッシュ」というものを聞いたことはありますか?
ザッカリー「ファンが書くフィクションだよね? どんなものかは知ってるけど、正直に言うとあまり興味ない。スラッシュについては以前も聞かれたことがあるけど、僕としては……それを読むのに費やす時間があるなら他のことをする。一方で、僕らが演じるキャラクターに惹かれて、それをもとにいろいろと創作してくれている事実には感謝する。そこについて善し悪しを判断できる立ち場ではないとも思っている。ただし、個人的にはあまり惹かれない」

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 最後に。『スター・トレック』の大先輩、ジョージ・タケイの金言を。

 「我々ゲイ・ピープルは、男性的で女性的で、優しくもあり暴力的でもある。外見も言動もストレートの人たちと同じ。違いは、自分と同じ性別の人に惹かれること、それだけだ」

 ありのままを、ありのままに。
 頼む。

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●告知
 そんなわたくしが「セクシャル・マイノリティとポップカルチャーとの関わり」を語り、ゲイ・アンセムをかけまくるイベント。
 【LGBTと音楽】は今月開催!
 2019/2/22(金)19:00~24:00、川崎クラブチッタ2FのBAR A'TTICで。 
 http://lacittadella.co.jp/c5/

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