加納 Aマッソ

第37回「東京行こ」

 お笑い養成所に通った思い出はそう多くない。なにしろ行きたくなかった。毎週火曜日にJR難波駅の地下にあるスクールに通うのが憂鬱で、前日の月曜日は家の近くの神社でネタ合わせをしながら相方と「だるいなぁ」ばかり言い合った。みずから望んで飛び込んだ世界であったのに、私たちが選んだ事務所の養成所はなぜか親に通わされている習い事のような「ライトな被害者の集まり」たる空気があった。大手の人気養成所と違って人数も少なく、ライバルと闘志を燃やし合うといった青春色も少なめ。すぐにやめそうな同期と話すのも気が進まないし、経歴もわからない偉そうな講師にあーだこーだ言われるのもたまらない。みんなの前でネタをするのもきつい。先輩のライブを手伝うのもイヤ。けれど事務所が主催するライブには出たいから、文句を言いながらもしぶしぶ通った。同期は予想していた以上の早さで辞めていき、入学して3カ月もすると人数は半分くらいになっていた。椅子もない狭い部屋でぎゅうぎゅう詰めになって三角座りしていたのが、夏を迎える頃には全員があぐらをかけた。その時期からは仲良い同期もわずかながらできて、ネタ見せ終わりにごはんに行ったり、休みの日に麻雀を教えてもらったりして遊ぶようになった。それはそれで楽しかったが、火曜日がとにかく億劫なことに変わりはなく、その冬に「東京に移籍する」という最高の抜け道を見つけたことで、本来2年通うはずだった養成所生活は10カ月で終わった。
 その頃のことを思い出すとき、必ず王将のチャーハンが出てくる。八角形のカクカクしたお皿に、丸く盛られたチャーハン。養成所終わりによく同期たちと王将に行った。男の同期はそれぞれの食べたいメニューと、プラスでほぼ全員チャーハンを頼んだ。「男ってほんまチャーハン好きやなあ」と思っていた。あと「アホやな」とも思っていた。そしてそいつらは食べるのがとても早く、まるで競っているかのようだった。私も遅いほうではなかったけど、こんなことで性別を意識させて「おもんない」と思われるのがイヤで、いつもより急いで食べた。急いで食べる自分が少しだけ恥ずかしかった。
 その年の秋頃、同期の女芸人のシオリに誘われてパスタを食べに行った。シオリは食べるのがとても遅くて、いくらフォークを口に運んでも減ってないように見えた。私が食べ終わってもシオリのパスタの量は全然変わっていなかった。むずかしい顔で必死に口を動かすシオリの頬を眺めながら、あまりにも遅いのはちょっとおもろいな、なんて考えていた。つらそうにこっちを見たので私が「ぜんぜん減ってへんやんか」と笑うと、「しょうがないやん、だってこれ増えてるんやもん」と悪びれもせずに言った。「増えてるかいな」「ほんまやねん、これ、私が手止めたら麺が溢れかえってしまうねん、だからほんまはめっちゃ食べてんねんけど全然減らへんねん」「ほんまか」「しょうがない、宿命やわ」「やばいやん、どうやったら麺は止まるんよ」「別のパスタ頼んで食べ始めたら止まる」「修羅やん」「修羅ちがう、ホラー」「どっちでもいい、はよ食べろ」

 次の火曜日、シオリはお化け屋敷で流れているようなBGMにのせて、パスタが増え続けるというフリップネタをやっていた。めくってもめくっても麺が出てきた。それを見て私ひとりだけが笑っていた。講師が「シュールに見せかけてるだけで、なにがおもろいかわからん」みたいなダメ出しをしていた。私はそれすら笑いながら、「東京行こ」って決めたのだった。

 

*このエッセイは、2020年12月7日にHMV&BOOKS SHIBUYA様にて開催された、「『イルカも泳ぐわい。』発売記念 加納愛子サイン入りオビ巻き会」第3回に参加された方の投稿をもとに書かれました。

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