世の中ラボ

【第135回】
第四波の中で最新の「コロナ小説」を読む

ただいま話題のあのニュースや流行の出来事を、毎月3冊の関連本を選んで論じます。書評として読んでもよし、時評として読んでもよし。「本を読まないと分からないことがある」ことがよく分かる、目から鱗がはらはら落ちます。PR誌「ちくま」2021年7月号より転載。

 新型コロナウイルスによる感染症が世界中に拡大しはじめて約一年半が経過した。この間、世界の感染者数は累計約1億7000万人を超え、370万人以上の命が奪われた。日本国内だけでも、六月五日現在の感染者(陽性者)数は累計約76万人、死者数は約1万3500人。昨二〇二〇年六月五日の時点での、国内感染者は累計約1万7000人、死者数は約900人だったことを思うと、今さらながらこのウイルスの感染力に驚く。
 今年に入ってワクチン接種が進み、アメリカやヨーロッパ各国は日常を取り戻しつつあるものの、ワクチン確保で出遅れた日本はいまだ第四波の渦中にあり、東京都など10都道府県に三度目の緊急事態宣言が発出中だ(六月二〇日までの予定)。しかも世論の過半数が反対し、医師が警告しているのに、IOCと日本政府は東京五輪の開催に前のめり。頭がどうかしているとしか思えない。
 一方、出版界に目をやると、この間に出版されたコロナ関連書籍は数知れず。とりわけコロナ禍を描いた小説が、早くも出版されていることに興味をひかれる。さて、どんな作品?

クルーズ船の悲喜劇、崩壊する医療
 海堂尊『コロナ黙示録』は二〇年七月刊。これは二〇年二月〜五月の「第一波」のドタバタぶりを描いた小説だ。
 物語は医療と政治、二つの現場を行き来しながら進行する。
 二〇二〇年二月初旬、北海道の雪見市の整形外科病棟でひとりの患者が不調を訴えた。〈今朝からダルいし、なんか熱もある気がするんだよ。風邪かなあ〉。この患者は六五歳。中国の団体客を扱う旅行代理店専属の観光バスの運転手で、交通事故で腕を骨折し、救急搬送されて入院していたのである。その彼が肺炎の症状を悪化させて急死した。死因は不明。副センター長がつぶやいた。〈ひょっとして中国で発生した新型コロナウイルス感染症も疑わないといけないかもしれない〉。
 同じ頃、謎の政策集団「梁山泊」のメンバー、フリーランスの病理医・彦根は、定期会議の後、中国の武漢がロックダウンに入っていること踏まえて予言していた。〈コロナは日本に必ず入ってきます。でも今の官邸と厚労省の連携ではきちんとした防疫はできません。すると日本中にコロナが蔓延する。安保政権はなんとしてもそれは避けようとする。そうなったら七月のオリンピックが中止になるからです〉。〈正しい疫学的対応が必須ですが、今の厚労省にはその素地も素質も能力もありません。ですので安保内閣の意図を忖度し続け、PCR検査の実施件数を抑え、感染者数を少なく公表し続けるでしょう〉。
 さらにまた同じ頃、横浜港に停泊したクルーズ船ダイヤモンド・ダスト号の船内で異変が起きていた。乗船した検疫官によるPCR検査で、有症者31人中10人に陽性反応が出たのである。
 彦根の予言は的中した。ともに「梁山泊」のメンバーである彦根と厚労省技官の白鳥は、厚労省の本田苗子審議官にクルーズ船の検疫体制について尋ねるが、案の定、本田の答えは頼りなかった。
〈「帰宅させる前にPCRチェックはしないの?」/「必要ないわ。無駄だもの」/「帰国者やクルーズ船の乗客のゾーニングはどうするの?」/「ゾーニング? 何よ、それ?」〉。
 クルーズ船についての一報は厚労省から官邸にももたらされたが、安保宰三首相は弛緩しきっていた。〈なんか、コロナって嫌いなんだよね。さっさと済ませてくれないかなあ〉。
 一方、本田が指揮をとったクルーズ船の船内はしっちゃかめっちゃか。船内に入った感染症の権威・名村教授は動画サイトで告発した。〈私は二十年以上、世界中のいろいろな場所に行きましたが、あんな酷い検疫現場は初めてでした〉。
 そしてコロナ禍は、桜宮市の東城大学医学部付属病院にも及ぶ。クルーズ船から下船した乗客を受け入れることになったのだ。医師の田口は「不定愁訴外来」の専門医だが、白鳥の差配で新型コロナウイルス対策本部長に指名されてしまい……。
 梁山泊の一件を除けば、クルーズ船の一件からはじまる昨年二月の状況がデフォルメされた形で再現されていることに気がつくはずだ。登場人物のネーミングを見れば笑かそうとしているのも事実だが、この小説の根底にあるのはむしろ、トンチキな対応で被害を拡大させた官邸や厚労省に対する怒りだろう。雪見市救命救急センターで医療者のクラスターが発生し、益村知事は北海道に緊急事態宣言を発出した。それを知った安保首相はいいだした。〈あの、緊急事態宣言ってヤツ、やってみたいんだけど〉。
 緊迫する医療現場とたるみきった官邸のギャップがすさまじい。
 夏川草介『臨床の砦』は二一年四月刊。同じ医療小説でもこちらはぐっとシリアス。二度目の緊急事態宣言が発出された二一年一月の「第三波」に直面した医療現場を描いている。
 主人公の敷島は北アルプスの麓にある信濃山病院の医師。ここは地域で唯一の感染症指定病院だが、呼吸器内科医もいない小規模の総合病院だ。が、一年前にクルーズ船の患者を受け入れて以来、消化器内科医の敷島も発熱外来を担当してきた。〈この正体不明の感染症に向き合ったのは、専門外の内科医と外科医が集まった混成チームである。『命がけの診療』という言葉は、誇張ではない。(略)クルーズ船の患者の受け入れは、『命がけ』という非日常的な言葉でしか表現できない緊迫感を伴っていた〉。
 そのぎりぎりの状況を背後から支えたのが、市街地の大規模病院「筑摩野中央医療センター」だった。指揮をとる呼吸器内科の部長は、敷島の一年先輩の朝日。〈大学病院を含むその他のすべての医療機関がコロナ診療を拒否する中で、朝日らの呼吸器チームだけが受け入れを表明し、重症患者を引き受ける体制を構築したのだ〉。
 そんな形で一年を乗り切った診療チームだったが、年末からようすが変わりはじめていた。目に見えて感染者が増えはじめ、呼吸状態も悪い患者が目だつ。若い医師がいう。〈ここ一週間の患者の増え方は異常ですよ。外来だって病棟だって、あっというまに限界に達しているんです。こんな田舎でさえそうなのに、東京なんてもう医療崩壊を起こしているんじゃないですか?〉。
 感染病床をいくら増やしても追いつかず、入院させてくれとすがる患者も受け入れることができない。一同が疲弊する中、市内の高齢者介護施設でクラスターが発生した。
 コロナは災害だ。〈大津波とか大地震みたいなもので、たくさんの人が病院に運ばれて、たくさん死んでいくんです。そんな中で、店に客が来ないとか、売上が半減だとか、補助金よこせとか、いつからみんな自分の都合ばかり言うようになったんですかね〉。

自粛を命じられた町、伝説のシンガー
 医師でもある作家が書いた二冊の小説は、作風のちがい、第一波と第三波のちがいこそあれ、目の前で起きていることの記録を目的とした、一種のドキュメント小説といえるだろう。医療現場の崩壊の過程と医師や看護師の言葉は悲鳴に近い。
 榎本憲男『インフォデミック――巡査長真行寺弘道』(二〇年一一月刊)も、ドキュメント小説の要素を含んでいる。
 主人公の真行寺弘道は警視庁刑事部捜査一課の巡査長。二〇二〇年春、緊急事態宣言が出された東京で、彼は営業している店や繁華街を歩いている人に自粛を促すパトロールを命じられた。反発しながらも出かけた池袋で、彼は営業中のライブハウスに遭遇する。「浅倉マリLIVE」。七〇歳をすぎた伝説の歌手である。〈都から自粛要請が出てるのは知ってますよね〉という真行寺の問いに、浅倉マリは、年寄り風邪のことね、と答えた。
〈私は歌い手なんだから、金をやるから黙ってろと言われて口を閉じてちゃ生きている価値がないってもんでしょ〉〈はした金で自由を手放せってわけでしょ。そして言われたほうも、そうですねしょうがないですねと家に引っ込んで、自宅のソファーで歌ったものをネットに上げたりしてるんでしょ〉。自分はそんなのは御免だと語った浅倉マリは、テレビでも豪語した。〈あのね、人は死ぬときは死ぬのよ。どう抵抗したって、いくら医術が発達したって、人は生まれて、生きて、死ぬってことから逃れられない〉。
 その浅倉マリと再結成された往年の人気バンドが結集し、どこかで大規模なコンサートを企画しているとの情報が入り、真行寺は青くなる。感染対策は講じないと公言するイベント。クラスター発生の危険性が高い上、このまま政治的な運動に発展したら……。コンサートを中止させろと命じられた真行寺らが日時と会場の特定を急ぐ中、予測しなかった事態が起きた。浅倉マリがコロナに感染して死んだのだ。はたしてコンサートの行方は!
 三冊を読んでの感想は、エンタメ系のコロナ小説、なかなかやるなあという感じである。刊行日から考えれば突貫工事で執筆したのだろうと想像されるが、いずれも緊張感を孕んでおり、読者を飽きさせない。だがそれは、コロナをめぐるこの間の状況がそれほど異常だったことを意味してもいる。陳腐な表現を使えば小説より奇な現実。そしてその現実はまだ続いているのである。
『臨床の砦』の主人公はいう。〈今回なんとか持ちこたえたのは、個人の必死の努力と熱意が集まって、偶然、幸運な結果を生んでくれたからに過ぎません。次に来る第四波には通用しないと思います〉。最大の敵はもはやウイルスではない。〈敢えて厳しい言い方をすれば、行政や周辺医療機関の、無知と無関心でしょう〉。
 現実の日本では『コロナ黙示録』で「酸ケ湯」と呼ばれていた人が首相になり「国民の命と健康を守る」という寝言とともに五輪に突入しようとしている。カミカゼ日本。まさに小説より奇なり。

【この記事で紹介された本】

『コロナ黙示録』
海堂尊、宝島社、2020年、1760円(税込)

 

〈混乱する政治と感染パニックの舞台裏! 世界初の新型コロナウイルス小説〉(帯より)。『チーム・バチスタの栄光』にはじまる「桜宮サーガ」の一冊で、医師の田口と厚労省技官の白鳥はこのシリーズの主役。公文書改ざん事件や桜を見る会私物化疑惑など「安保宰三首相」をめぐる話題もたっぷり盛り込まれ、二〇二〇年の日本を丸ごと記録しておこうとの気概に溢れる。

『臨床の砦』
夏川草介、小学館、2021年、1650円(税込)

 

〈「この戦、負けますね」命がけでコロナに立ち向かった小さな病院の、知られざる記録〉(帯より)。舞台はベストセラーになった『神様のカルテ』シリーズと同じ長野県。県が独自の緊急事態宣言を出した二〇二一年一月に的を絞り、地域で唯一の感染症指定病院を襲ったコロナとの戦いをリアルに描く。感染者数の多寡だけではわからない地方の病院の逼迫した状況に慄然。

『インフォデミック――巡査長 真行寺弘道』
榎本憲男、中公文庫、2020年、880円(税込)

 

〈コロナ禍の現在をリアルに抉る超エンターテインメント〉(帯より)。異端の刑事「巡査長真行寺弘道」シリーズの第五弾。二〇二〇年春、緊急事態宣言下の東京を舞台に、自粛警察、外出制限、五輪の延期といったトピックを折り込みながら進行する。浅川マキか金子マリを思わせるシンガーなど、往年のロックファンには懐かしい名前も多数登場。文庫書き下ろし。

PR誌ちくま2021年7月号