加納 Aマッソ

第60回「19日、早く来たね」

 12月中旬に出演したテレビ局主催のライブイベントが盛況だったので、後日改めて制作スタッフを含めた打ち上げをしようということになった。が、なかなかみんなの日取りが合わない。年がら年中忙しい業界で、加えて忘年会シーズンである。グループLINEで何度か日程を決めるラリーを続けたのち、年内は諦めて来年に持ち越すことになり、なんとか1月19日の19時でフィックスした。
 強くは主張しなかったけれど、私はできることならイベントからあまり日を置きたくはないと思っていた。テンションの保持はもちろん、イベント当日の感情の仔細も忘れないうちに話しておきかった。「あそこはミスってたよな!」と誰かの失敗を笑い飛ばしたり、昼公演と夜公演のウケの違いを比べたり、制作の見えざる奔走を心から労ったりすることには期限があり、1カ月後になるとそれらは確実に期限切れになって「いや~成功して良かったね~」という、のぺっとした感想を交わすのみになってしまう。それではなんともさみしい。
 とかなんとか、もっともらしく演者代表の意見ぶって述べているが、単純に楽しみが先延ばしになったことが嫌だった。だから打ち上げ日が1カ月後と決まったとき、遠足が雨天延期と知らされた子どもと同じように「ちぇ~」と思ったのである。なにかを楽しみにしている1カ月は体感だとほぼ3カ月だ。
 それが2022年である。しかし2023年になると、なぜか時間は歪んでいた。年が明けて2、3日後、すぐに19日が来たのだ。お店に集まるやいなや、新年の挨拶もそこそこに「19日、早く来たね」と言い合った。楽しみにしていたのに、とみんな不思議そうにしていた。そして想像していたとおり、やはりイベントを振り返る時間は訪れなかった。私はみんなの記憶を1カ月前に戻そうと試みたが、どうやらその巻き戻し作業に失敗したのだろう、年長者が「俺が入社した当初はね、」なんて300カ月も前の話を始めてしまった。歪んだ時間の上でなかなかハンドリングがきかなくなっている。誰かが違和感に気づいてまた時間に抗おうとしたところ、別の誰かが鍋の中を覗いて「最後の晩餐はこれでもいいな」と、次は死に際まで思いは飛んだ。それぞれが時間をスリップしながら、〆の雑炊を食べる頃にようやく諦めがついて、今が何時かわからないことをなんとなく受け入れてふわふわと帰路についた。
 1月19日の4日後にやってきた1月5日、東京から大阪に帰る新幹線は10分でホームに着いた。実家で夕飯を終えて、母親と銭湯に行った。小さい頃から幾度となく二人で銭湯に行ったが、小さい頃が終わった合図はなかったので、まだ小さい頃は続いているのかもしれなかった。母親は銭湯では必ずサウナに入る。いつも待っている間は永遠のように長く感じていた。ように、ではない。あれが永遠だった。けれどこの日は、逆さまにした砂時計の砂よりも先に母親が落ちた。「もう歳やわぁ」と見当はずれなことを言った。ちがうのに。時間が歪んでいるだけなのに。でも私もそこまで自信がなかったので教えなかった。
 ほかほかの体で外に出た。数秒で終わる夜を、年季の入った自転車で並んで進んだ。あいぴーは元気にしてる? と聞くので、してる、と答える代わりに、昨日も楽屋で7時間も8時間もお弁当を食べ続けていた話をした。思っていた以上にウケなかった。自転車を止めたときにはもう、その夜と1月は終わっていた。

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