ネットで買い物をする際、購入が完了すると、「この商品を買った人はこんな商品も買っています」や「あなたにおすすめの商品」という文言とともに、別の商品がいくつか表示されることがある。このとき、「うるせえよ」と無視し、好みの範疇をみずから望んだ質量のまま保つことができる人と、「えーありがとう」と感謝してさらに買い物を重ね、好みが緩やかに増えたりスライドしたりしていることに気づかず、気づいたとしてもさほど情けなさを感じない人がいる。私は、完全に後者だ。いつもまんまと、ほいほい買ってしまう。あのシステムを考えた人の周りにはきっと私のようなチョロい友人がいて、そこからアイデアをたくさん得たに違いない。
買い物だけではない。基本的に、人から「あなた、こんなの好きなんじゃない?」とおせっかいを焼かれることが好きだ。何かを見たときに私を連想してくれたことも、好きなものに出会った時に「教えてあげたい」と思ってくれるのも、どちらもとても嬉しい。おすすめしてもらったものが、生涯でとても大切なものになることもある。
先輩から教えてもらった、忘れられない漫才がある。「若井小づえ・みどり」さんの漫才「yの値」である。何度見返して笑ったかわからない。
10分尺のネタの前半はずっと、相方の容姿に関する悪口や未婚であることへの揶揄が続き、現在の感覚でみると、「ウッ」と拒絶してしまう人が多いかもしれない。二人は師匠から、「結婚しないこと」を約束に弟子入りを許されたという。それが理由でこのネタを漫才作家から与えられていたと考えると、なかなかしんどい。しかし見てほしいのは後半だ。
小づえさんが、学校の先生になりたかった、と話し、役にはいる。
「数学の勉強をしましょう」
するとみどりさんが、
「2x +y²=33、3x=8、の場合、yの値はなんぼでしょうか?」と聞く。
そこで小づえさんが、心底驚いた顔をして、「フェッ!?」と言う。
「yの値はなんぼでしょうか」
「フェッ!?」
「yの値はなんぼですか言うてまんねん!」
「フェッ!?」
「yの値はなんぼや言うとんねや!!!」
yの値を聞き続けてキレるおばはんと、そのおばはんに顔を突きつけて「フェ!?」と言い続けるおばはん。それだけである。それが、とてつもなく面白い。
まず、キレすぎである。明らかに答えを知らない相手に対して、同じことを聞き続ける。1ターンが終わった時点で、普通なら「知らんねやないか!」と言ってしまいそうなところ、怒りを増幅させて、何度も何度もyの値を聞く。お勧めしてくれた先輩もそう言っていた。「キレすぎやんな(笑)」。そうそう、「なんでそれにそんなにキレられんねん」がたまらない。
二人のやり取りが、至近距離で睨み合い、一度も互いから目を離さないで行われるのも好きだ。いまそういう漫才をするコンビはちょっと思い浮かばない。ガンを飛ばして、二人は少しも目を動かさない。「yの値なんぼ」は、本来そんな状態で聞く質問ではない。
そして同業者としてすごいなと思うところは、この応酬が一定のテンポを保ったまま行われ、語調が強くなっていっても、全くスピードがあがらないことである。「喧嘩でヒートアップしているわけではない」と無意識にお客さんに感じさせることで、この空間の狂気が増していく。テンポのキープは冷静さの提示だ。こんなに会話が通じない二人が、どちらも冷静なのが最高である。
終盤、いよいよ会話が通じなくなる。
「yの値や!!!」
「お前はなんぼや思うねん!」
「わからんから聞いてまんねん!」
「だいたい1000円くらいちゃうか!釣りやったらもってこい!」
「yの値!!!」
「100g 250円!」
「yや!!!」
「ワイヤーってロープか! 1m500円! 品質によって違うぞ! 百貨店行って聞いてこい! 何に使うねん! 引越しか! 引越しやったら松本センターに言え! 松本やぞ! 梅本と間違うなー!」
もうむちゃくちゃである。結局yの値には答えることなく、小づえさんが「こいつなんで怒っとんの?」とお客さんに聞いて、蛍の光を歌って終わる。
何を笑いにするか、そして「古い/新しい」の感覚は常に持っていないといけない。しかしこの「yの値」のやり取りにはひとつの劣化も感じない。笑いにも普遍性があるかもしれないと思えることは希望だ。私はこれからもずっと、解かれることのないyの値を見続けるだろう。
それにしても、私は元々ファンタジーなネタの方が好きだった。先輩が「キレすぎている人」を私が好きになるだろうと思ったのはなぜか、日頃の言動を少し考える必要はある。