世の中ラボ

【第155回】
いまこそ読もう、鉱山文学

ただいま話題のあのニュースや流行の出来事を、毎月3冊の関連本を選んで論じます。書評として読んでもよし、時評として読んでもよし。「本を読まないと分からないことがある」ことがよく分かる、目から鱗がはらはら落ちます。PR誌「ちくま」2023年4月号より転載。

 日本は資源に乏しい国といわれているが、かつての日本は金銀銅鉄のほか、多様な有用鉱石を産する国だった。実際、1960年代の高度成長期には、日本地図上のいたるところに「父」の字に似た鉱山の地図記号を見ることができた。
 日本で本格的な資源開発がはじまったのは室町時代だ。戦国大名の支配下で、鉱山は興隆に向かった。近代の著名な金属鉱山は、この時代に開かれたものが多い。
 探鉱および採鉱技術の限界もあって江戸中期には一度衰退した鉱山が、再び息を吹き返すのは明治である。明治政府は鉱業を殖産興業の支柱と位置づけ、衰退した鉱山の再開発に乗り出したのだ。その過程で活躍したのが、いわゆるお雇い外国人、フランスやドイツから招かれた鉱山技師だ。ダイナマイトによる開削、軌道の敷設とトロッコによる人と鉱石の運搬、選鉱や製錬の機械化など、急激な近代化が図られたのは彼らの力による。
 ってなことをなぜ突然書いているかというと、この後、鉱山文学(鉱山を舞台にした小説)を紹介しようと思っているからだ。半分は私の趣味だが(私、鉱山ファンです)、それだけでもなく鉱山文学は客観的にも重要なジャンルだとは私は考えている。
 かつて鉱山が興隆をきわめたのは過去の話。60年代後半以降、日本中の鉱山が廃鉱に追い込まれた。石灰鉱山(セメントの原料となる石灰の採取場。国産で唯一百パーセントまかなえる鉱物)を除くと、最盛期には数千(一説によれば八千)あったとされる鉱山のうち、現役の金属鉱山は、菱刈金山(鹿児島県)一鉱のみだ。
 ちなみにその後の廃鉱山の多くは放置され、森の中に埋もれている。だが90年代以降、文化庁の補助事業として近代化遺産を保全する動きが加速、規模の大きい主要な鉱山は坑道を含めた野外博物館として整備され、第二の人生を歩んでいる。
 私のような軟弱な鉱山ファンでも鉱山見学を楽しめるのは、そのおかげである。鉱山文学が重要なのも同じ理由。つまり文化の保全である。せめてフィクションの形で残しておかないと、ここでの人々の営みは完全に忘れられてしまうだろう。

石見銀山の少女、生野銀山の少年
 というわけで、鉱山を舞台にした小説。
 この分野で先駆的な一冊をあげるとしたら、新田次郎『ある町の高い煙突』(1969年)だろう。明治末期から大正にかけての日立鉱山(茨城県)を舞台に、煙害(製錬所から排出される亜硫酸ガス)と戦う人々を描いた名作である。新田次郎は山岳小説の書き手というイメージが強いが、気象台に勤務する気象学者でもあり、この作品でもその知見が存分に生かされている。
 そして今年1月、鉱山文学がついに直木賞を獲得した。石見銀山(島根県)を舞台にした千早茜『しろがねの葉』である。
 石見銀山は2007年にユネスコ世界文化遺産に登録され、観光地としてもにわかに注目を浴びることになった鉱山だ。
『しろがねの葉』の舞台は、銀山が最盛期を迎えた戦国末期から徳川時代初期の石見である。
 主人公のウメは幼い頃から暗闇でも目の利く子どもだった。生まれたのは食うや食わずの貧しい農村。〈山を二つ、三つ越えた石見の国にな、光る山があるんじゃと〉〈銀を掘れば米が食えるそうな〉という噂はあったが、誰も本気にしてはいなかった。
 ある夜、ウメ一家は隠田の米を盗み婆を残し逃散しようとして村人に追われる。泣いた弟を手にかける父を見てウメはひとり逃亡。山師(新しい鉱脈を発見し開発する仕事)の喜兵衛に拾われるのだ。
 石見はウメが育った村とは大違いだった。
〈屋敷の外に広がっていた町並みにウメは仰天した。/見たこともないくらいたくさんの家々が建ち並んでいる。大八車や人足が行き交い、そこかしこに物売りがいて四方八方に声をかけている〉。
〈知っておけ。おまえはここで生きていくほかないんじゃ〉〈冬山は越えられん。ここで生きていく術を身につけるんじゃ〉。
 こうして喜兵衛の手子(下働き)となったウメは、喜兵衛の下で読み書きを覚え、山の知識を学び、やがて間歩(坑道)の花形・銀掘りになりたいと夢見るようになる。〈うちも間歩で稼ぐ〉〈喜兵衛が死んでも、食うていけるようにじゃ〉。
 当時の鉱山は女人禁制。ウメも当初は奇異な目で見られたが、夜目が利くという鉱山では有利な身体的特性に加え、持ち前の負けん気で男たちにも一目置かれる存在になってゆく。
 だが関ヶ原合戦後、鉱山が徳川の支配下に入ると、かつての自由な気風は失われ、さらにウメも身体も大人に近づいて、間歩に入れなくなる。〈年頃のおなごがおると皆の気が散る〉〈うちはおなごじゃのうて、ウメじゃ! 喜兵衛の手子じゃ!〉。
 はたしてウメは銀掘りになれるのか!
 時代は下り、玉岡かおる『銀のみち一条』(上下)の舞台は明治から大正にかけての生野銀山(兵庫県)である。
 江戸期まで狭い坑道が無秩序に走る非効率的な鉱山だった生野銀山は、明治初期、フランス人鉱山技師ジャン・コアニエの指導によって、日本有数の近代的な鉱山に生まれ変わった(現在の生野銀山は「史跡生野銀山」として整備されている)。
 一二歳から坑夫になり一七歳で鉱山一の働き頭に成長した叶野雷太。鉱山の共済病院院長の令嬢である浅井咲耶子。鉱山長屋育ちで生野一の人気芸者になった芳野(お芳)。雷太の幼なじみで浅野家の書生になったフランス人クォーターの北村伊助。物語は、出自も立場も異なる若者たちを中心に展開する。
 煉瓦造りの近代的な工場が建ち並ぶ生野銀山の構内にはじめて足を踏み入れた日、雷太は目を見張る。
〈目を上げるだけで、もくもくと煙を吐き出す煙突が天に向かって林立しているのも見えた。選鉱所、乾鉱所、搗鉱所に焼鉱所。屋根を震わせて活動している工場群が眼前にある。/水力発電に火力発電、豪快な文明のエネルギーを用いて、何台もの機械をめいっぱいに運転し、たゆむことなく操業しているそのさまは、まるで山が一つの生き物のようにも見える〉。
 江戸期と異なるのは設備だけではない。資本主義下の階級がこの時代の鉱山にははっきり存在していた。民間に払い下げられた銀山では、鉱山長、各工場長、技術者クラスは東京の本社から赴任しており、この階級差が人間関係を決定づける。
 逆に近世と近代の鉱山に共通するのは、常に事故と隣り合わせであること、また、じん肺などの鉱山病で坑夫は長生きできないと認識されていたことである。雷太は一二歳で落盤事故に遭い、自分ひとりが生還した体験を忘れることができない。
〈まるでこの世の終わりのようなすさまじい轟音とともに、動くはずのない壁が、天井が、地面が、吼えて撓んだ。一瞬だった。あとは、世界を閉ざされ、のしかかる落石で身じろぎもできないまま、目の前で父を喪い、みずからもまた死をかいま見た〉。
 五日目に救出されるも、それから何年も雷太は口がきけなくなった。都会とも農村とも異なる社会がそこにはあったのだ。

尾去沢鉱山の中の父
 一転、昨年七月の芥川賞候補になった小砂川チト『家庭用安心坑夫』の舞台は現代。一見、これはシュールな作品である。
 主人公の小波は東京に住む専業主婦。その日、彼女は東京にいるはずのない人物と出会う。その人は駅から自衛隊の大規模ワクチン接種センター(ということは時期はコロナ下だろう)会場に向かう途中の道で「ワクチン接種会場こちら」と書かれたプラカードを持って立っていた。小波は驚く。〈なにしろツトムはいまも秋田にいるはずで、それも《マインランド尾去沢》の暗い鉱山の奥底にいるはずだった〉からだ。
 そして話はこう続くのだ。〈尾去沢ツトムは、小波の父だった〉。厳密には〈あれがあなたのお父さんよ〉と母に言い聞かされてきた相手だった。彼は廃鉱山の〈坑道の中腹に立っている、坑夫を模したマネキン人形のうちの一体だった〉。
 マインランド尾去沢(現在の名称は「史跡尾去沢鉱山」)とは、石見や生野ほどメジャーではないものの、やはり博物館として整備された尾去沢鉱山(秋田県)の現在の姿である。
 坑道にマネキン人形がいるのは廃鉱山ではよく見る光景だ。しかし「墓参り」と称して母にたびたび坑道に連れてこられた小波にとって、そこは特別な場所。小波の妄想は膨らみ、やがてツトムが憑依し、父と自分の境界も曖昧になっていく。
 前二作が「生きていた頃」の鉱山を描いているのに対し、『家庭用安心坑夫』の対象は「死んだ後」の鉱山である。終盤、小波がツトム(の人形)を坑内から連れ出すシーンはまるで死体搬送のよう。
 普通に考えれば、これは「心が壊れた人」の物語だろう。だがそのように読んでも、何もおもしろくないのである。
 廃鉱山は時間が止まったまま凍結された空間だ。小波はそんな廃鉱山の、ゾクッとするような魅力を誰よりよく知っている。骨組みだけの廃墟やハゲ山の前で彼女は〈その最盛期の活況をここに復元してみようとする〉。肉をつけ色をつけ管に水を通し、匂いや金属音や煙や熱を立ち上げ、その中を歩く自分を想像する。〈ああ! 小波には、このようなことを考えている時間がほかのなによりも楽しかった〉。
 このような体質の人が坑道に閉じ込められた「父」の救出に向かうのは当然ではなかろうか(マインランド尾去沢の坑道には、実際、多数のマネキン人形が閉じ込められている)。鉱山ならぬ廃鉱山を描いた作品。鉱山文学の新機軸というべきだろう。

【この記事で紹介された本】

『しろがねの葉』
千早茜、新潮社、2022年、1870円(税込)

 

〈戦国末期、シルバーラッシュに沸く石見銀山。天才山師・喜兵衛に拾われた少女ウメは、銀山の知識と未知の鉱脈のありかを授けられ、女だてらに坑道で働き出す〉(版元HPより)。ライバルとして出会い後にウメと結婚する隼人。喜兵衛の下で働くヨキ。ウメを姉のように慕う青い目の少年・龍……、多彩な人物を配しつつ、物語の後半は成人後のウメを描く。23年1月期の直木賞受賞作。

『銀のみち一条』
玉岡かおる、新潮文庫、2011年、各649円(税込)

 

〈千二百年もの間、日本に銀をもたらし近代鉱業の中心となった生野銀山。その但馬の地に生まれつき、明治の時代を生きた三人の女がいた。(略)。彼女たちの胸の中には、生涯忘れられない男として刻まれた、孤独な坑夫、雷太 ―― 〉(版元HPより)。上巻は主役の四人の少年少女時代と咲耶子の恋愛騒動を、下巻では新坑開発、落盤事故、坑夫たちのストライキなどが描かれる。初版は08年。

『家庭用安心坑夫』
小砂川チト、講談社、2022年、1540円(税込)

 

〈現実・日常と幻想・狂気が互いに浸蝕し合いながら、人間の根源的恐怖に迫っていく作品。想像力と自己対話によって状況を切り抜け成長していく主人公は不可思議で滑稽な言動と行動に及ぶが〉(版元HPより)。「父」の字に似た鉱山の地図記号と坑道の中の「父」、「安心坑夫」と「安心毛布」が被って見える不思議な作品。22年の群像新人賞を受賞し、芥川賞候補にもなったデビュー作。

PR誌ちくま2023年4月号

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