土偶ブームが続いている。端緒を探れば、2009年に大英博物館で開催された「土偶の力:古代日本の陶像」展あたりが最初のムーブメントだっただろうか。18年夏に東京国立博物館で開催された特別展「縄文 1万年の美の鼓動」が予想を超える盛況を博したこと、21年に「北海道・北東北の縄文遺跡群」がユネスコ世界遺産に登録されたことなども特筆されるだろう。
このような土台があった上で、21年、大きな話題を集めた本があった。竹倉史人『土偶を読む』である。副題は「130年間解かれなかった縄文神話の謎」。一読、おもしろいなあと思った私は週刊誌に書評も書いた(「週刊朝日」21年7月)。
この本が今また、別の意味で話題になっている。反論本、望月昭秀(縄文ZINE)編『土偶を読むを読む』が出たためだ。
『土偶を読む』は考古学の専門書ではなく、著者は考古学者でもない。だからこそ奇想天外、破天荒な発想がおもしろかったのだけれど、その後の持ち上げられ方はいささか想定外だった。
21年11月、『土偶を読む』はサントリー学芸賞を受賞した。このへんで私も「あれあれ?」とは思ったのだが、『土偶を読むを読む』によると、問題はそれだけではなかったらしい。出版当日に放送されたNHKの情報番組や著名な知識人(養老孟司、鹿島茂、中島岳志、いとうせいこう、松岡正剛ら)の後押しもあってこの本は過大に評価され、22年にはビジュアル版に相当する子ども向けの『土偶を読む図鑑』(小学館)まで出版された。
奇想が売りに見えた『土偶を読む』はあれよあれよという間に知識人や教育界の「お墨付き」を得てしまったわけである。いったい何が問題だったのか。あらためて二冊セットで読んでみた。
遮光器土偶はサトイモの精だった⁉
〈私は宣言したい。――ついに土偶の正体を解明しました、と〉。
そんな威勢のいい啖呵から『土偶を読む』ははじまる。
「土偶は女性をかたどっている」「土偶は人体のデフォルメだ」といった「通説」に著者は真っ向から異を唱える。
〈こうした〝通説〟は、私には途方もなくデタラメなものに感じられた〉。〈はたしてこれが女性の姿に見えるだろうか?(略)土偶の身体はそもそも人体の形態に類似していない〉。
それに代わって竹倉が提出したのは〈土偶は縄文人の姿をかたどっているのでも、妊娠女性でも地母神でもない。《植物》の姿をかたどっているのである〉。〈土偶は当時の縄文人が食べていた植物をかたどったフィギュアである〉という仮説である。
『土偶を読む』は右の仮説を証明するための本なのだ。
まず「ハート形土偶」と呼ばれる、頭がハート形の土偶(群馬県などから出土)。こんな形の植物は自然界には見当たらない。が、彼は発見するのである。森の中の木にたくさんなったオニグルミの実を。二つに割れば一目瞭然。〈仁を取り出した後のオニグルミの殻は、ハート形土偶の顔に瓜二つだったのである〉。
こんな調子で彼が推理した土偶のモチーフを列挙すると……。
合掌土偶(青森県)・中空土偶(北海道)……クリ
椎塚土偶(=山形土偶。頭が三角形。茨城県)……ハマグリ
みみずく土偶(頭の形が複雑。埼玉県)……イタボガキ
星形土偶(頭の形が星形。千葉県など)……オオツタノハ(貝)
縄文のビーナス(丸い下半身が特徴的。長野県)……トチノミ
結髪土偶(束ねた髪型が特徴的。青森県など)……イネ
刺突文土偶(全身にびっしり小さな穴。秋田県など)……ヒエ
そして最後に登場するのが、土偶のアイコンともいうべき遮光器土偶(青森県亀ヶ岡遺跡から出土)だ。大きな目と太い足が印象的な土偶だが、竹倉は紡錘形の四肢に注目して「サトイモの精霊」だと断じる。大きな目に見える部分は〈子イモを取り外した跡〉、体表の紋様は〈芋茎の断面の渦巻きをモチーフにしたもの〉、乳首のような二つの突起は〈サトイモの芽〉なのだ、と。
土偶の形や紋様に着目し、自然界から似た造形の植物や貝を探し出し、当該生物の分布を示し、ほれこの通りと結論する。「ほんまかいな」と思いながらも、つい乗せられる牽強付会芸。ケッタイな説を大マジメに論じる姿に私も爆笑したくらいである。これだけだったら、ただの一風変わったオモシロ本ですんだのだ。
ところが前述したように『土偶を読む』は過大に評価された。
『土偶を読むを読む』は、この現象を指して〈もしかしたら少し深刻なことなのかもしれない〉と述べる。なぜなら〈実は世間一般の評価と対照的に、『土偶を読む』は考古学界ではほとんど評価されていない〉からだ。自由な着想は大切だが〈現在の資料や事実に基づかない想像は、いくら楽しくても「妄想」でしかない〉。
では『土偶を読む』のどこがどう問題なのか。
メインの論文「検証 土偶を読む」(望月昭秀)は、竹倉説を検証するにあたり、①イコノロジー(見た目の類似)、②編年と類例(長期間の形態の変化)、③該当の食用植物の利用(植生や栽培)、という三つの観点を採用する。『土偶を読む』は①を中心に考察(妄想?)を繰り広げた本で、③も一応考察されてはいるものの、②はほぼ考慮されていない。それを加味して検証し直すと……。
オニグルミに認定されたハート形土偶は正面から見た写真の印象でしかなく、初期の類例土偶はハート形をしていない。
クリに認定された中空土偶(カックウ土偶)には重要な視点が抜けている。この土偶にはじつは頭の上に欠損部分と思われる二つの穴があいていて、他の類似土偶を参照すると、ここにはラッパ状の突起がついていた可能性が高い。だとするとクリ仮説はたちまち破綻する。同じくクリに認定された合掌土偶は平たい顔で〈検証するまでもなくクリには似ていない〉し、クリのイガだとされた身体の紋様も同時代の縄文土器からの転用と考えられる。
同じくハマグリとされた山形土偶は楕円形や四角形などのバリエーションも多く、実物を見れば二枚貝の特徴や痕跡は見当たらない。イタボガキとされたミミズク土偶の装飾的な頭の形は、時に櫛なども用いた髪型と推定され、同じ遺跡から櫛も出土している。
トチノミとされた縄文のビーナスも、出土地の中部高地では縄文中期にトチノキはほとんど利用されていなかったし、イネがモチーフとされる結髪土偶の時代に稲作は始まっておらず、ヒエがモチーフだという刺突文土偶の時代にもヒエは栽培されてなかった。遮光器土偶サトイモ説も同様で、サトイモは熱帯性の植物で〈北東北で、サトイモが利用されていたという証拠は見つかっていない〉。
①②③いずれの観点からも、まあメタメタである。〈ほとんどのものはネットで土偶の写真と食用植物の写真を見比べて同定していったように思える〉と望月はいう。〈『土偶を読む』での実証データとの主張を一つひとつ読み解き、ファクトチェックしてみれば、かなりの部分で恣意的な運用が目立ち、事実からはかけ離れてしまっている。これを考古学者に評価しろとは無茶な話だ〉。
一歩間違えば歴史修正主義
ベストセラーの内容に問題があるとして、反論本が出たケースはこれまでにもあった。大宅賞を受賞した山本七平(イザヤ・ベンダサン)『日本人とユダヤ人』を批判した浅見定雄『にせユダヤ人と日本人』、妹尾河童『少年H』を批判した、山中恒+山中典子『間違いだらけの少年H』などが代表的な例である。
『土偶を読む』と『土偶を読むを読む』の関係も構図としては一緒だが、望月チームがカチンときた理由のひとつは、竹倉が既存の考古学に対して必要以上に敵対的だった点かもしれない。
〈一三〇年以上も研究されているのに、いまだに土偶についてほとんど何もわかっていないというのは一体どういうことなのだろうか〉という挑発にはじまり、〈もし「土偶は植物や貝類をかたどっている」という仮説が見当違いならば、これほど多くの土偶の造形が有意味化されることはあり得なかったであろう〉と自画自賛。はては〈今後の考古研究によって私の仮説が追試的に検証され、遠くないうちに「定説」(略)として社会的に承認されることを私は望んでいる。そうなれば、いずれ学校教科書の記述も改められるだろう〉と豪語する。この部分は冗談半分だったとしても、学校教科書はおろか、図鑑にするのだって本当は「やりすぎ」だ。
『土偶を読むを読む』に収録された鼎談の中で、ある研究者は〈(『土偶を読む』が)評価されているのは、成果じゃなくて、批判的な姿勢のような気がします〉(小久保拓也)と述べている。これは自戒に値する警句だろう。なぜって権威にゆさぶりをかけるような言説に、私たちはつい喝采を送りがちだからである。
しかし、専門知を軽視する姿勢は想像以上に危ない。一歩間違えば、それは「南京大虐殺はなかった」「関東大震災時の朝鮮人虐殺はなかった」式の歴史修正主義と同じ罠に落ちかねないからだ。
土偶をどう見るかは自由であり、実際、誉田亜紀子『新版 土偶手帖』では、ハート土偶は見たまんまの「愛の証」、合掌土偶は「唇セクシー」、中空土偶は「お洒落番長」、みみずく土偶は「おとぼけちゃん」、縄文のビーナスは「背中美人」、山形土偶は宇宙服を着て三角頭はヘルメット風なので「宇宙系」、そして遮光器土偶にはなぜか「小顔クイーン」という愛称がついている。
この命名も相当無理矢理な感じはするものの、土偶のどこを見るかで、同じ土偶がハマグリにも宇宙系にも化けるのだ。
『土偶を読むを読む』の功績は、たとえ野暮でも、学術的に怪しい主張を放置しないで、きちんと検証してみせたことだろう。怪しい言説を専門家筋が放置した結果どうなるかは、歴史修正主義が政治や教育にまで影を落としている現実を見れば明らかだ。
【この記事で紹介された本】
『土偶を読む――130年間解かれなかった縄文神話の謎』
竹倉史人、晶文社、2021年、1870円(税込)
〈日本考古学史上最大の謎(のひとつ)がいま解き明かされる〉(帯より)。著者は人類学者。「妊娠女性説」「地母神説」といった考古学界の通説に異を唱え、土偶は当時の縄文人が食用にしていた植物や貝の精霊だと主張。多数の図版を駆使して、土偶とモチーフになった生物との類似を論じる。文章も闊達でオモシロ本として読むには最高だが、反論本を読んだ後で読み直すと、杜撰さが目立つ。
『土偶を読むを読む』
望月昭秀(縄文ZINE)編、文学通信、2023年、2200円(税込)
〈土偶の正体を解明した? そんなわけあるかいっ!〉(帯より)。「縄文ZINE」は都会人のための縄文マガジン、編者はその編集長。『土偶を読む』の主張は本当なのかという問題意識の下で、右の本の内容を詳細に検討した反論の書。編者に加え考古学者ら九人の論者が論文・対談・鼎談などで参加しており、縄文研究の研究史や最前線にもふれることができる。編集に工夫があって好感度大。
『新版 土偶手帖――おもしろ土偶と縄文世界遺産』
譽田亜紀子著、武藤康弘監修、世界文化社、2021年、1650円(税込)
〈全国のご当地土偶厳選50体を紹介〉(カバーより)。著者は「土偶女子」を名乗る文筆家。土偶は「ゆるキャラの元祖」だと述べ、北海道から九州まで、国宝をはじめとする全50体を紹介する。ポケット図鑑サイズのコンパクトな本ながら、展示・所蔵施設や世界遺産に登録された縄文遺跡の情報も並録。個々の土偶の紹介は印象批評中心で物足りないが、子どもでも読める平易さは買い。