移動する人びと、刻まれた記憶

第4話 赤い牌楼はいつできたのか?②
チャイナタウン復活を夢見た、二人の老華僑の思い出(後半)

韓国史・世界史と交差する、さまざまな人びとの歴史を書く伊東順子さんの連載第4話後編です。「世界で唯一チャイナタウンがない国」と言われた韓国で、華僑の人びとはどのような変化を経験したか。ぜひお読みください。

復活するチャイナタウン
 横浜中華街と仁川チャイナタウンを比べると、なんとなく日本が良い国に思えてくるのだが、単一民族幻想にとらわれたり、外国人を差別する人がいるのは同じだった。ただ韓国に比べて日本には飲食業や料理人に対するリスペクトがあるために、日本に出稼ぎに行った在韓華僑たちの印象は悪くなかった。
 前編で紹介した延禧洞の孫さんも、韓国を離れて家族で日本に行き、しばらく東京の中華料理店で働いていたという。
 「ビザが切れたから韓国に戻ってきたけど、本当はずっと日本にいたかったよ」
 孫さんはいつもの穏やかな表情で語ったが、妻の意見は少し違っていた。
 「たしかに日本のお客さんはとても優しかったけど、私は早く韓国に帰りたかった」    
  「お客さんが優しい」という感想には苦笑するしかないのだが、それはともかく仕事が中心の孫さんと、地域社会で子育てをした妻の印象は違うだろう。
 孫さん一家が韓国に戻ったのは1992年、中韓国交樹立の年である。その頃には山東省と仁川の定期航路もできており、華僑の中には中国とのビジネスに期待して、韓国に戻る人々も出てきた頃だ。台湾と断交した韓国政府の「裏切り」を怒る向きもあったが、その後に別の「裏切り」が在韓華僑社会に衝撃をもたらすことになる。
 2000年、台湾の総統選挙では「台湾独立」を主張してきた民進党の陳水扁が勝利した。「一つの中国」と信じていたから、ずっと台湾政府を支持してきたのだ。老華僑のアイデンティティは揺れ、生まれ故郷である中国大陸への思いが強まった。ちょうどその頃、釜山や仁川のチャイナタウンに、中国から赤い牌楼が送られてきたのだった。

韓さんの微笑み
 「チャイナタウン? 今さら無理だよ。韓国政府なんかにできるもんか」
 2000年代初頭、韓国のあちこちでチャイナタウン復活の動きが出てきた頃、孫さんも韓さんも最初はそう言って笑っていた。たしかに初期のプランは2001年に開港予定だった仁川国際空港に隣接したチャイナタウンを造成するなど、荒唐無稽のものが多かった。 
 それからしばらくして、仁川駅前の旧チャイナタウンの再開発が始まり、中国風の通りや建物が作られた時も、韓さんはまだ不機嫌だった。
 「韓国人や中国人経営の新しい店ばっかりが注目されるだけで……」
 たしかに駅前に門が出来たために、チャイナタウンの中心がずれてしまっていた。にぎやかな駅前に比べて、韓さんの店がある本来の中国人町は閑散としていた。でも、それからもチャイナタウンはどんどん大きくなって、2015年頃からは週末は身動きできないほどの大混雑となった。
 いつも怒ってばかりいた韓さんも、その頃からやっと温厚な微笑みを見せてくれるようになった。
 「韓国もなかなかいい国になったよ」
 チャイナタウンの風景には、越境者たちの記憶が幾重にも重なった深みがある。人はどこかから来てどこかにたどり着く。チャイナタウンの懐かしさは、ノスタルジーではない。堆積した記憶は過去へ沈殿することなく、何かが始まろうとする源泉である。だからこそ港町にはチャイナタウンがお似合いだし、また大都市の真ん中にあるチャイナタウンは、そこがもう港なのである。
 そうだった。風景の変化を惜しんではいけない。チャイナタウンは何度も復活して、そこからまた新しい何かが始まるのだ。 

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