少し気の早い話だが、2023年4月からスタートする朝ドラことNHK連続テレビ小説「らんまん」の主人公は植物学者の牧野富太郎がモデルだそうだ。ただしNHKのサイトによれば……。
「実在の人物である牧野富太郎(1862-1957)をモデルとしますが、激動の時代の渦中で、ただひたすらに愛する草花と向き合い続けた、ある植物学者の波乱万丈の物語として大胆に再構成します。登場人物名や団体名などは一部改称して、フィクションとして描きます。原作はありません」とのこと。
「大胆な再構成」はNHKの得意技で、実在の人物をモデルにした過去の朝ドラでも、伝記的事実の書き替えや史実の改変は茶飯事だった。とはいえ、出版界がこの好機を見逃すはずもなく、牧野富太郎関連本の新刊や復刊がいまや目白押しである。
植物学者としての名声もさることながら、牧野富太郎は並外れて型破りな人生を送った人物としても知られている。たしかにドラマの主人公にはぴったりであろう。だけど家族はたまったもんじゃないよな、というのが私の嘘偽らざる感想である。
そんな牧野を朝ドラはどう描くのか興味津々である。というのも牧野の人生には、知る人ぞ知る、しかしNHKはたぶん素知らぬふりを決め込むであろう「隠された事実」があるからだ。
その観点から、牧野の人生を描いた何冊かを読み比べてみた。
年譜から消された最初の妻
といえば、まず朝井まかて『ボタニカ』だろう。数ある牧野富太郎伝の中でも、最新の評伝小説である。新刊でこれを読んだ際、私は相当驚いた。以前に読んだ『牧野富太郎自叙伝』では一言もふれられていなかった事実が、そこには書かれていたからだ。
その前に牧野の前半生を少しだけ復習しておくと……。
牧野富太郎は幕末の1862年、土佐藩・佐川村(現高知県佐川町)の裕福な造り酒屋・岸屋の長男として生まれた。満三歳で父を、五歳で母を亡くし、六歳のときには祖父も他界、以降は祖母に育てられた。兄弟姉妹はおらず、跡取りは彼ひとり。祖母の浪子は祖父の後妻で富太郎との間に血縁はなく、その分、孫を立派に育て上げ、老舗ののれんを守らなければと誓ったにちがいない。
にもかかわらず、子どもの頃から、牧野は型破りだった。
地元の寺子屋や私塾で学んだ後、学制発布後、小学校に入学するも、あまりのレベルの低さに辟易して中退。青年時代の一時期は自由民権運動にも没入したが、結局は離脱。幼少期から彼の心を捉えていたのは、何よりも植物だった。図書や顕微鏡を購入すべく一九歳ではじめて上京。三年後に二度目の上京を果たした後は、東京と郷里を往復し、東京帝国大学植物学教室にも出入りを許される。1888年(90年説もあり)、小沢寿衛子と結婚。
以上は自伝や評伝に書かれた若き日の牧野の姿だが、では「隠された事実」とは何か。それは彼の結婚問題に関係する。
牧野の研究生活を支えたのが、糟糠の妻・寿衛子だったことは有名な話である。『自叙伝』は次のように書いている。
〈私が今は亡き妻の寿衛子と結婚したのは、明治二十三年頃 ―― 私がまだ二十七、八歳の青年の頃でした〉。寿衛子の父は彦根藩の出で陸軍の営繕部に勤務していたが、父亡き後、邸宅も財産も失くし〈その未亡人は数人の子供を引き連れて活計のため飯田町で小さな菓子屋を営んでいたのです〉。〈私は本郷の大学へ行く時その店の前を始終通りながらその娘を見染め、そこで人を介して遂に嫁に貰ったわけです〉。〈自分で植物図譜を作る必要上この印刷屋で石版刷の稽古をしていた時だったので、これを幸いと早速そこの主人に仲人をたのんだのです。まあ恋女房という格ですネ〉。
当時は珍しかったにしても、まあ微笑ましい恋愛結婚だ。
けれども、これはあくまで本人の自己申告。この時点で、牧野には郷里の土佐に公式の妻がいた。「隠された事実」とは、牧野が一切口にしない最初の妻・猶との一件である。
最初の妻となった牧野猶は、牧野の従妹で三歳下。高知県立女子師範を卒業した才媛である。祖母の浪子は、家業の安泰のために早くから二人を結婚させるつもりだったのだろう。牧野のあずかり知らぬ間に、祖母が結婚の準備を進めていたらしい。
だが『自叙伝』も他の評伝も猶の存在は完全無視で、ふれていてもほんの少し。年譜にも猶の名前は出てこないのだ。
一例をあげると〈彼女は、(略)牧野富太郎好みの女性ではなかった〉〈彼は、一刻も早くこの結婚を解消しなければならないと決断した〉かくて〈数年を経ないうちに離婚することになった〉(渋谷章『牧野富太郎 ―― 私は草木の精である』平凡社ライブラリー)とか。
だが数年で離婚した、というのは事実なのだろうか。
猶との一件を比較的きちんと扱っているのは大原富枝『草を褥に 小説牧野富太郎』である。二人の結婚について作者は書く。
〈牧野富太郎を研究する人々の中には、富太郎とお猶さんの結婚は、あるいは表面だけの問題として形式だけのことであったのではないだろうか、と考えている人もある。/しかし、わたしは実際にきちんと行われたものだと考えている。お猶さんはその後、長く岸屋の内儀さんとして店の経営にもあたっている〉。
そう、猶を実家に残したまま、牧野が寿衛子と所帯を持ったのは祖母が他界した二年後だが、祖母亡き後も、牧野はしょっちゅう旅費だ自費出版の費用だと実家に金の無心をしている。それを差配したのは、事実上の家長として岸屋を仕切る猶だったはずだ。『草を褥に』には、送金をめぐる寿衛子や猶の手紙が引用されている。一方『自叙伝』が書く実家との関係は……。
〈私の二十六歳になった時、明治二十年に祖母が亡くなったので、私は全くの独りになって仕舞ったが、しかし店には番頭がおったので、酒屋の業務には差支えはなく、また従妹が一人いたので、これも家業を手伝い商売を続けていた。しかし私は余り店の方の面倒を見る事を好まなかった〉。猶はただの従妹扱いかい。
二人の「妻」の役目は金策
そこで話は『ボタニカ』に戻る。この本を読んだ人に、猶は印象深い人物として記憶されるだろう。二人の結婚についても丁寧に描かれている。東京から戻った牧野を祖母がどやすのだ。
〈富さん、えい加減にしいや。あんたが上京する前に話をしたし、訊ねもしたきね。祝言は来年の三月末でえいかと問うたら、おまさんはそれでえいと言うたぞね〉。牧野はあくまでとぼけている。〈「祝言。それ、まさかわしの」/「他に誰がおる」〉。
かくて二人は結婚したが、牧野にしたら猶は妹みたいな存在で、夫婦らしい関係には至らないまま三年が経過する。が、夫に代わって家業を切り盛りしたのも、病に伏した浪子を献身的に看病したのも、看取ったのも、葬儀を仕切ったのも猶だった。
寿衛子との一件についても、『ボタニカ』は『自叙伝』のようなキレイゴトで片づけない。この本では寿衛子の妊娠を知った彼女の母が怒鳴り込んでくるのである。〈この子の身の上をどうしてくださるおつもりなんですかと、伺ってんです。土佐にご本妻様がおられるのは承知でスエもこういうことになっちまったんだから〉。〈東京においでの間は一緒に暮らしてくださる。それとも、時々のおいでをお待ちする別宅というご料簡ですかえ〉。
たじたじとなる牧野。しかし土佐に戻り〈実は、子ができた〉と報告した夫に対する猶の対応は立派だった。〈おめでとうござります〉と彼女は手をついたのである。〈帯祝いの儀はいつですろうか〉。〈腹帯は、牧野家よりの御祝いとしてお贈りします〉。
見上げた賢夫人ぶりである。
こうしてみると『ボタニカ』は、これまでになかった画期的な評伝小説だったことにあらためて思い至る。
第一に、最初の妻である「賢夫人」の猶と、牧野が「恋女房」と呼ぶ二番目の妻・寿衛子を、タイプは違えど、それぞれの立場で夫を支えた対等な人物として描いていること。自叙伝からも年譜からも消されていた猶の、これは復権と呼ぶに相応しい。
最初の妻・二番目の妻といっても、この二人は同時進行で牧野の「妻」をやっていた。二人の妻の主な役割は、端的にいえば金銭の工面だった。次々に子どもが生まれる東京の牧野家は慢性的な財政難だったが、土佐の岸屋も牧野への送金で借金がかさみ、万策尽きて、店を売り払うところまで行くのである。
それでも『ボタニカ』は、二人の「妻」を対立関係としては描かなかった。これが第二のポイントである。
岸屋が財政破綻した後、ようやく牧野は猶との離婚を決心、猶は番頭の和之助と所帯を持つが、その後も猶と寿衛子は連絡を取り合って、猶は寿衛子に子どもたちの衣服やカルタを送ったり、娘の婚礼の相談に乗ってやったりする。寿衛子が五五歳で死んだ際、葬儀の後で、猶は牧野にいうのである。〈お壽衛さんは江戸前の女でしたよ。誇りをもって、あなたを支えたがです〉。
どこまでが史実で、どこからがフィクションかはわからない。だが『ボタニカ』が、猶にも寿衛子にも敬意を払った作品であるのは間違いないだろう。植物研究に没入する牧野と同時に、二人の女性のドラマが最大の注目点とすらいえるほどだ。
で、NHKである。二人の女性をどう描くかが私の関心事だったのだけれど、配役に猶を思わせる人物はいない。牧野には姉がいたことになっており、この人が岸屋を担う役目を果たすのかもしれない。こうして再び消される最初の妻。しかし『ボタニカ』の読者はみな「猶は?」と思うだろう。それがせめてもの救いである。
【この記事で紹介された本】
『ボタニカ』
浅井まかて、祥伝社、2022年、1980円(税込)
〈ただひたすら植物を愛し、研究に没頭。莫大な借金、学界との軋轢も、なんのその。すべては「なんとかなるろう!」〉(帯より)。初出は2018〜20年の月刊誌連載。牧野富太郎本人もさることながら、最初の妻・猶と二番目の妻・寿衛子も丁寧に描かれており、家業を守りながら夫に送金を続けた猶と、借金に明け暮れつつ牧野を側で支えた寿衛子のキャラクターが浮かび上がる。
『牧野富太郎自叙伝』
牧野富太郎、講談社学術文庫、2004年、1177円(税込)
〈私は植物の愛人としてこの世に生まれたように感じます。あるいは草木の精かも知れんと自分で自分を疑います〉(全面帯より)。元本は1956年刊。率直に文章で綴られた自叙伝ながら、都合の悪いことは隠している気配あり。妻の寿衛子のことは「可憐の妻」「亡き妻を想う」などの章で愛情たっぷりに書かれているが、最初の妻・猶については本文中に引用した箇所を除いて言及なし。
『草を褥に 小説牧野富太郎』
大原富枝、河出文庫、2022年、979円(税込)
〈富太郎がどのようにして「植物学の父」となったのか。その陰には妻・寿衛子がいた〉(帯より)。元本は2001年刊。妻の寿衛子に光を当てた評伝小説で、一三人の子どもを生んだ寿衛子の苦労っぷりが偲ばれる。書簡が多数引用されているほか、『自叙伝』を引きつつ、実際はこんなものではなかったなど、随所でツッコミが入るのもおもしろい。「従妹妻お猶さんのこと」という章もあり。