丸屋九兵衛

第20回:三原じゅん子に捧ぐ帝国主義論。美しい国の八紘一宇FOREVER!

オタク的カテゴリーから学術的分野までカバーする才人にして怪人・丸屋九兵衛が、日々流れる世界中のニュースから注目トピックを取り上げ、独自の切り口で解説。人種問題から宗教、音楽、歴史学までジャンルの境界をなぎ倒し、多様化する世界を読むための補助線を引くのだ。

 1学年あたり1万人、なのに大学生が合計5万人。

 どうにも勘定が合わないことで有名な都の西北、ラーメン屋の2階にある大学キャンパス。わたしが若き日を過ごしたところだ。そこは、多種多様な立看板が並ぶ、ちょっとした町のようなところだった。
 劇団サークルの告知。
 学費値上げに反対する檄文。
 女装コンテスト、参加者募集の知らせ。
 著名知識人を招いて行われる講演会の宣伝、等々。

 あれは「知識人を招いての講演会」の一つだったのだと思う。とはいえ、その講演の主旨も、肝心のメイン出演者の名前すら忘却の彼方だが、とてもはっきりと覚えているのは彼の肩書きだ。
 そこには「封建主義者」とあった。

 封建という言葉に続くのはふつう、「制」「制度」「社会」だ。もちろん、イデオロギーではない社会経済システム――資本主義――という意味での「封建主義」なら聞き覚えはある。
 しかし、自ら「封建主義者」と名乗るとは! 大胆不敵だ!
 ……と、若き日のわたしは妙に感心したものだ。
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 というような昔話で本稿を始めたのにはワケがある。
 今や、わたし自身も――「封建」でこそないが――自ら「帝国主義者」と名乗る身だから。
 冗談でもなく皮肉でもなく。この日本国にあって最も本気で帝国主義を推進し、広めたいと思っているのがわたくし、丸屋九兵衛なのだ。

 そこで!
 今回は「帝国主義の同志」とも言える三原じゅん子に捧ぐ文章としたい。
 今井絵理子が当選1期で政務官にスピード就任しているというのに、あれだけ話題になっておきながら入閣を逃した三原じゅん子、嗚呼……。その微妙な立ち位置は、高須克弥の暴走によって名声に衰えの兆しが見える百田尚樹にも通じるだろうか。
 そんな失意の三原じゅん子だが、それでも! 日本を代表する「八紘一宇」系の論客である。そんな彼女へのトリビュートとして、わたしは八紘一宇と帝国主義の素晴らしさを謳い上げたいのだ!
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 ユーラシア大陸の端に位置する、誇り高き帝国。
 万世一系を固持しながら、八紘一宇をさりげなく成し遂げた偉大な国。
 そう、オスマン帝国である(1299年~1922年)。

 これを読んでいる貴姉・貴兄の年齢がわからないが、この国のことを「オスマン・トルコ」と習った皆さんも多いのではないか、と思う。しかし、現在の和名(?)はオスマン帝国。かつての教科書に躍っていた「オスマン・トルコ」は、今や「いろいろな意味で不適切」と見なされる名称だ。
 かの帝国は決して「トルコ人の国」ではなかったから。
 文化的に見ても言語的に見ても人種的に見ても。その臣民・国民・構成員は、トルコ人に限られていたわけではない。20世紀初頭に「こんなに多様な民を抱えた国は、オスマン帝国以外にないだろう」とイングランドの研究者が言った通り。もちろんアラブもいたし、クルドもいたし、ベルベルもいた。

 オスマン帝国を定義するのは「オスマン1世の男系の子孫であるスルタンが支配する国」。ただ、それだけである。
 もちろん、そのオスマン1世自身は紛れもないトルコ系だったろう。しかし! 代々の皇帝が、世継ぎを作る相手としての女性について――および、世継ぎは作れないがベッドを共にする男性についても――人種・民族なぞ問わない八紘一宇な発想で登用(?)したものだから、後代のスルタンに関しては血の何分の1がトルコ系なのか、皆目見当がつかぬ。しかし、かの帝国においては、そんなことは問題ではないのだった。
 ここで思い出したのが、10年ほど前だったか、「オスマン帝国の至宝」を紹介していた美術番組。「スルタンの母の人種は不問」と聞いた檀ふみとかいう女性が驚いた様子で「血筋が異民族によって汚されるという発想はないのですか?」などと質問していたが、そんなビッチアスな発想はないんだよ、本物の帝国には。皇室のベッド内まで多民族な国家なんだから。
 だいたい、みんな大好き「万世一系」を実現してやってる(それも、みんな大好き「男系限定」付きだ)のに、「民族の純血」まで構ってられるか!

 そもそも、イスラムは人種をデンデンすることがないuniversal brotherhood志向の宗教だが、オスマン帝国は異教徒も内包していた。ギリシア語を話し「ローマ人」と呼ばれるキリスト教徒も、ユダヤ人も。アルメニア人も、ブルガリア人も、ネストリウス派キリスト教徒のアッシリア人も。古い国勢調査記録は見つけられなかったが、19世紀前半の数字を見る限りムスリムは帝国人口の半分ほど。残りの半数はほぼクリスチャン、そしてユダヤ教徒だったようだ。
 15世紀。過酷極まりない異端審問に直面したスペインのユダヤ人たちが向かった先は? オスマン帝国だ。
 16世紀。ハンガリーで巻き起こっていたカトリック対プロテスタントの紛争を収拾し、どちらの宗派も認めたのは? オスマン帝国だ。
 さらには、帝国各地のユダヤ人コミュニティやキリスト教徒地区は結構な自治権を持っていたというから、ほとんど『星界の紋章』の世界である。しかも、多数のユダヤ人と少数派のムスリムが共存する街では、ムスリム側が妥協して自分たちの休日(金曜)を諦め、ユダヤの安息日(土曜)に休みをとっていたとか。
 帝国を運営する担い手たちも「トルコ人ムスリム中心」だったわけでもない。キリスト教徒の宰相や海軍提督は当たり前だし、政府と通じる建築業者はアルメニア人だし、ハレムの実力者は黒人宦官。
 帝国とはそういうものだ。

 素晴らしいのは……そんな国では、誰も外見だけで「外人やーん」とは言われない、ということだな。
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 一方、ユーラシア大陸の逆端にも、偉大な帝国があった。
 こちらは万世一系ではなく、「徳を失った王朝は天命によって排除され、新王朝が始まる」というオプション(これを革命と呼ぶ)付き。そんな帝国の系譜を数千年にわたって展開したのは、もちろん中国だ(紀元前2070年?~西暦1911年)。

 今の「中国」である中華人民共和国はウイグルやチベットなどの近隣諸民族を圧迫するゼノフォビックな態度で知られるようになってしまったが、かつての中国はむしろ、だだっ広い国土に対して慢性的な人口不足に苦しんでおり、時には戦争が「民の取り合い」の様相を呈することもあったそうな。よって、歴史を通じて他地域への侵略の傾向は薄かった。
 そんな中華帝国の帝国主義は、これまたひと味違う。

 本来、「中華」とはコンセプトであって出自ではなかった。つまり、生まれつくものではなく、育つ中で身につけるもの、あるいは、それを選んで学び取るもの。その「概念としての中華」とは、「礼節」とか「徳」とか「仁」等を中心とした、儒教的な何かである。行動規範というか哲学というか価値観というかライフスタイルというか。それさえ身につければ、他民族・異民族でも中華人となりえたのだ。
 現実離れして聞こえる? では、アメリカを見たまえ。そこに生まれついた者だけでなく、「自由と平等の国」の理想に共鳴して到来する移民たちを受け入れてこそ、成り立ってきた国ではないか! ……トランプが変なことを言い出してはいるが

 非常に興味深いのは、漢と並んで「最も中華らしい王朝ズ」の代表格であろう唐の皇帝「李」一族が、実は漢民族ではなく遊牧騎馬民族「鮮卑」の出身らしい、ということ。
 騎馬民族王朝といえばモンゴル帝国! 少数の北方異民族が多数の漢民族に対して圧政を敷く「征服王朝」のパターン! ……と連想するが、もちろん唐は違った。あくまで中華的伝統に寄り添った帝国だったのだ。つまり、中華的トーン&マナーをおさえ、フィロソフィとトラディションを重んじれば、異民族でも中華になれるということを、皇室自ら体現していた、とも言える。

 中華帝国は伝統的に一神教ではなく、単一宗教が支配的な地域でもない。ウータン・クランのRZAが言い切ったように、基本は「儒教・道教・仏教の3 way」だ! このところの2000年ほどは。
 その三つのうち、どの宗教が特に重視されるか。それは時代と王朝により異なる。唐は皇帝の姓が老子と同じ「李」であり、さらに「老子の子孫」という伝説までついているため、道教が重んじられた時代だ。しかし、だからと言って、国を挙げての仏教排斥や儒学者皆殺しに走ったりはしていない(トチ狂った皇帝が出てこない限りは)。
 それに加えて、キリスト教やイスラム教、ゾロアスター教やマニ教といった東アジアにおける少数派宗教の信者も、それなりに暮らしていたようだ。素晴らしいことに、我々東アジア人は他人の宗教に無頓着なところがあるから。
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 一方、より宗教を基盤とした国家としては神聖ローマ帝国がある(800年?~1806年)。

 ローマを名乗る割に場所がほぼドイツだが、「ローマ教皇権と一体化したローマ帝国を、我々の世代(中世の西欧人)が再現してみました」というファンタスティックな試みなので、許してやってくれ。
 そもそも、(特に後代の)神聖ローマ帝国は「国家」と呼ぶにはあまりに緩やかな連邦制、幾重にも重なった封建領土の寄り合い所帯。だからここでは(否、ここでも)「一つの国家は一つの何かを共有する、何か均質である、どこかしら同一である」という思い込みは成立しない。
 そんな帝国を統べる皇帝の位も、いつしか厳密な意味での世襲ではなくなり、寄り合い所帯のヌシの中でも有力な諸侯が「選帝侯」として票を投ずることとなった。『ゲーム・オブ・スローンズ』のウェスタロス大陸も、最終的にはその「選帝侯」システムに落ち着いたようだな。ただしウェスタロスの新王は、自身が『砂の惑星』シリーズにおける「砂漠の神皇帝」みたいな存在ではあるが……。
 ただ、数種類の宗教が割拠する『ゲーム・オブ・スローンズ』世界と違い、神聖ローマ帝国は――何と言っても「ローマ」なので――ローマ・カトリックを拠りどころとしてはいたが。
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 整理すると。

 神聖ローマ帝国では、ローマ・カトリックという宗教を拠りどころとした八紘一宇を。
 中華帝国では、儒教的な哲学と価値観を拠りどころとした八紘一宇を。
 オスマン帝国では、イスラム教という宗教を拠りどころにしながらも、その宗教の枠すら超えた八紘一宇を、それぞれ実現していたのである。

 これらの偉業を見て、帝国主義者を名乗ろうとしない人たちの神経が、わたしにはわからない。
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 さて、ここで。
 これまで連発してきた「八紘一宇」というものについて、普通の日本人の皆さんが大好きな産経新聞による「総合オピニオンサイト」で、このような記述を見つけた


 最も注目すべきは判決文である。判決は「八紘一宇」は「帝国建国の理想と称せられたものであった。その伝統的な文意は、究極的には全世界に普及する運命をもった人道の普遍的な原理以上の何ものでもなかった」と明言しているからだ。
 東京裁判で日本人弁護団の副団長を務めた清瀬一郎は、事実問題で立証に成功したのは「八紘一宇は侵略思想でないということ」のほかには一件あるだけだと回顧している。一方、裁判官においては日米交渉の出発点で提示された日米諒解案での「八紘一宇」の訳語であるuniversal brotherhoodが印象深かったかもしれない。

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 そう、大切なのはuniversal brotherhoodなのである。
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 一方、普通の日本人の皆さんは読まないであろう、山川出版社の「世界史リブレット」という「薄い本」シリーズがある。
 その第42巻、古田元夫による『アジアのナショナリズム』に曰く。


 フランス革命当時においてフランスの人口の半数以上にのぼる人びとが話していた非フランス語は、いずれも「前世紀の野蛮の名残り」とみなされ、その話し手のフランス語の世界への同化が、国家権力を背景として求められていくことになる。
 これは、かつての世界帝国が、人びとの話し言葉の世界への介入などはほとんどおこなわなかったことと比べて、大きな相違であった。世界帝国では、帝国の支配エリートになるための要件は、神と地上を結ぶ「聖なる文字言語」、つまり、カトリック帝国におけるラテン語、イスラム帝国におけるコーランのアラビア語、そして中華帝国における漢字漢文などをどれほどマスターしているのかということであり、その人が母語としてどのような言葉を日常話しているのかということは、あまり問題にされなかった。ところが国民国家は、その人が普段どのような言葉で会話をしているかまで、問うようになったのである。

 このように国民国家とは(略)異質な言語の話者=少数民族、外国人など、「やつら」にたいする差別と排斥の原理をあわせもった、矛盾をした存在であった。そのことは、国民国家が、一方で自己の主権を主張しながら、他方において拡大と侵略による他者の主権の否定を展開したことにも、如実に表現されていたといってよいだろう。
 帝国主義時代の植民地帝国は、このような国民国家によって形成された帝国であった。


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 かたや世界帝国、もう一方は国民国家による植民地帝国。

 わたしがいずれの「帝国」を支持しているのか、三原じゅん子が与しているのはどちらのタイプか。
 八紘一宇を標榜していた大日本帝国の実態は前者か後者か。
 あるいは、「真のuniversal brotherhood」が成立しうるのはどこなのか。

 こんなわかりきった質問もないものだ、と自分でも思う。
 もっとも三原の場合、「何も考えていない」という可能性はあるがな……。 ..............................................................
 なお、わたしがツイッター上で敢行した『次の3名のうち、閣僚にふさわしいのは誰か』投票では、「三原“八紘一宇”じゅん子」=1%、「杉田“生産性”水脈」=2%、「今井“HINOMARUを見たとき本能的に”絵理子」=4%、「どれもあかん」=93%だった。
「どれもあかん」の圧勝ではあるが、それでも。この3人の逸材のどれかに票を投じるような知性溢れる人が7%もいた、ということだ。
 そんなこの国の未来に幸あれ。