加納 Aマッソ

第34回「それはそうと、おめでとう」

 さほど役にも立たないが、わりあい知人の誕生日を記憶するのが得意で、目覚めて携帯を見たときに「今日はたしか◯◯の誕生日だったな」と気づくことがある。ただの平日に特別な意味がつくのは嬉しい。親しい友人であれば「おめでとう」にプラス一言足した程度の軽い文章を送り、その人の愛用している熱量でお礼の返信をもらう。それでこちらもニコニコ、ほんのり優しい気持ちの昼下がりができあがる。以前ある知り合いにホールケーキの絵文字を送ったら、ショートケーキの絵文字で返信してきて「気持ちのおすそ分け」を表現してくれたときには、「あ、この人とは一生付き合お〜っと」と思ったりもした。
 だが稀に、しばらく連絡をとっていない、あるいは過去に数度しか連絡をとったことがない知り合いの誕生日に気づいてしまうときがあり、そのときはどうしたものかと悩む。「おめでとう」の前後に、「ひさしぶり」に続く世間話を経由しなければならない気もするし、そのことで「連絡を取りたいがための口実」のような雰囲気になるのも困る。できることならお祝いとしての純度を保ちつつ、最短で祝いたいものだ。が、それもどうしてなかなか難しい。
「久しぶり! それはそうと、おめでとう」
 こんな不恰好な繋ぎのために「それはそうと」を駆り出させていいものだろうか。
「ひさしぶり!(お疲れ様です、ご足労かけてすみません……)(いいよいいよ、基本こういう案件多いから)(とは言いましても……)(使われるうちが華よ)(それではお言葉に甘えまして……)(あいよっ)それはそうと、おめでとう」
 こんな気の良い江戸前の「それはそうと」ばかりでもあるまい。
 結局うまい文章が浮かばないので送信は見送るものの、夕方を過ぎてもまだ気にしている自分がいる。特に1月23日や9月9日などの数字的に気持ちの良い日だと、携帯を開くたびに表示されているその日付を意識するので、どうしても「その人を祝うべき日」という気持ちがなくならない。おかしい。なにをそこまで、頼まれてもいないのにバカみたいに祝おうとしているのだ。親しくもないのに祝う気持ちを伝えないと気が済まないなんて、変ではないか。どう考えても単なる自己満足ではないか。
 そこで思い至る。私は、体内にある「オイワイ」が人より多いのかもしれない。オイワイは脳がつくりだす善意とは無関係だ。自意識の全く及ばないところで、オイワイが行き場を求めて全身で暴れている。これはとても危険だ。悪性オイワイは体に害を及ぼし、やがて日常生活に支障をきたすと言われている。どうにかしてオイワイを外に排出し、平均数値に戻さなくてはいけない。
 私は部屋でひとりパーティー用クラッカーを手に取り、自分の頭上で天井に向け勢いよく紐を引っ張った。室内に、沈黙がひるむほどの大きな音が響く。カラフルな細いテープにつられて同業のオイワイも飛び出すかと思いきや、クラッカー特有の火薬の匂いが8畳間に充満しただけだった。数秒先に待っている片付けの煩わしさに顔をゆがめる。もう、なんやねん、とため息をついて腰を屈めたとたん、オイワイはするりと口から出た。
 わーお、と間の抜けた驚きもそこそこに、空気中に浮遊するオイワイを撮影しようと携帯に手を伸ばした。そのタイミングで、インターホンが鳴った。
「宅配便でーす」
「はーいちょっと待ってくださいー」
 ドアノブをひねって扉を開けた瞬間、外気を求めてオイワイが勢いよく玄関へと流れてきて、「お届けも…」と言いかけた宅配員の口に飛び込んでいった。

「ご苦労様です〜」
「おめでとうございます! こちら、お荷物で〜す!」
「おめでとうはおかしいでしょ〜自分で買ったんですから」
「なんでもいいじゃないですか〜宅配システムの享受に、ってことで!」

 カラカラと笑って受け取りのサインをしながら、「確かに、荷物が届くのは当たり前じゃない」みたいなことに思いを巡らせてもよかったが、だるいのでやめた。

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