お笑い芸人は、物事を驚くほど誇張して話す。目の前のお客さんにウケているのを良いことに、現実では到底ありえないようなことも「自分でも信じられないんだけど」という顔でいけしゃあしゃあと、放っておくと100分も1000分も1000000分も話す。天井の照明や左右の幕に届かんばかりのボディランゲージを幾度となく繰り出し、どんな些細な話でもみるみる今世紀最大の大事件に変身させる。それを聞いている、いや、丁寧にご清聴くださっている、すべてのスケジュールを泣く泣くなげうって劇場に命がけで来てくださったお客様はといえばやはり神様で、女神ヘスティアと見紛うほどにお優しく、ペテン師のペテントークを「ほんまかいな」と明智小五郎ばりに疑いながらも、マスクの下で二度と元の表情が戻らないくらいに破顔し、やがては自分の笑い声と体の振動ですべての体の部位をバラバラに破壊してしまう。終演後、芸人が楽屋で今日の自分の出来を盛大に誇っている間に、劇場のスタッフさんは客席の床に残酷にも散らばった数百人の四肢を、文句の0.1つも言わずに、悠久の時をかけて片付けてくれているのだ。芸人はほんとに無神経無遠慮無知蒙昧、一度くらいは目を瞠る美しさの花と感謝の言葉を携えて、スタッフさんを心から労わなければいけない。
そして舞台上で培ったそのトークフォームはいつの間にか常態化し、気がつけば板の上以外の空間でもやめられなくなっている。嘘をついている自覚が毛頭ないのが手に負えない上、もはや誰が、どこが、なにが真実なのかが全くわからない。
「今日のネタの手応えどうやった?」
「やっばいぐらいウケたわ、ネタ中笑い声で自分の声聞こえへんかったもん、あとから別のやつに聞いたら、あの時、外で雷もバァーン落ちてたらしいわ」
「うそやん!」
「ほんまほんま!」
「え、 ちょっと待ってやば、それ、俺らの時とまっっったく一緒やん! 100年に一度の奇跡やん!」
「やばいな! これはノストラダムス級やな!」
「古!! そんな5億年前のノリ誰が覚えてんねん!」
しかし今は大配信時代、あとで映像をいくらでも見返すことができるようになった。
「おまえこの前めっちゃウケたとか言ってたからアーカイブ見たけど、そうでもなかったやんけ!」
「いや、ちゃうねんちゃうねんちゃうねん、ほんまにウケてたのはウケててん、でもあれ配信カメラめっちゃ遠くに置いてるん知ってる? 舞台東京やったらカメラ鹿児島やで、ほんま前列のお客さんの声、からっきし拾えてないねん。まじでウケてた、袖におった後輩に聞いたらわかるわ」
けれど後輩たちはその時間、西川が楽屋で気ままに回していた動画にみんな写っていた。
「後輩って誰やねん」
「ほら、あいつ名前なんやったっけ、もみあげ長すぎてひきずりながら歩いてるやつ!」
「おるかあ!」
たしかに最近は真実の答え合わせがしやすくなった。誰もかれもの携帯が、何気ない日常の真実を覗ける窓口になっている。「ありのままを話します」という等身大のコンテンツや、ドキュメンタリー要素のある映像も身近になった。それもいい。ただ、と思う。わたしは忘れてはいない。目の前に広がる現実が、誰かの口から飛び出る空想によって広がる喜びや、知らない世界に誘われるドキドキを。本当なんてどうでもよかったあの頃の無敵さを。と、こんな真面目なことを書いてしまうのは、風呂に浸かりすぎたせいだろうか。頭がのぼせてIH、いまちょうどおでこに生鮭を置いたら、いい感じに焼けた。