加納 Aマッソ

第59回「日々草が冬に咲いた」

 花が好きだが、自覚したのは遅かった。おそらく、当たり前のごとくみんなも花が好きであろうと思い込んでいたせいだ。美しい女性を花にたとえるのとは逆に、私は花を美女のように「みんなの目を引く存在」だと認識していた。好みはあれど、美しいのだから惹かれる、そういうものだと思っていた。
 でもそうではなかった、というはっきりした結論はまだ出せていない。「好き」を測るには純度の弊害が付きもので、なかなか本質に近づけないことも多い。
 道を歩いていると、沿道に植えられている木の根元に、オレンジ色のポピーがぴょこっと咲いているのを見つける。お、ポピー、と思う。しかし横を歩く知人は、私よりも時間や目的地を正確に捉えている人だ。捉えるべきだと思っている人、と言ったほうがいいかもしれない。当然、次に曲がるべき通りや到着時間のことを私の分まで考えてくれている。その人は内心、私に対して「お前もGoogle Map開けよ」と苛立ってはいても、「自分のほうが合理的に一日を進めたいと願っているのも事実なので、こういう役回りになるのも仕方ない」と無意識に考えている。そんな相手に、ほんの1メートル先の足元に咲くポピーが好きかどうか、聞く権利は私にはない。この状況でなければ考えてみてくれる可能性もある。ただ、「この状況でなければ」とはなにか? 一人で歩いていた場合。あるいは、急いでいない場合。どこかに向かっていない場合。なんにも考えることがない場合。そんな稀有な状況になってはじめて、道端に咲くポピーが好きかどうか考えてくれるのだろうか。反対に、私のポピーへの関心は、Google Mapを開くのを面倒がる性格とセットなのだろうか。「ポピーに目がいく」というそれらしい長所のように偽装して、「やるべきこと」から逃げる口実にしているのか?
 わからなくさせる世間も悪い。繁華街の通りで、真っ黒の外壁のBARの前に開店祝いのスタンド花が並んでいる。きれいだ。でも道を行く人は、プレートに書かれた差出人の名前しか興味がない。すいません、その横の白い百合どう思います? 急に聞かれてもわからない。きっとみんな白い花は好きなはずだ。だってあんなに凛としているんだから。私も、はじめて真っ白で大きい胡蝶蘭をみたとき感動した。なんて優雅なんだと思った。でもそれを見たのは、いかがわしい店の前で最悪だった。その景色と切り離して考えられないから、胡蝶蘭は心から好きにはなれなくてかなしい。
 J-POPも良くない。あまりにも歌詞に花を入れすぎだ。あんなの、思わせぶりすぎる。喜びも憂いも全部花でたとえてくるんだから、そりゃあみんな花が大好きだと勘違いしてもしょうがないじゃないか。じゃあ私が「いつもの帰り道に水仙が一輪、弱々しく咲いていてね、これが枯れるまでに小説を一本書きあげようなんて思っていてね」というトークをするのを躊躇わせてるのはなに? こんなこと言ったらキモいと思われると考えてしまってる私かわいそうじゃない? 花の話は節と抑揚つけなあかんの?
 そして、これが決定打といわんばかりに「花は枯れるからなぁ」はもう本当に勘弁してほしい。そんなカニみたいに言うな。「カニは食べるの面倒くさいからなぁ」のトーンで言うな。いまカニの味が好きかどうか聞いているのに、カニを食べるための作業工程が多いことを批判する神経はどうかしていると思え。ほんで花の話をしているのにカニの話を引き合いに出さないといけなくなっている私にも同情しろ。ほんで花が好きかどうかさっさと言え。
 私? 私はねー、数年前、ライブの打ち合わせでタイタンの事務所に行くことがあったんですよ。初夏の暑い日で、ビルの前あたりにキレイな日々草が咲いてて。それなぜかすっごい覚えてるんですよ。だからM-1でウエストランドさんが優勝したとき、日々草が冬に咲いた、と思ったんですよ。は? なんですかその「そういうキレイな話ええねん」みたいな目は。

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