加納 Aマッソ

第64回「盆と正月がいっぺんにきた、の逆」

 昨年末に親父が糖尿病で倒れ、しばらくの入院期間を経て退院したのも束の間、今度はガンが見つかった。親父は「盆と正月がいっぺんにきた、の逆」と言っていた。逆すぎてあまりにもイメージできないのでできれば違う表現を用いてほしいし、細かく言うといっぺんにもきてないし、と指摘したい気持ちはあったが、ひとまずは「えらいこっちゃやな」と、私は電話口で素直な感想を述べた。
 大変えらいこっちゃではあるが、関西風詠嘆で腫瘍が消えるはずもなく、ほどなくして手術、そのまま再び入院という運びになった。しかし病院から、手術当日は何かあった時のために家族がひとり立ち会わなければいけないというルールがあると伝えられた。平日なのでおかんと兄ちゃんは仕事の都合がつけられなさそうなのを察し(末っ子空気読んでえらいね)、「ほな行こか」と申し出た。「ほな行こか」には「ほな頼むわ」、12時に谷町4丁目の国際がんセンターで、ということになった。
 受付を済ませたはいいが、「なにかあった時のため」要員なので、手術が終わるまで特にやることもない。前日に親父からは「6時間くらいは覚悟しといてくれ」と言われていたので、PCやらiPadやらを持ち込んでいたが、家族待合室のどんよりとした空気に、どうも仕事をする気分になれなかった。手術前の親父に「空気おも〜」とLINEすると「当たり前やろ。12階来い、大坂城見えるぞ」と返ってきた。私は4階から親父の病室がある12階の休憩スペースに移動した。たしかに、窓のすぐ前にドンと立派な大坂城がそびえていた。
 ほどなくして、点滴のカラカラ(正式名称なに?)を引きずった親父がやってきて、「おう」みたいな声を出した。その時点ですでに15時を回っており、「まだ始まらんの?」と聞くと「前のやつが押してんねやろな」と言う。手術をするにあたっての心境を聞く前に、「腹へったわ、昨日からメシ食ったらあかねん、腹立つ、食わせろや、でもあれやな、点滴いれてるからな、これは腹が腹へってんのちゃうな、頭が腹へってんねん、だから食わなおさまれへん」とノンストップで文句を垂れた。やかましかったが、気は元気そうなので安心した。
 するとスーツをきた老年の男性がやってきて、親父はまたもや「おう」だのと言った。小さい声で「誰?」と聞くと「柏木」と答えた。

「柏木じゃわからん」

「こいつ昔ボーイスカウト一緒やってん」

「知らんがな」

 聞くと、偶然にもこの病院に勤めている親父の同級生であった。
 柏木さんは30分ほどボーイスカウトの思い出話をしたのちに、「ほな」で締めて、帰って行った。せっかく医者ならせめて安心させてから帰ってほしかった。
 二人になり、なんとなく窓の外をぼーっと眺めていた。すると親父は「穴太衆って知ってるか」と聞いてきた。

「知らん」

「あの大阪城の石垣、穴太衆積みって言って、石削らんと組み合わせうまいことして積み上げんねん」

「すごいな」

「高度な技やで、でもあれが一番頑丈や」

 健康みたいなものだな、と思った。良い感じの生活習慣を積み上げていくのはむずかしい。そこに合わないいびつなものを重ねると、手術して削ったり取り除いたりしなくてはいけなくなる。大阪城のように長生きするということは、本当にすごいことだ。
 などと考えていたら、親父が「あのむこうの看板なんや、ラーメン屋か、ラーメン食いたいな、ラーメン屋やろ、ちゃうか、ガソリンスタンドか、なんやねん、腹減ったな腹立つ」とまたぶつぶつ不健康な文句を撒き散らし、穴太衆への尊敬がいっそう深まった。

 16時頃にようやくはじまった手術は2時間ほどで終わり、現状把握している腫瘍は無事に取り除かれた。「何かあった時」ではなかったので、私は結局本当に何もしなかったが、異様にお腹が減っていた。病院を出ると、近くのラーメン屋に自然に体が向いた。親父のせいで腹も頭もラーメンが食べたくなっている。店に足を踏み入れようとしたその時、突如としてのれんの下の地面が盛り上がり、あっと言う間に目の前に巨大な石垣が現れた。私は慌てて後ろに飛び退き踵を返した。そして背を向けたまま、スーパーで惣菜とサラダでも買うか、と、穴太衆に聞こえるように高らかに宣言した。

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