世の中ラボ

【第160回】
関東大震災100年の年に読む、朝鮮人虐殺の記録

ただいま話題のあのニュースや流行の出来事を、毎月3冊の関連本を選んで論じます。書評として読んでもよし、時評として読んでもよし。「本を読まないと分からないことがある」ことがよく分かる、目から鱗がはらはら落ちます。PR誌「ちくま」2023年9月号より転載。

 今年、2023年は関東大震災から100年の年である。
 1923年9月1日午前11時58分、関東地方一円を襲ったマグニチュード七・九の巨大地震。被害の大きさや死者の多さもさることながら、この震災は流言蜚語やデマによって大量の朝鮮人虐殺事件を引き起こした点でも、記憶すべき負の歴史だ。
 近年の歴史修正主義によって、教科書や副読本の記述が後退したり、就任翌年の2017年以来、小池百合子都知事が朝鮮人犠牲者追悼式典への追悼文の送付を見送ったり。最近右寄りの動きが目立つ案件だけれど、半面、新しい歴史の掘り起こしが進み、関連書籍の新刊や復刊も相次いでいる。今年出版された三冊を読んでみた。

震災直後に書かれた生々しい体験
 まず、8月に出た、江馬修『羊の怒る時』(原著の初版は1925年)。一読、これは目が覚めるような本だった。
 著者は1889年生まれの作家で、震災当時三四歳。代々木初台(現東京都渋谷区)の自宅で被災した。「関東大震災の三日間」という副題通り、9月1日〜3日の体験を描いた生々しいルポルタージュだ。巻末の解説で〈関東大震災の記録として、おそらく我が国で最初のもの〉と天児照月が記しているように、被災当事者が震災直後に綴った記録という点では、当事者による広島の原爆を記録した、原民喜『夏の花』(1949年)や大田洋子『屍の街』(1950年)にも匹敵する歴史的一冊ではなかろうか。
 特に注目すべきは、デマや流言蜚語が被災民にどんな心理的作用をもたらすかが、克明に描かれている点である。
 9月1日。混乱の中で、それでも家族全員の無事を確認した語り手は、夜、一人の在郷軍人が、いかにも用ありげにやってくるのに出くわした。彼はいった。〈東京では火事のためにあらゆる監獄を開放して囚人をみんな逃がしたそうですから、そいつらがまたこの辺へ立ちまわってどんな悪い事をしないものでもありません。皆にそう言って、お互いに警戒して下さい〉。
 この報告で〈言い難い不安〉や〈恐怖に近い感情〉を抱いた語り手は、帰ると隣家のI中将にこの件を知らせ、〈莵に角近所の人達にもその事を話して、お互いに警戒するより仕方あるまい〉と確認し合った。恐怖体験への、これが最初の一撃だった。
 9月2日。午後3時頃、周辺を見回ってきたらしいI中将が江馬に近寄ってきていった。〈今そこでフト耳に挟んできたんだが、何でもこの混雑に乗じて朝鮮人があちこちへ放火して歩いていると言うぜ〉。〈本当でしょうか〉と問う語り手。〈無いとも言えないと思うね〉〈日頃日本の国家に対して怨恨を含んでいるきゃつらにとっては、言わば絶好の機会というものだろうからね〉。
 はじめて出てきた「朝鮮人」という単語。
 さらにはここに、中将の息子のI君が追い打ちをかける。〈ええ。本当ですよ〉〈僕は今新宿まで行って来たんですが、朝鮮人を二人まで大騒ぎして追っかけているのを見ましたよ〉〈何でも彼奴らは自動車を乗りまわして、どんどん火事を延焼しやすいように、路地の蔭や軒下なぞに小さな石油缶を置いて歩くというんです〉。
 やはり近隣に住むT君も会話に参加する。〈あれは君、本当ですかね。朝鮮人が一揆を起して、市内の到る処で略奪をやったり陵辱をしたりしているというのは。あそこで話してた人なんかは、少女を辱しめて、燃えてくる火の中へ投げこむのを見たと言ってますぜ。だから市内では、朝鮮人を見たら片っぱしから殺しても差支えないという布令が出たと言ってましたがね〉。
 朝鮮人の友人もいる語り手は、彼らがそんな暴挙に及ぶ人たちではないと信じていたが、話にはみるみる尾ひれがついて、凶悪な方向に広がってゆく。夜にはついに警鐘がけたたましく鳴り響き、在郷軍人の服を着た男があえぎながらやって来ていった。
〈この奥の富ケ谷で朝鮮人が一揆を起して暴れているんです〉〈それで今大急ぎでみんなに警告して歩いているんですよ〉と。そして別の男の大声。〈今三角橋のところで朝鮮人が三百人ばかり暴動を起してこちらへやってくるから、男子は皆武装して前へ出て下さい、女と子供は明治神宮へ避難させて下さい!〉。
 結果的には何事もなかったものの(デマなのだから当然だ)、人々はこうして暴徒の恐怖に怯える夜をすごすことになった。一歩間違えば、惨事にも発展しかねぬ緊迫した空気の中で。
 辻野弥生『福田村事件』は、江馬らの恐怖体験が悲惨な事態に発展したケースを追っている。事件の舞台は利根川沿いの千葉県福田村(現野田市)。事件の概要をさらっておくと……。
 9月6日、午前10時ごろ、香川県から来た売薬の行商団の一行一五人が、大八車に売薬その他を積んで野田から茨城方面に向かう途中、福田村の神社の境内で休んでいた。それを警戒中の村の自警団が見つけ、〈鮮人の疑いありとし、様々の尋問を行い荷物を検査したところ、四国弁で言語不可解な点があったため、全くの鮮人なりと誤認し、警鐘を乱打して村内に急を告げ、隣村にも応援を求めるにいたった〉。その結果、数百人の村民が武器を手にして神社前に殺到。行商団を包囲して「朝鮮人を打ち殺せ」と騒ぎ立て、「自分たちは日本人だ」という弁明にも耳を貸さず、荒縄で縛り上げたり、鳶口や棍棒で殴打するなどした。そしてついには「利根川に投げ込んでしまえ」という怒号が上がり、渡船場から行商団員九人を水中に投げ込んで、うち八人が溺死。泳いで対岸に渡った一人は、船で追いかけてきた者によって惨殺された。
 生存者は六人。九人の犠牲者には、二歳、四歳、六歳の子どもが含まれ、妊娠中の女性もいた。人々がパニック状態に陥っていたのは確かだとしても、にわかには信じがたい事件である。

背後にちらつく県と国の関与
 にしても、あらためて素朴な疑問がわく。「朝鮮人が暴動を起こす」という流言の出どころはどこなのか。そんな文言が自然発生的にわいてくるものなのか。さらに、いくら恐怖にかられていたといっても、人はそう簡単に人を殺害できるものなのか。
 関原正裕『関東大震災 朝鮮人虐殺の真相』は、埼玉県内各地で起きた複数の朝鮮人虐殺事件を子細に検討し、虐殺の背後には県や国の関与があった可能性が高いと述べている。
 転機は9月3日の午後。すべての事件はその後で起きている。じつは3日の午後、埼玉県の各郡役所から管下の町村に、「移牒(役所から他の役所に通達される文書)」が出されていたのだ。
 県の移牒の要点を、関原は四点にまとめている。
 ①「不逞鮮人」が東京で「暴動」を起こしている。
 ②社会主義者と共に日本からの独立のために(彼らは)「暴動」を起こし、日本人を殺害する危険がある。
 ③在郷軍人・青年団・消防隊等で自警団を組織して警戒せよ。
 ④もしも「一朝有事」の場合には適切な方策を講ぜよ。
 この時点では埼玉県内にまだ伝わっていなかった「不逞鮮人の暴動」という噂を、県の移牒は「既定の事実」として認定し、自警団を組織し、場合によっては戦闘せよと命じている。つまり埼玉県内の地域における流言蜚語は、自然発生的にわいてきたわけでも、東京から来た避難民がもたらしたのでもなく〈県が役所の「権威」を伴って発出し、各地域に伝えられた「移牒」こそ流言蜚語の発生源そのものだった可能性がきわめて高い〉。
 移牒に加えて3日朝には、内務省警保局長名による次のような電文も打電されていた。〈東京付近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内に於て爆弾を所持し、石油を注ぎて放火するものあり。既に東京府下には一部戒厳令を施行したるが故に、各地に於て充分周密なる視察を加え、鮮人の行動に対して厳密なる取締を加えられたし〉。
 朝鮮人暴動説が公権力の手で流されていたとしたら信憑性はいやでも増す。〈ここにこそ、日本人民衆を虐殺へと飛躍させた最大の要因があったのではないだろうか〉。
 もう一点、この本で重要なのは「在郷軍人」が果たした役割についての指摘である。『羊の怒る時』にも登場する在郷軍人とは、徴兵検査に合格し、兵営で2〜3年の軍隊教育を受けた後、地域に戻って予備役などについた成年男子のことで、彼らを統括する「在郷軍人分会」は町村のリーダー的な存在だった。
 そして当時の在郷軍人は、震災時の朝鮮人虐殺につながる二つの経験をしていた。ひとつは第一次大戦後の米騒動、労働運動、農民運動など、大正デモクラシー下の民衆の運動を鎮圧した経験。もうひとつはシベリア出兵の際、帝国日本の兵士として独立運動を戦っていた朝鮮人を敵視し、虐殺した従軍経験である。
 在郷軍人の中には「不逞鮮人」を敵視し、殺害する姿勢が、経験を通して、すでに準備されていたといえるだろう。
 以上を踏まえて再び『羊の怒る時』に戻ると、在郷軍人の活躍ぶりから〈朝鮮人を見たら片っぱしから殺しても差支えないという布令〉まで、腑に落ちる点が多い。知識人である江馬は9月3日にはそれらがデマだと見抜いていたが、彼自身も同日、本郷の近くで群集が朝鮮人の学生を取り囲んでいる場面に遭遇した際には、〈何とかして彼等を助けてやりたい〉と思いながらも逃げ出したのだ。心の中で自らを「卑怯者!」と罵りながら。
 同じ場面に立たされたとき、私たちは彼らを助ける側に回ることができるだろうか。とてもじゃないが、私には自信がない。地震から一週間が経過しても、朝鮮人に対する人々の興奮は鎮まらなかったと江馬は記している。今日にしたところでフェイクニュースは平気でまかり通っている。100年前と現在は地続きなのだ。

【この記事で紹介された本】

『羊の怒る時――関東大震災の三日間』
江馬修、ちくま文庫、2023年、924円(税込)

 

〈非常事態が人を変貌させる。恐ろしき闇を描く記録文学の金字塔〉(帯より)。原著の初版は1925年(1989年に一度復刊)。ルポルタージュと小説の中間を行くような熟練した筆で、震災からの三日間とその後を描く。もともと朝鮮人の立場に同情し、尽力してきた作家だったが、それでも恐怖が募っていく過程が生々しい。石牟礼道子のエッセイほか、巻末の解説も充実している。

『福田村事件――関東大震災・知られざる悲劇』
辻野弥生、五月書房、2023年、2200円(税込)

 

〈100年を経て明らかになる慟哭と血の歴史〉(帯より)。原著の初版は2013年。版元(崙書房)の閉業で絶版になっていた原著に新資料を加えた増補版。子どもを含む九人が殺害された福田村事件を中心に、千葉県内で起きた虐殺事件を検証した労作。多数の図版や資料から、あまりにむごたらしい事件の全貌が浮かび上がる。2023年9月に公開される森達也監督の映画の原作として話題になった。

『関東大震災 朝鮮人虐殺の真相――地域から読み解く』
関原正裕、新日本出版社、2023年、1980円(税込)

 

〈国や県の関与を示す物証! 今と未来のため歴史を知る〉(帯より)。著者は高校の元社会科教師。片柳村染谷(現さいたま市)ほか、埼玉県内に残された史料を子細に検討、県内で起きた虐殺事件の真相を探る。移牒が果たした効果や、在郷軍人の役割のほか、逮捕された加害者に対する恩赦、虐殺の背景に横たわる植民地支配の構図などにも言及。事件を誘発した権力の責任を厳しく問う。

PR誌ちくま2023年9月号

 

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