加納 Aマッソ

第66回「3日に1度交換」

 ライブとロケの遠征で、初めて5日連続で違うホテルに宿泊した。いずれも何の変哲もないホテルだったが、これがまあ楽しかった。昔から毎日同じ場所に帰ることほどアホらしい行為はないと思っているので、仕事という正当な理由で今日は〜のホテル、といって寝床を転々とできるのは、私にとってはとびきりのご褒美であった。
 まず、朝目が覚めて脳が完全に起きるまでに「ここどこやっけ」と考えるあの数秒がなんとも心地良い。そこからもぞもぞと体勢を変え、横を向いたりうつ伏せになったりすると、わざとらしいほど純白のシーツが視界に入る。頬が緩む。今日限りの知らないシーツだ。足でいくら壁に追いやろうと、わずかにベッドの下に落ちていようと、ああシワになる、汚れる、などと考えなくていい。どうであっても知らない、だってここは知らない場所だから。大きな窓を開ける。知らない景色が広がっている。もちろん安全が確約されている場所がゆえなのは百も承知である。海外旅行ではそうはいかないだろう。度胸はない。国内のよく知られた名前のホテルに限っての小さな喜びだ。
 とはいえ、1つのホテルを1泊で楽しみ尽くすのは無理がある。5泊のうち、結局大浴場を利用できたのはたった1回で、朝ご飯は一度も食べられなかった。2回もチェックアウトを延長した。情けないが疲れには勝てない。入室してすぐベッドに横たわるともう動けない。あ、このまま寝てしまうな、と考える。1階のフロント横から意気揚々と取ってきたアメニティの封を開けずに終わるなあ、と残念がりながらもかろうじて部屋を見回すと、机の上に置かれた冊子が目に入る。表紙に掲載されたホテルの経営者の写真とタイトルで、その人が環境問題に取り組んでいることが知れた。もちろんホテル事業を展開する上で環境に配慮しているのは大変結構なことではある。しかし、宿泊中に利用者がベッドの上で環境問題に意識を持っていかれるのはいかがなものか。その証拠に、と今度はベッドの枕元に視線をやる。そこには和柄の紙で折られた目にうるさい鶴が1羽、少し傾いて置かれている。一般的に鶴に込められた意味は、平和だの健康だのというピースフルなものなので、本来なら「宿泊したぐらいでそんな風に言っていただいて」と感謝するべきなのであろうが、私の意識は先ほど経営者によって環境問題に向いたばかりである。当然、これはどうなんだ、と疑問を抱く。この鶴で紙を使用するのは環境的にどうなんだ。中身を見たらもっともらしい理由が書かれているかも知れないが、起き上がることはできない。疑問は飛び出した状態のままで頭のまわりにくっついている。この鶴はベッドメイクの際に捨てられ、また新しい鶴がやってくるんだろうか。はたまた「3日に1度交換」なるルールがあるのか。バイトで入った子は初日に先輩から鶴の折り方を教えられそうになるが、「折ったことがあるので大丈夫です」と言ってその指導を拒み、昔の記憶を掘り起こして折ろうとするが、途中で「あれ、ここからどうだったっけ?」とわからなくなり、それを見ていた先輩が「みんなそうなるのよ、貸しな」と得意げに笑う、などといったやり取りがなされているのか。そんな思考の途中で急速な眠気に引きずり込まれ、私は鶴に乗ってその夜を終える。めでたいめでたい1日の終わりだ。目が覚めると、メイクを落としてなかったこととスマホを充電していなかったことに気づく以外は、また最高の朝が待っている。

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