世の中ラボ

【第158回】
安倍元首相銃撃事件のもうひとつの側面

ただいま話題のあのニュースや流行の出来事を、毎月3冊の関連本を選んで論じます。書評として読んでもよし、時評として読んでもよし。「本を読まないと分からないことがある」ことがよく分かる、目から鱗がはらはら落ちます。PR誌「ちくま」2023年7月号より転載。

 安倍晋三元首相銃撃事件(2022年7月8日)からまもなく一年がたつ。容疑者の母が統一教会の信者で、彼が宗教二世だったことから、世間の関心がもっぱら政界と宗教(自民党と統一教会)の癒着に集まったのは周知の事実。本欄でも二度にわたってこの問題を取り上げた(22年10月号、11月号)。
 だが、この事件は別の面からも検証する必要がありそうだ。
 どんな事件にも加害者固有の事情以外に、その時代時代の社会的背景がからんでいる。連続幼女殺人事件(1988〜89年)の宮﨑勤は1962年生まれの「オタク第一世代」とされ、同世代の評論家らが「自分たちの世代の問題」だとして積極的に発言した。
 秋葉原通り魔事件(2008年)の時もそうだった。加害者の加藤智大は1982年生まれ。少年事件として発生した神戸連続児童殺傷事件(1997年。犯行時、容疑者14歳)や西鉄バスジャック事件(2000年。同17歳)の加害者とたまたま同じ年の生まれだったこともあり、やはり世代論が沸騰。彼が派遣労働者だったことから格差社会との関連も論じられた。
 その流れでいくと、安倍銃撃事件の加害者・山上徹也被告についても、同様のアプローチがあってもよさそうに思われる。が、宗教方面のインパクトが強すぎたためか、社会的な背景に関する言及は少ない。はたして事件の背景には何が潜んでいたのだろうか。

ロスジェネ世代と新自由主義
 事件の背景と動機を考える上で、参考になったのが、五野井郁夫+池田香代子『山上徹也と日本の「失われた30年」』である。事件前に山上が投稿したと思われるツイート(2019年10月〜22年6月)をつぶさに検証、著者二人の文章と対談で構成されたこの本の半分は事件に至る経緯、半分は世代論だ。
〈銃撃事件そのものも取り返しがつかないがしかし、山上徹也被告にとっての取り返しのつかなさは、その何十年も前から始まっていた〉。巻頭言で池田は述べている。
 山上はいわゆるロスジェネ、就職氷河期世代に属している。
 五野井の論考によれば、山上は1980年9月、裕福な家庭の三人兄妹の次男として東大阪に生まれた。父は京大卒の土質の専門家だったが、山上が四歳の時にマンションから飛び降り自殺し、一家は奈良に転居。91年、母が統一教会に入信、94年には夫の死亡保険金六〇〇〇万円を献金していた。徹也の述懐では……。
〈オレが14歳の時、家族は破綻を迎えた。統一教会の本分は、家族に家族から窃盗・横領・特殊詐欺で巻き上げさせたアガリを全て上納させることだ。70を超えてバブル崩壊に苦しむ祖父は母に怒り狂った、いや絶望したと言う方が正しい。包丁を持ち出したのその時だ〉(2020年1月26日のツイート)。
 県内有数の進学校に進んだが、金がないといわれて大学進学を断念。親族の援助で専門学校に入るも、一〇年以上後になって母が教会に多額の献金をしていたことを知る。その後、三年の任期で自衛隊に入隊。退役後は資格を取得しながら職を転々としてきた。〈ええ、親に騙され、学歴と全財産を失い、恋人に捨てられ、彷徨い続け幾星霜、それでも親を殺せば喜ぶ奴らがいるから殺せない、それがオレですよ〉(19年10月23日のツイート)。
 一〇代の頃から恵まれているとはいえない人生を送ってきた山上。母の統一教会入信が大きな原因だったのはたしかだが、山上と同世代(1979年生まれ)の五野井はそれだけではないという。〈私や山上被告のような今四〇歳ぐらいの、いわゆる就職氷河期世代における「失われた三〇年」というのがある〉。バブル崩壊後の90年代初頭に社会に出た彼らは当初から就職難に直面した。〈そういった厳しさを経験した世代がこの日本社会には不可視化され、沈殿しているんです〉。貧困が内面化している三〇〜四〇代にとっては〈自分たちが生きている実感もないし、世の中に必要とされているという感じもまったくない。自分はこの世界では主人公ではなく、脇役に過ぎない、と思って、ずっとアウェーのまま不利な闘いの人生を生きていっている三〇年なわけですね〉。
 注意すべきは、この世代には新自由主義時代の自己責任論が埋め込まれているという指摘だろう。原因は社会構造にあるのに、うまくいかないのは自分のせいだと思ってしまう。彼らにとっては〈平坦な日常こそが最も過酷な戦場で、自己責任だし、誰にも頼ることはできないし、その中でこの日常を日々脱落しないでどうやって生き残っていくのか〉で精一杯なのだ、と。
 ことに山上にとっての失われた30年(1990年代〜2020年代)は、一〇歳〜四〇歳、人生のほぼすべてと重なっているのである。事実、犯行の一カ月ほど前のツイートで、山上は〈もう何をどうやっても向こう2〜30年は明るい話が出て来そうにない〉(22年6月12日)と書いている。
 不遇な青春時代をすごしてきて、将来にも希望が見えない。だとしたら〈感情の矛先が安倍元首相に向かったり、社会に向かったり、弱者に向かったりということは全然おかしくないどころか、普通に考えられることですね〉と五野井はいう。もちろんそこから一気に犯罪に向かうのは論理の飛躍があるにしても〈一瞬「もう何でもいいや」「すべてどうでもいいや」と思った瞬間に振り切れてしまうようなことというのは、大いにあるんじゃないか〉。
 この三〇年はまた、ヘイトが浸透して嫌韓がはびこった時代であり、政治離れが加速した時代であり、ネットの暴論が歓迎された時代であり、統一教会が水面下で暗躍した時代でもあった。
 安倍銃撃事件は〈自己責任でどうにもならなくなってバーストする個人というものが、拝金主義の宗教がもたらし、政府によって野放しにされてきた被害と複合的に重ね合わされたときに出てきた事件〉だったという総括は妥当に思われる。

「無敵の人」を生み出す社会
 ロスジェネ世代の困難については、藤田孝典『棄民世代』が詳しく分析している。棄民世代とは〈いわゆる就職氷河期世代と呼ばれていた人々を中心として、政府や企業などから雇用も社会保障も用意されず、そのため生涯にわたり、低所得、生活困窮、単身化、ひきこもりなどの社会問題を抱えさせられた世代の人々〉だと藤田は定義する。具体的には1971年~74年の団塊ジュニア世代および75~84年生まれのポスト団塊ジュニア世代。いわゆるロスジェネ(1980年前後生まれ)より広い世代である。
 安倍銃撃事件の前に出版された本なのだが、注目すべきはここでも犯罪との関連性が指摘されている点だ。
 一例として、藤田は京都アニメーション放火殺人事件(2019年)をあげている。三六人の死者を出したこの凄惨な事件で、自らも大火傷を負った青葉真司被告は1978年生まれ(事件当時四一歳)、やはりロスジェネ世代に属している。三人兄妹の二番目として育ったが、二一歳の時に父が自殺して一家は離散。働きながら定時制高校に通い、派遣会社に登録して職を転々とした。家庭環境も職歴も山上徹也と驚くほど似通っている。
〈秋葉原通り魔事件など過去に起きた事件でも、被告が述べたのは「社会に対する怨恨」と「幸せそうな人々への怨恨」だった。自分にはもうどうあがいても手に入りそうもない幸せを手にしている人や自己実現できている人を、自分の命とひきかえに自分と同じ地平に引きずりおろしたいという欲望、あるいはどうせ死ぬのならそうした人達を道連れにしたいという負の感情は、貧困にあえぐ無数の人々に寄り添ってきた私には、実感として理解できるところもある〉。
 五野井と藤田はともに「無敵の人」という言葉を紹介している。仕事や家庭や社会的信用といった「守るもの」「失うもの」がない人を意味するネットスラングである。〈山上被告は、まさに無敵の人になる直前の状態だった〉と五野井は指摘し、〈「自分なんか生きていてもしょうがない」「自分は社会に必要ない」と思わせてしまう風潮は、それこそ「無敵の人」を大量生産させてしまう温床になりうる〉と藤田は警鐘を鳴らす。
 むろん世代論ですべてを片づけることはできないし、ロスジェネ世代はみな犯罪予備軍だといいたいわけでもない。人を大事にしない社会は犯罪の温床になりうるという話である。
 安倍銃撃事件からあまり時を置かずに出版された福田充『政治と暴力』は、この事件を「劇場型犯罪」と呼ぶ傍ら、〈近年繰り返されてきた無差別殺傷事件にはある一定の傾向が見られる。それは自暴自棄になった人間が、自分ひとりで死ぬのではなく、他者に復讐するために、他者を巻き込んで殺すという状況である〉と述べている。山上被告もまた〈進学や就業に失敗したことを恨んで孤立化し、過激化した。自暴自棄犯罪を引き起こす犯人には、このように格差により社会的に孤立化した個人が多い〉。
 ではどうするか。立ち位置の異なる三冊の本はほぼ同じ結論に至る。〈お題目でもいいから「誰も取り残さない社会」を築いていくこと〉(五野井)。〈人間の価値と尊厳を肯定し、承認していくしかない〉(藤田)。〈孤立した個人を救済し、多様な人々を社会的に包摂できる社会の構築が求められる〉(福田)。
 ロスジェネ、就職氷河期世代という言葉(概念)が耳目を集めたのは2000年代。その象徴ともいえる雨宮処凜『生きさせろ!』(太田出版)が出版されたのは07年である。当時彼らはまだ二〇代で、ロスジェネ問題は若者の問題と捉えられていた。だがそれから一五〜二〇年が経ち、彼らが四〇代を迎えた今、状況はいっそう悪化している。安倍銃撃事件は、ぎりぎりの状態で生きる人を救うことが喫緊の課題であることをあぶり出した事件でもあったのだ。

【この記事で紹介された本】

『山上徹也と日本の「失われた30年」』
五野井郁夫、池田香代子、集英社インターナショナル、2023年、1760円(税込)

 

〈宗教2世の政治学者×「100人の村」著者〉(帯より)。山上と同世代でカトリックの家庭に育ったロスジェネ世代の五野井と、その親世代に当たる池田の対談を中心に構成。安倍銃撃事件前に山上が投稿した1300件あまりのツイートを分析し、事件の背景に横たわる社会構造を探る。世代の異なる二人の対話は時にすれ違うものの、そこから逆にロスジェネ世代の特質が浮かびあがる。

『棄民世代――政府に見捨てられた氷河期世代が日本を滅ぼ』
藤田孝典、SB新書、2020年、946円(税込)

 

〈彼らの老後と私たちの未来はどうなるのか⁉〉(帯より)。自身もロスジェネ世代(82年生まれ)に属し、首都圏で生活困難者の支援活動を行ってきた著者が、政府の無策を背景に、四〇代を迎えた彼らがどんな老後(きわめて悲惨!)を迎えるかを予測する。この世代の暴発によって起きた犯罪にも言及。刑事事件の被疑者はたいてい生活苦を抱えているという弁護士の言葉が印象的だ。

『政治と暴力――安倍晋三銃撃事件とテロリズム』
福田充、PHP新書、2022年、1078円(税込)

 

〈安倍元首相の死を無駄にしないために日本人がなすべきこと〉(帯より)。著者は危機管理学とリスクコミュニケーションの専門家。安倍銃撃事件は古典的な「要人暗殺テロ」に分類できるとし、要人警護の問題点に迫る一方、近年の凶悪事件には「劇場型」「自暴自棄型」が多いと指摘。根本治療には民主主義を機能させ、孤立した個人を救済する「リベラル・アプローチ」が必要だと述べる。

PR誌ちくま2023年7月号

 

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