世の中ラボ

【第166回】
松本人志の性加害疑惑に見る芸能界の表と裏

ただいま話題のあのニュースや流行の出来事を、毎月3冊の関連本を選んで論じます。書評として読んでもよし、時評として読んでもよし。「本を読まないと分からないことがある」ことがよく分かる、目から鱗がはらはら落ちます。PR誌「ちくま」2024年3月号より転載。

 2023年末に報じられた人気漫才コンビ・ダウンタウン松本人志の性加害疑惑が大きな波紋を呼んでいる。
 問題の記事が載ったのは「週刊文春」12月27日発売号。2015年、都内のホテルで松本人志が二人の女性に性的な行為を強要したとするものだった。記事の内容とは別に驚いたのは、同日、所属事務所の吉本興業が「当該事実は一切なく」「今後、法的措置を検討していく予定」とする反論の声明を出したことだった。
 松本人志は地上波で七本のレギュラー番組を持つ、芸能界のトップ芸人だ。世間は騒然となり、松本に記者会見を求める声が相次ぐも、当の松本はXに短いコメントを何度か出しただけで会見に応じる気配はなく、年が明けた24年1月8日、「裁判に専念したい」という理由で活動の休止を発表。22日には、名誉を毀損されたとして、発行元の文藝春秋と「週刊文春」編集長に対し、5億5千万円の損害賠償と記事の訂正を求める裁判を起こした。
 余波は他のタレントにも及び、記事で名前の出た漫才コンビ・スピードワゴンの小沢一敬は1月13日に活動休止を発表。また吉本興業も、当初の対決姿勢から一変、「当社としては、真摯に対応すべき問題であると認識し」「外部弁護士を交えて当事者を含む関係者に聞き取り調査を行い、事実確認を進めている」とする二度目の声明を発表した(24日)。それとは別に「週刊文春」も以後五週連続で続報を出し、2月8日発売の第六弾までの段階で、行為の濃淡はあれ、計11人の女性がなんらかの被害を訴えている。
 以上が現在までのざっとした経緯である。文春の記事は今後も続く可能性が高く、この先どこまで行くかわからない。
 昨年のジャニー喜多川事件同様、この件は芸能界のスキャンダルではすまない要素を多分に含んでいる。世界的な#MeToo運動のキッカケになった、ハリウッドのワインスタイン事件と類似した事態ともいえる。問題の根はどこにあったのだろうか。

女はコメディアンに向かない?
 まず松本人志の著作を読んでみよう。
『「松本」の「遺書」』は、ベストセラー『遺書』(1994年)と続編『松本』(95年)を合わせて文庫化したもので、もとは「週刊朝日」の連載コラムだった。当時の松本人志は三〇代前半。人気が爆発しはじめた頃だった。当時『遺書』を読んだ私が唯一覚えていたのは女性芸人に関する論評だ。探してみると「女がコメディアンとして天下を取れない理由」と題する回が見つかった。
〈女はコメディアンには向いてないのか? ということになるが、その答えは、ハッキリ言ってYESである。こんなことを書くと、「女性差別だ!」と言われるかもしれないが、そうなのだから仕方がない。/ただ、ダメだとか、無理だと言っているワケではなく、向いていないと言ってるのだ〉。
 90年代の業界では、これが「常識」だったのかもしれない。その後お笑い界にも続々と女性が登場。「向いていない」という決めつけはとうに覆されている。続きを読んでみよう。
〈女がコメディアンに向いていないのは、そう、宿命のようなものなのだ。たとえば、全身タイツでコントをやるにしても、胸がふくれているだけで、目がそっちにいってしまい気が散って笑えない。男はチンコを出して笑いを取れるが、女が(ピー)を出したら、立つ奴はいても、笑う奴はいない〉。〈柔道などを見ていてもそうだ。男子は一生懸命さが感じられるものの、女子の道着の下に着ているTシャツがどうも気になってしまう。一〇〇パーセント柔道に打ち込んでないやん、何パーセントかはチチ見えたら困るという気持ちあるやん、と思ってしまう〉。
 今日報道されている件と結びつける気はないものの、彼の女性観、芸能観が表れているとはいえるだろう。〈恥も外聞もなく、自分をさらけ出してなんぼのお笑い芸人にとって、身も心もスッパダカになれない〝女〟というものは非常に不利〉というのが彼の持論で、女が天下を取りたいなら〈化粧もせず、恋愛もせず、結婚はもちろん妊娠、出産もあきらめるくらいの気持ち〉でないとこの世界では男に勝てない、と結論づけられる。
 私がこの記事を漠然と覚えていたのは、もちろんムッとしたからだ。松本にとっての女性は第一義的には性的な存在で、である以上、性的な意匠を剥ぎ取らない限り男と対等にはなれない。それは当時、広く共有された概念だったかもしれない。今度の騒動で掘り返された過去のテレビ番組では、女性タレントに対するセクハラが、笑いを提供するコントとして、事実、放送されていたのだから。
 松本人志は吉本が主催する芸人養成学校(NSC)の第一期生である。吉本興業とはそもそもどんな会社なのだろう。
 増田晶文『吉本興業の正体』および竹中功『吉本興業史』によると、吉本興業は1912(明治45)年、吉本泰三・せい夫妻によって大阪で創業された。株式会社化されたのは1948年。60年代に入るとテレビ局との関係を深め、吉本新喜劇の公演を中継させるなどして知名度を上げた。さらに80年代の漫才ブームが吉本をライバルの松竹芸能をしのぐ存在にのしあげる。80年には東京に事務所を開設、82年には「吉本総合芸能学院(NSC=ニュー・スター・クリエイションの略語)」を開校。
〈「だって漫才は大阪弁でないとダメですよ」「大阪弁は笑いの共通語ですもん」〉(『吉本興業の正体』)といった芸人志望者の認識が出来たのはこのころだろう。NSCはまた師弟関係という、それまでの芸人の世界の定石を壊し、芸人予備軍の量産を可能にした。中でもダウンタウンは別格だった。彼らが全国的な人気を博したことで、90年代以降、芸人はスターになった。
 こうした「栄光の歴史」の半面、吉本興業には常にスキャンダルがつきものだった。戦前戦後を通じて暴力団との関係が取り沙汰されていたし、ここ十数年だけでも、2011年には暴力団関係者との交際が発覚して島田紳助が引退。19年には所属芸人が反社会的勢力の忘年会に参加していたとされる、いわゆる「闇営業問題」で、複数の芸人が契約解除などに追い込まれている。
 むろん吉本側も、彼らを放置していたわけではない。特に闇営業問題発覚以降はコンプライアンスに注力。15年まで吉本の社員だった竹中功は、次のように述べている。
〈社員だった頃には私自身、講師の役割を負っていた。「酒、男女問題、薬物、金銭、反社」などの項目に関しては、とくに繰り返し注意していた。それだけではなく、時代に合わせて「脱法ハーブ」、ブレーキ装置を持たない、もしくは前後どちらかにしかブレーキを設置していない「整備不良自転車」、「SNS炎上」といった注意事項も加えていった〉(『吉本興業史』)。
 それなのになぜ、今度のような性加害疑惑が発覚したのか。そして吉本はなぜ当初、軽々しい声明を出したのか。
 率直にいえば、やはり事態を甘く見ていたのだろう。芸人が女と遊ぶのなんか当たり前。こんな記事じきにみんな忘れるわ、というような。だが世の中の受け止め方は予想以上に厳しかったのだ。

まさにエントラップメント型の不同意性交
 性被害に対する日本の認識は旧態依然だが、今度の疑惑に関しては、新聞雑誌、ネットメディア等を含め、松本に厳しい意見が目だった。ジャニーズ事件などを通して被害者の心の傷の深さを学んだこと、また23年7月に刑法が改正され、「強制性交等罪(旧強姦罪)」が「不同意性交等罪」に変更されたことも関係していよう。新しい法律では「同意のない性交」はすべて性犯罪と見なされる。法は人々の意識も変えるのだ。
 では、今度の松本のケースは不同意性交に当たるのか。文春の記事によると、当事者は松本の後輩芸人にVIPとの飲み会に来いと誘われ、場所がホテルのスイートルームに変更され、携帯電話を「没収」され、ゲームと称して松本と別室で二人にさせられ、いきなりキスされ、身体を押しつけられている。これは是か非か。
 齋藤梓+大竹裕子『性暴力被害の実際』は「同意のない性交」に至るケースを、見知らぬ相手などに襲われる「奇襲型」、酩酊状態を利用した「飲酒・薬物使用を伴う型」、親族らによる「性虐待型」、当事者を罠にかける「エントラップメント型」の四つに分類し、もっとも多いのはエントラップメント型だと述べている。
〈日常的な関係性や会話の中で、加害者は、自分の権威を高めるような言動、当事者を貶めるような言動をし、上下関係を作り出します。当事者はその力関係の中で、加害者に逆らうことができない状態に追い込まれます。そして加害者は、当事者の逃げ道を物理的に遮断し、突然性的な要求を挟み込み、当事者の弱みに付け込む形で性交を強要します〉。これがエントラップメント型。
 松本の場合はまさにこれ。時効が成立しているので刑事告訴はできないが、〈加害者が当事者よりも社会的地位が高く、すでに上下関係が存在している場合には、エントラップメントは容易に進行していきます〉という事例といえる。
 松本人志が裁判に勝つのは難しいだろう。吉本興業の社会的責任も大きい。吉本はすでに一介の芸能プロではなく、国政や大阪府市政とも関係の深い、いわば「政商」だ。大阪・関西万博の「催事検討会議共同座長」を務める大﨑洋は吉本興業の前会長である。そこまで勢力を伸ばしても、意識は昔のままだった。
〈女はコメディアンに向いていない〉という松本の意識も更新されていなかったのだろう。女を見下す者は、いずれ女に復讐される。文春で証言した女性は、ジャニーズ事件の告発者に勇気づけられ話す気になったと述べている。まさに#MeTooである。

【この記事で紹介された本】

『「松本」の「遺書」』
竹中功、角川新書、2020年、990円(税込)

 

〈お笑いに魂を売った男〉(カバー紹介文より)。上げ潮に乗っていた時期の松本らしく強気の発言が目立つコラム集。〈初めて会った女を数時間のうちにSEXまで持ち込むとき、かなりのユーモアとサギ的な要素が必要〉〈男たるものその日に会った女をいてこますぐらいのパワーがなければならない〉など、今読むとヤバイ箇所も。笑いに対するストイックさは理解するが独善的。

『吉本興業史』
竹中功、角川新書、2020年、990円(税込)

 

〈「芸人は商品だ。よく磨いて高く売れ!」〉(帯より)。1981年に事務方として吉本興業に入社、関連会社の取締役などを経て2015年に退社した著者による私的吉本史。創業以来の発展と変転の歴史を追うほか、暴力団とのただならぬ関係や近年の闇営業問題など、吉本の負の側面にも言及する。比較的公平な視点で書かれており、著者に松本事件への感想を聞いてみたいと思わせる。

『性暴力被害の実際――被害はどのように起き、どう回復するのか』
齋藤梓・大竹裕子編著、金剛出版、2020年、3080円(税込)

 

〈性暴力被害とは何か――。〉(帯より)。望まない性交を体験した当事者31人へのインタビューと20人の体験談をもとに、主に心理学・精神医学の立場から、同意のない性交に至るプロセス、当事者の人生に及ぼす影響、回復への道と必要な支援などを詳述する。不同意性交等罪成立前の本なので、現在とは観点が少し異なるが、このような研究が法改正につながったという意味でも貴重。

PR誌ちくま2024年3月号

 

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