世の中ラボ

【第163回】
大河ドラマに備えて作家・紫式部の人生を知る

ただいま話題のあのニュースや流行の出来事を、毎月3冊の関連本を選んで論じます。書評として読んでもよし、時評として読んでもよし。「本を読まないと分からないことがある」ことがよく分かる、目から鱗がはらはら落ちます。PR誌「ちくま」2023年12月号より転載。

 来年、2024年のNHK大河ドラマ「光る君へ」は紫式部が主人公だ。公式サイトではこんな風に紹介されている。
〈時代は平安/千年の時を超えるベストセラー『源氏物語』を書きあげた女性/「光源氏」の恋愛ストーリーの原動力は/秘めた情熱と想像力 そしてひとりの男性への想い/その名は藤原道長/変わりゆく世を自らの才能と努力で生き抜いた女性の/愛の物語〉
 さらにいわく。〈このドラマ全編を通じて、ときに惹かれ、ときに離れ、陰に陽に強く影響し合うソウルメイト【藤原道長】への、紫式部の深くつきることのない想いを表します〉。
 微妙にウンザリした気分になる。紫式部と道長がソウルメイトねえ。なんでこう「愛の物語」方面に行きたがるかな。諸説あるが、光源氏のモデルは道長だとも書かれていて調子が狂う。
 はじまってもいないドラマにケチをつけても仕方ないが、愛のヘチマのという解釈は古くないか? 関係書籍を読んでみよう。

式部はいかにして作家になったのか
 生没年は不明だが、紫式部の人生をそれなりに辿ることができるのは、彼女が『紫式部日記』および『家集』(自伝的なエッセイと和歌集を合わせた作品)を残しているからだ。
 小迎裕美子『新編 人生はあはれなり… 紫式部日記』は初心者が最初に読むのにピッタリなコミック仕立ての本である。生身の紫式部が歴史の中から飛びだしてきたような臨場感がたまらない。なにせ著者は巻頭でいきなりいうのだ。
〈つらい。苦しい。将来が不安。本当に嫌。あぁ無常。/……笑ってしまうほどのネガティブワードが。/自意識がこんがらがって、こじらせている、平安系絶望女子の姿がそこに!〉。
 そして紫式部の性格は……。〈社交的じゃない。人目を気にしすぎ空気を読みすぎてしまう。傷つきやすい。人から嫌われたくない。不器用。故に、イライラ、クヨクヨ、もんもん、どんより。あるわ〜〜〜。あるある。となってしまいました〉。
 もとはナゴン(清少納言)派だった著者をシキブ(紫式部)派に変えてしまった紫式部とは、どんな人だったのか。
『紫式部日記』の内容は、シキブ(平安ファンの表記にならってこう書こう)の宮仕えの日々(中心となるのは彰子の出産)を綴った、いわばキャリアウーマン日記である。
 シキブが仕えた一条天皇の妃・中宮彰子は藤原道長の娘だが、父の期待をよそになかなか懐妊しない。一条天皇に嫁いだとき、彰子はまだ一二歳。当然といえば当然である。しかも天皇には定子という最愛の妃がいた。ちなみに、この定子に仕えていたのが『枕草子』の著者・清少納言(ナゴン)である。二人の出仕の時期は重なってはいないものの、平安文学界の二大スターはリアルでもライバルだったのだ。二つのサロンは陰と陽。シキブは陰キャ、ナゴンは陽キャ。父に才をひけらかすなと言われて育ったシキブと、父に才能を褒められてのびのび育ったナゴンの対比もおもしろい。
 定子はやがて男子を出産し、二四歳の若さで他界した。帝に嫁いで九年目、彰子もようやく懐妊、難産の末、二一歳で男児を出産する。道長はご満悦だが、シキブは気鬱だ。〈豪華な職場で浮かれてるように見えるかもしれないけどっ/つらいのよー〉。
 シキブが宮中に上がるまでの日々も平坦ではなかった。
 ここから先は、山本淳子『紫式部ひとり語り』を柱に紹介していこう。この本は一人称小説の形で書かれた、いわばシキブの自伝である。シキブの人生を小説化した作品は、ほかにも三枝和子『小説紫式部』(河出文庫)や夏山かほる『新・紫式部日記』(PHP文芸文庫)などが出ているが、私には心の中をあけすけに語る『ひとり語り』がダントツでおもしろかった。
 で、シキブの人生。『ひとり語り』の冒頭でシキブはいう。
〈それにしても私の人生とは、なんとまあ次々と大切な人を喪い続けた人生だったろうか。思えば、この哀しみから目をそらすまいと決めたことが、私を『源氏の物語』作者、紫式部にしたのだ〉。
 幼い頃に母を亡くし、仲良しの姉もほどなく亡くし、姉と慕っていた親友も九州に移転した後に逝ってしまった。
 それでもシキブはタダでは起きない。
〈私は後になって書いた『源氏の物語』で、登場人物たちを次々に私と同じ目に遭わせた〉。光源氏は三歳で母を亡くし、六歳で祖母を亡くす。紫の上も幼くして母を亡くし、祖母も死ぬ。〈さてどう生きる。母がいなくてあなたたちはどう生きるのだ。それは私から彼らへの問いかけだった〉。シキブ、やはり只者ではない。
 少女時代の彼女は漢籍抜きには語れない。父の藤原為時は宮時代の花山帝に講義を授けたほどの文人で、シキブの弟にも漢籍を学ばせていたが、ただ横で聞いていただけのシキブのほうが優秀だった。しかし父は、お前が男でないのが残念だといった。シキブは悟った。学があることをひけらかすまい、と。
 さて、そんなシキブに大きな転機が訪れる。無職だった父が官職を得て越前に赴任、シキブも京を離れてついていくことになったのだ。そんなシキブに手紙を送ってよこした男がいた。またいとこの藤原宣孝である。時にシキブは二六~七歳。宣孝は四六歳。親子ほども年が離れている上に、宣孝はプレイボーイで三人の妻のほかにも愛人がいた。それでも偏屈でひがみっぽい父の下で育ったシキブにとって〈彼の明るく世馴れた性格は新鮮だった〉。
 かくて彼女は宣孝の第四の妻となり、京へ戻って、娘も生まれた。ところが、この結婚はわずか三年で終わる。宣孝が疫病で死んだのだ。〈宣孝に死なれて私がつくづく思い知ったのは、「世」というものの理不尽だった〉。夫の死は彼女を「考える人」に変えた。絶望にくれる彼女を救ったのは物語と、それを介した近隣の女性たちとのふれあいだった。当時、物語は文芸として格下だったが、彼女は物語にのめりこみ、やがて自分でも書きはじめる。
 当時の物語には型にはまったものも多かった。〈それらの作者は一様に男性で、本業の役所勤めの傍ら、いわゆる「女子供」のおもちゃとして作ったものだ。殿方は、女たちはそうした他愛ない作品で満足すると思っていたのだろう。やれやれ、女がどれだけ深くものを考えているかなど、想像すらしていないのだ〉。
 そして彼女は考えた。〈私は、物語を実話仕立てにすることに決めた〉。〈光源氏とあだ名される、理想的な貴公子。在原業平をも超える恋と雅の力を持ちながら、しかし超人ではない。その恋の裏話、失敗談を書こう〉と。作家・紫式部の誕生である。

ビジネスパートナーとしての式部と道長
 こうして短編からスタートした『源氏物語』は好評を博したが、そんな矢先、出仕の話が来た。中宮彰子の女房になれという。道長と正妻倫子の頼みとあれば断ることはできなかった。
 宮中の暮らしにシキブはなじめなかったが、半面、〈『源氏の物語』作者という能力を買われて召し出されたことは私にも察しがついていた〉。帝は漢学が好きで詩作も堪能。亡き定子とも漢詩の話で盛り上がっていたらしい。しかし彰子には漢学の素養がない。シキブの出番だ。彼女は出産後の彰子に漢詩を講じる一方、ひそかに考えていた。〈私には分かる。この『源氏の物語』は、中宮様と帝の間を取り持つ仲立ちになるのだ〉。
 彰子は内裏で帝に『源氏物語』の続きの新本が手元にあることを漏らす。帝は続き読みたさに、彰子のもとに足を運ぶ。読み終えた二人は感想を述べ合って仲が深まる。そして帝は彰子がすでに一二歳の少女ではなく大人の女性であることを知る。〈この、ささやかな存在である物語が、帝と中宮の心の懸け橋になるなどとは、誰も考えはしまい。だが、きっとそうなるのだ〉。
 以上二冊は、シキブを陰キャだが野心のある女性として描いている。なにが「愛の物語」じゃ、なにが「ソウルメイト」じゃ。
 実際、倉本一宏『紫式部と藤原道長』が注目しているのも、強力なビジネスパートナーとしてのシキブと道長の関係である。
 まず紙の問題。仮に一枚1600字で計算すると、『源氏物語』全五四巻に必要な紙は六一七枚。当時の紙は高価で、誰でも手に入るものではなかった。〈紫式部はいずれかから大量の料紙を提供され、そこに『源氏物語』を書き記すことを依頼されたと考える方が自然であろう〉。依頼主は〈道長を措いては他にあるまい〉。
 もうひとつ、道長がシキブに提供したのは取材の機会だ。一見雅な恋物語に見える『源氏物語』は、じつは王権と後宮をめぐる権力闘争の物語でもある。〈これら宮廷政治の機微は、とても自邸に籠った寡婦生活のなかから察知できるものではなく〉、出仕後に見聞した宮廷社会の姿が物語には反映されているはずだ、と。
 かくして『源氏物語』は、はじめから道長に紙を提供され、執筆を依頼されたものだと倉本は結論する。〈紫式部は道長の援助と後援がなければ『源氏物語』も『紫式部日記』も書けなかったのであるし、道長は紫式部の『源氏物語』執筆がなければ一条天皇を中宮彰子の許に引き留められなかったのである〉。
 自分で物語を起草したとする『ひとり語り』の解釈とは微妙に異なるものの、いずれにしても愛のヘチマのという話では全然ない。彼女が色恋の苦しみを身をもって学んだとしたら、浮気者の夫との結婚、そして夫の死が大きかったように思われる。
 シキブが宮中にいたのは三四歳から八年ほどで、シキブが引退した後は娘の賢子も彰子に仕えた。もともと宮中に馴染めず、出仕直後は職場放棄して家に引きこもっていたこともあるシキブ。宮中の権力争いにも辟易していただろう。とはいえ『源氏物語』そのものが権力争いの道具だったとしたら、それはそれでアッパレだ。

【この記事で紹介された本】

『新編 人生はあはれなり… 紫式部日記』
小迎裕美子、紫式部著/赤間恵都子監修、KADOKAWA、2023年、1320円(税込)

 

〈平安系こじらせ女子、紫式部の超ネガティブ日記〉(版元HPより)。紫式部の人生をざっくり知るには好適な本。職場の話題が中心なので、現代の女性にも共感できること大。コンパクトながら勘所はきっちり押さえた親切設計。『源氏物語』登場人物も紹介されている。葵の上は「ツンデレ」、夕顔は「親友の元カノ」、花散里は「いやし系」、明石の方は「僻地の女」。そりゃそうだ。

『紫式部ひとり語り』
山本淳子、角川ソフィア文庫、2020年、968円(税込)

 

〈『源氏物語』誕生秘話を作者自身が語り出す〉(帯より)。著者は『源氏物語』研究の第一人者。『紫式部日記』が一人称で書かれているのと同様に一人称の独白形式。どんな人生を辿って式部が『源氏物語』を書いたのかという動機に重点があり、肉親の度重なる死や夫との死別など、作家・紫式部誕生の背景がよくわかる。中宮彰子への思いやライバル清少納言への批判もおもしろい。

『紫式部と藤原道長』
倉本一宏、講談社現代新書、2023年、1320円(税込)

 

〈『源氏物語』がなければ道長の栄華もなかった!〉(帯より)。著者は「光る君へ」の時代考証も担当する歴史学者。無官の学者の娘が、なぜ世界最高峰の文学作品を執筆できたのか。道長はなぜ類い稀なる権力を誇ることができたのか。少年少女時代からの紫式部と七歳上の道長、それぞれの人生を交互に追う形で構成。二人が同時代に生きたのは偶然ではなかったのだと思わせられる。

PR誌ちくま2023年12月号

 

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