世の中ラボ

【第154回】
母と娘の「地獄」

ただいま話題のあのニュースや流行の出来事を、毎月3冊の関連本を選んで論じます。書評として読んでもよし、時評として読んでもよし。「本を読まないと分からないことがある」ことがよく分かる、目から鱗がはらはら落ちます。PR誌「ちくま」2023年3月号より転載。

 ここ数年、よく聞くようになった言葉に「親ガチャ」「毒親」というのがある。親ガチャは「子どもは親を選べない」ことをゲームのガチャにたとえたスラング。毒親は過干渉、過保護、虐待などで、子どもに悪影響を与える親を指す呼称だ。
 必ずしも好きな言葉ではないものの、言葉が作られることではじめて顕在化し、社会問題として認識できる場合もある。
 少し脱線すると、ルナールの『にんじん』や下村湖人『次郎物語』は、親ガチャ、毒親の物語だったんだと最近私は気がついた。描かれているのはかなり問題のある母親の姿である。なぜこれらが昔、子どもの必読図書だったのか、謎というほかない。
 認識が広がることで、はじめて自身の体験を率直に語れるようになるケースも少なくないはずである。
 青木さやか『母』はその一例かもしれない。亡き母との関係を軸に、自身の半生を振り返った自伝的エッセイで、お笑い芸人・タレントとして成功するまでや、その後の日々も読ませるけれど、同時にこれは、母の呪縛が子どもにどう影響し、娘がそこからどう自立したかを示すケーススタディとしても興味深いのである。

母を恨んだ先に待っていたもの
 いささかショッキングな告白からこの本ははじまる。
〈もし、母が選べるのだとしたら、わたしはこの母を決して選ばなかった。わたしはアンラッキーだ。どうしてわたしには、この母が割り当てられたのだろう〉。
 彼女の母は国語の教師だった。
〈子どものわたしにとって、母は絶対者だった。母が白と言えば白で、黒と言えば黒だった。わたしは母のようになりたかった。(略)そして、わたしはいつも、母に褒めてほしかった〉。
 だが思惑はことごとく外れる。〈今日テストね、85点だったよ〉といえば〈次は100点とらなきゃね〉。ピアノの発表会で念願の「エリーゼのために」を弾くと報告しても〈「エリーゼのために」は、去年、もうえりちゃんは弾けてたねえ〉。
 何をしても母は褒めてくれない。〈それは、わたしが劣っているからだ〉と彼女は考える。〈もっと、勉強ができれば、もっと、いい子になれば、もっと、ピアノがうまかったら、褒められるに違いなくて、わたしが足りてないから褒められないのだ。そういう理解だった〉。母は世間体を気にしていた。〈外からどうみられるのか、それは母にとってはとても大事なことだったのだと思う〉。
 世間体を気にしていた母はしかし、彼女が高校生のときに父と離婚する。以後は自室に鍵をかけ、母とは会話もしなくなった。
〈「あなたなんか産まなきゃよかった」/と言われた。/わたしは本当に産んでくれなかったらよかったのにと心から思い、/「こっちのセリフだ」/と言い返した〉。
 けっこうヤバイ感じの母娘関係である。
 二六歳で彼女は上京し、母から離れることに成功したが、芸人として売れても〈有名になったら埋まると思っていた孤独は、全く埋まらなかった。それどころか知らない人が自分を知っているということに、恐怖を感じた〉。結婚と出産を経験し、自分が母親になっても、母へのわだかまりは消えなかった。
 生まれたばかりの娘を抱こうとした母を前に、彼女は考えるのである。〈わたしは、あなたがいましているような無償の愛のような眼差しを向けられたことがない。いつも窮屈で、評価され、いい子でいなくてはならなかった、あなたのために〉。そして〈こんなに母を憎んでいたのかということに気づいて驚いた〉。
 過剰な期待をかけられた親の呪縛に、大人になっても縛られる。このようなケースは、珍しくないのかもしれない。
 齊藤彩『母という呪縛 娘という牢獄』は、母と娘のこじれた関係が最悪の結末を迎えた事例の報告である。
 2918年3月、滋賀県で頭部や手足を欠いた胴体だけの遺体が発見された。被害者は母、容疑者は娘だった。〈母は、自殺しました。遺体は私がバラバラにして、現場に捨てました〉と娘は主張するも、警察は殺人を疑う。〈モンスターを倒した。これで一安心だ〉という彼女のツイッターが見つかったのだ。
 母は五八歳。娘の髙崎あかり(仮名)は三一歳。医科大学の看護学科を卒業したばかりで、看護師としての勤務先も決まっていた。が、そこに至るまでの経緯は想像をはるかに超える。
 母は娘を医学部に入れようとしていた。そのため、あかりは高校卒業後9年もの浪人生活を強いられたのである。
 子どもの頃から、母は娘に過剰な期待を抱いていた。学力テストは90点が最低ライン。小学校二年生で89点をとった日、あまりの点数の悪さに、あかりは〈お母さん、仕事の帰りに交通事故に遭ってくれないかな……〉と考える。案の定母はいった。〈何この点数。いったいどうしたの !?(略)/こんな点数じゃ、附属なんて行けないよ? バカ学校にしか入れないよ?〉。
 五年生のとき母はパートをやめて専業主婦になり、父は職場近くの寮に単身赴任し、事実上の別居生活となった。
 母が「バカ学校」と呼ぶのは公立中学のこと。しかし中学受験では第一志望の滋賀大学教育学部附属中学の入試に抽選で外れ、カトリック系の私立校に進んだ。その後も母の虐待は止まらなかった。詰問、罵倒、命令、蒸し返し、脅迫……。成績表を改竄し、太股に熱湯をかけられたこともある。〈病院に連れて行ってあげるから、勉強中にうっかり飲み物をこぼしたって言いなさい〉。
 医学部に行きたいといったのはあかりだが、まもなくそれは無謀な望みだと悟る。第一志望の滋賀医科大には看護学科もあり、それが現実的な選択肢ではないかと思ったが、母が許さなかった。このへんから、母の言動は明らかに常軌を逸していく。
 全ての大学に落ち、浪人生活に入ってから、それでもあかりは何度も抵抗を試みているのである。家出をし、信頼していた高校の教師のもとに逃げたのは三度(そのたびに家に連れ戻された)。とにかく家を出たいと、独断で浜松医科大に願書を出し、置き手紙をして浜松にも向かった(母の通報を受けた父が浜松で待ち構えていて、やはり連れ戻された)。寮のある会社の就職試験も受けた(合格を知らせる電話に母が出て勝手に断った)。
〈まるで、囚人のような生活。「カゴの中の鳥」などという生やさしいものじゃない。そんな私に、鬼の看守は「逃げても無駄」「あきらめて服従しろ」と呪いの言葉を連発してくる〉。
 青木さやかの場合は、それでも二六歳で上京し、彼氏との同棲生活を送り、なかなか芽が出ない中であがきながらも自ら選んだ芸人という仕事があった。だが髙崎あかりは二十代のほとんどを、母と向き合って暮らさなければならなかった。この差は大きい。
 髙崎母が娘に固執した理由のひとつは、アメリカ在住であかりの学費も出してくれた自身の母(あかりの祖母)への見栄も大きく作用している。〈……言えない! あんたがどこにも受からなかったなんて恥ずかしくて言えないっ!〉。彼女が看護学科にやっと志望を変更できたのは、9年の浪人生活を経た後だったのだ。

理想を求める母の呪縛
 青木さやかの母がなぜ娘を責め続けたのか、髙崎あかりの母がなぜ医学部受験に固執したのか、真の理由はわからない。ただ、そこに母としての理想が関与していたのは明らかだろう。
 オルナ・ドーナト『母になって後悔してる』はイスラエル人社会学者による研究書だが、そこで著者は、母親たちは貧困や仕事と家庭の両立などに悩んでいるだけではないと述べている。〈多くの母は、別の、おそらくもっと微妙な問題に苦しめられている。それは、新自由主義と資本主義の「完璧であれ」という精神だ〉。
 先の二組の母娘もこれに当てはまるのではないか。〈このモデルによると、「正常な母性」が起こり得る「正常な状況」があり、常にそれらを達成するために努力する必要がある〉。
 理想が先にあり、そこに合致しなければ失格と考える。
〈かつては到達できなかった理想が、現在では達成可能と見なされているわけだ〉。結果、〈女性は完璧を目指す競争の中で一瞬たりとも休むことができないということだ〉。
 以上は「理想の母親像」に関する考察だが、理想の母親を目指す人は自ずと子にも理想を求める。あかりが母を殺害したのは、看護学科を卒業し、ようやくひとりで歩み出そうとした時に、今度は母が助産師学校の受験を強要してきたためだった。これは受験に対する一種のアディクション(嗜癖)に近い。
 一度こうなってしまった母は覚醒できるのか。あるいは子どもが母の呪縛から解放される道はあるのだろうか。
〈誰も狂った母をどうもできなかった。いずれ、私か母のどちらかが死ななければ終わらなかったと現在でも確信している〉。
 陳述書にそう書いた髙崎あかりが、二審でようやく自らの罪を認め、すべてを告白したのは、一審の判決文と父の支援がキッカケだった。〈誰にも理解されないと思っていた自分のしんどさが、裁判員や裁判官に分かってもらえた〉と感じた、と。
 一方、青木さやかはママ友たちとの交流が大きかったと述べている。〈母から植え付けられてきた、「こうあらねばならない」という固定観念は、なかなかわたしから消えないのだが、彼らと話していると、少しずつ溶けていく感じがした〉。
 二人の体験談は示唆的である。親と子、特に母と娘の関係は密室化しやすく、煮詰まりやすい。呪縛を解くには第三者との関係を持つこと、換言すれば外の風を入れることが必要なのだ。

【この記事で紹介された本】

『母』
青木さやか、中央公論新社、2021年、1540円(税込)

 

〈憎んでたんじゃない、愛されたかった〉(帯より)。婦人公論jpの連載から生まれた自伝的エッセイ。亡き母との関係を柱にしつつも、上京後の生活(パチンコにハマり、消費者金融で金を借り、ホステスのバイトをし、雀荘に入り浸り……)から、売れっ子になった後の多忙な毎日、そして結婚・出産・離婚・二度のガン手術まで読みどころ満載。多くを語りすぎない抑えた筆致が好感度大。

『母という呪縛 娘という牢獄』
齊藤彩、講談社、2022年、1980円(税込)

 

〈「医学部9浪」の娘はなぜ母を刺殺したのか〉(帯より)。娘を縛り続けた母と地獄からの脱出を願って母を刺した娘。公判を傍聴し拘置所で被疑者との面会を重ね、刑務所移送後も膨大な量の手紙を交換してきた元共同通信記者によるノンフィクション。ちなみに髙崎あかりは一審で懲役15年を言い渡されるも、二審で懲役10年に減刑。検察・弁護側とも上告せず21年に刑が確定した。

『母親になって後悔してる』
オルナ・ドーナト/鹿田昌美訳、新潮社、2022年、2200円(税込)

 

〈子どもを愛している。それでも母でない人生を想う〉(帯より)。イスラエル人の社会学者による研究書。もし時間を巻き戻せたら再び母になることを選ぶか、という質問に「ノー」と答えた23人の女性にインタビューし、「母」をめぐるさまざまな現象や感情を考察する。世界中で話題になり、日本ではNHK「クローズアップ現代」(22年12月)が取り上げて、大きな反響を呼んだ。

PR誌ちくま2023年3月号