10年前、「俺は絶対に定職には就かないと心に決めている」と豪語していた友達が、このたびめでたく就職した。その報を聞いたのは、同い年の斎藤佑樹がプロ野球を引退するというニュースを聞いて感傷に浸っている最中だったので、終わりと始まりの思わぬ交差に笑ってしまった。
私がまだ大阪にいた頃、休みの日の全てをパチスロに費やしていた彼に、「なんの夢も追いかけてへんのに、なんで就職せえへんの?」と、おせっかいな女友達が糾弾に近いかたちで問うているのを目の前で見ていたことがある。彼は迷いのない口調でこう言った。
「俺な、責任持つのが、嫌いやねん」
その瞬間、私の体を突風が駆け抜け、いくつかの固定概念が見事に吹っ飛んでいった。その言葉は、知っているどんな偉人の名言よりも風力があり、潔かった。そうか、責任というのは「好き嫌い」の文脈で語っても良いものだったのか。女友達は呆れて「そんなん理由になってないやん」と言うと、彼はまたもや金言を授けてくれた。
「だってほんまやねんもん」
彼は短い言葉で、偽りのない感情であればなんら悪びれる必要がないということを教えてくれた。もしかしたら、本当の強さというのはこういうことかもしれない。私は彼のそのまっすぐな瞳と、スロットのボタンが押しやすいであろうよく曲がる親指の形を、いくつになっても覚えておこう、と思った。
あれから、2年に一度くらいのペースで動くグループLINEでの会話の間に、誰かが「そういえば就職したん?」と彼に質問するのが恒例となった。彼は元気に一言、「してないで!」と答え、みんなが「いいね!」や「やったー」などのスタンプを送った。私も「そうこなくっちゃ!」と送った。彼はパチンコ屋の照明みたいに明るかった。そして今年、いつものように誰かが「就職した〜?」と聞くと、「したで!」と返ってきた。私は驚いて、咄嗟に「なんで?」というメッセージを打ったが、送信する前に消して、「最悪!」と送った。
彼は新大阪駅にある551の蓬莱で働いていると言った。私は彼が社員になったことに複雑な気持ちを抱えながらも、「また仕事のついでに買いに行くわ」と連絡し、彼からは「おう来てくれ!」と返ってきた。幸い、明るさはひとつも変わっていなかった。
大阪での仕事を終えて、新大阪駅の新幹線乗り場に向かう途中、赤い看板が目に入った。私は少し離れたところから店の中を覗いたが、彼らしい人は見当たらなかった。引き返そうかと思ったが、少し考えて店前の写真を撮り、グループLINEに「おらん」と送った。すると彼と特に仲の良い男友達から「そこじゃなかった気がする。新大阪、551めっちゃあるから」と返ってきた。時計を確認すると、出発時間まではまだ余裕があった。
新大阪駅構内のおみやげが売っている店の通りを曲がってまっすぐ進むと、また551の赤い看板があった。さっきのは場所的にきっと「中央改札口店」とか言いそうで、こっちは多分「南口店」だ。その店舗を覗いても、彼はいなかった。私は私鉄との乗り換え口方面を目指した。各路線への案内をしている看板の下にまた551があった。ここはおそらく「乗り換え案内看板下店」だ。店の奥に、彼と背格好が似た若い男性店員がいた。一瞬そうかと思ったが、若いのは記憶の中の彼だけだった。私は地下の連絡通路を降りることにした。するとその階段の途中にも店があった。ここは「4〜16段目店」だ。店は完全に傾斜していて、店頭の肉まんは全部右側に寄って山積みになっていた。首をひねって中を見たが、この店にも彼はいなかった。階段を降りきったところの「多機能トイレ前店(ディスプレイのみ)」にも、その横の「多機能トイレ前店右横店(開店セール中)」にも彼はいなかった。みどりの窓口の前には「みどりの窓口入口塞ぎ店」があった。セイロから出ている湯気が、窓口のカウンターに充満していた。どこもかしかも551だった。しかしどんないびつな店舗にも、営業前のパチンコ屋と同じように行列ができていた。
巨大肉まんの中でミニチュアのお店を売っている「逆店」を確認し、八百万ある新大阪の551を全て回ったところで、中央改札口に戻った。携帯をみると、彼から「ごめん今日休み! スロット来てる!」とLINEが来ていた。メッセージは「全然当たらんかった!」と続いた。私は「こっちもや」と返しながらも、シャツを着て働く彼を見ずに済んだことに、なぜか少しだけほっとし、なんでほっとせなあかんねん、と思った。