世の中ラボ

【第141回】
この2年のコロナ対策を検証する

ただいま話題のあのニュースや流行の出来事を、毎月3冊の関連本を選んで論じます。書評として読んでもよし、時評として読んでもよし。「本を読まないと分からないことがある」ことがよく分かる、目から鱗がはらはら落ちます。PR誌「ちくま」2022年1月号より転載。

 新型コロナウイルスが世界を襲って、まもなく2年。
 日本国内では、四度目の緊急事態宣言下の2021年8月13日に東京都の新規感染者数がピークを迎え(5773人)、日本全国では8月20日に過去最多の2万5867人を記録した。東京オリンピックの開催時期とも重なる、この「第五波」が、2年間でもっとも深刻な「波」だったといえるだろう。
 9月以降、新規感染者数は急激に下がり続け、12月5日の時点での新規感染者数は全国で115人(東京都は20人)。第五波をもたらしたデルタ株に代わってオミクロン株の国内侵入が報道され、「第六波」の到来も懸念されてはいるものの、ワクチン接種率も七割を超え、感染は一段落したように見える。しかし、そうはいっても累計で約1万8400人もの死者を出したのだ。東日本大震災の死者・行方不明者の合計がやはり約1万8400人であることを考えると、それと同規模の災害に日本は襲われたことになる。
 さて、ちょうどこのタイミングで、コロナ禍の記録も続々と出版されつつある。はたしてこの2年間のコロナ対策はどう評価されるのか。現場に密着した何冊かを読んでみた。

最初のネックは国の検査対象基準
 山岡淳一郎『コロナ戦記』の副題は「医療現場と政治の700日」。雑誌連載をもとに、20年の初頭から21年の8月までの医療現場の実情を、ほぼ時系列で追ったレポートである。
 2年前を思い出そう。最初の現場は、東京都台東区の永寿総合病院である。20年3月下旬、400床を有するこの病院に、得体が知れなかった新型コロナウイルスが侵入し、6月上旬までの2か月あまり病院は閉鎖された。その間に入院患者109人、職員83人が感染し、原疾患で闘病中の43人が死亡した。
〈新型コロナ感染症の第一波は全国各地で院内感染を引き起こしたが、そのなかで永寿のケースは最大の悲劇だった。病院内の感染爆発(アウトブレイク)は死と隣り合わせの非常事態であった〉。なぜそこまで院内感染が広がったのか。
 4月半ば、厚労省クラスター対策班が派遣した調査チームは、2月下旬と3月初旬の2人の入院患者が感染源と類推されると発表したが、どうも腑に落ちない。病院とコロナ患者の接触をさらにたどっていくと、もっと前に感染患者がいたことが判明した。1月半ばに起きた都内のクラスター、すなわち屋形船で開かれた個人タクシー組合の新年会から広がった集団感染だ。この事実を報道で知った男性患者が「自分もそこにいた」といいだして病院は騒然となり、永寿側は患者と接触した職員全員のPCR検査を保健所に求めるが、広範な検査は結局行われなかった。〈この時点で徹底的に検査が実施され、陽性者が隔離されていたら集団感染は抑えられていたかもしれない。ここが最初の節目であった〉と山岡は書く。
 厚労省が当初掲げたPCR検査の対象は、①発熱(三七・五度以上)かつ呼吸器症状、②発症から2週間以内に流行地域(中国の武漢など)に渡航または居住、という二点のしばりがあった。これだと武漢との接触がない屋形船の乗客は、疑いの例にも入らない。
 2月27日に基準が変更されるまで〈保健所は、武漢渡航歴の有無に引きずられ、疑わしい患者や接触者を検査対象から外してしま〉っていた。他の病院でも、保健所に検査を拒まれ、医療を管轄する東京都に不満をぶつける例が頻発していた。
 永寿病院が残した課題は、PCR検査の迅速かつ広範な実施だったはずである。ところが厚労省は検査対象者の拡大に消極的で、特に無症状者の検査には否定的だった。多少前向きな姿勢に転じたのはじつに8月28日、安倍首相の退陣の際だった。
 永寿病院と同様のケースは地方都市でも起きていた。
『倉持仁の「コロナ戦記」』は、宇都宮市で呼吸器内科クリニックを開業する医師によるコロナ医療の記録である。
 彼もまた政府のコロナ対策は初手から間違っていたという。倉持医師のクリニックにはじめてコロナの疑いがある患者が来院したのは20年2月9日。中国からの帰国者だった。
〈症状があるのでコロナの検査をしてください、と言うと「いやいやそれはコロナじゃないですよ」と返してくる。何を根拠にそう言うのかわかりませんが、3時間ぐらいやりとりをしても「いや先生、それはコロナじゃないから大丈夫ですよ」と言って検査してくれません〉。翌週の17日にも疑いのある患者が来院した。東京の屋形船に乗っていた人と知り、さすがにこれはと思って連絡すると〈保健所職員はまた「いや、それはコロナじゃないですよ」と言うんです〉。「武漢しばり」のせいだった。
〈臨床医の診断より、患者さんを診もしない保健所の判断が優先される。新型コロナウイルス感染症に対する政府の対応によって、当初から患者さんに医療が介入できなくなっていました〉。「武漢しばり」や「三七・五度以上4日間」などに代表される検査対象の制限。〈発熱が4日続いていなくても肺炎を発症することはある。きちんと診察すれば、それはわかるのです。今思えば、この臨床軽視から、日本のコロナ対策の失敗が始まっていました〉。
 政府は感染を拡大させたいのか、と疑われる政策も多々あった。顕著な例がGoToトラベル・キャンペーンだろう。
 山岡は20年夏、第二波に見舞われた沖縄の例を引く。沖縄では7月24日から急に感染者数が増えた。GoToトラベルが開始された22日の2日後、想定より1週間も早い。歌舞伎町のホストら145人が那覇市内の遊興施設を訪れていたのが発端だった。ここを火種にGoToによる観光客が加わり、感染はみるみる広がった。8月1日、県は独自の緊急事態宣言を発出するも決定打にはならず、入院「調整中」の患者が急増する中、玉城知事は8日に厚労省に支援を要請し、14日には全国知事会に看護師の派遣を求めた。
 それでも政府はGoToをやめなかった。菅首相がGoTo停止を決めたのは、第三波が押し寄せていた12月14日である。
 倉持医師もGoToトラベルを痛烈に批判する。
〈GoToトラベルで、感染者が増えたというエビデンスはないと政府は盛んに言っています〉。しかし〈そもそもエビデンスがないのではなく、それを調べるつもりがないのです〉。

軽中等症の治療こそが重要だった
 二冊の『コロナ戦記』はべつだん政府批判を目的にした本ではない。むしろ未曾有の危機に直面した医療現場の奮闘ぶりを追った記録というべきだろう。ただ、読んでいるこちら側としては「なんでこんなことに」といちいち思わざるを得ないのだ。
 その最たるものが、五輪と重なる第五波だ。
〈医療界には第三波の医療崩壊の恐ろしさと、深い「悔恨」が刻まれている。病床不足で入院の調整がつかず、自宅放置状態の患者が次々と斃された記憶が頭から離れない〉(山岡『コロナ戦記』)。政権中枢の危機感は、しかし驚くほど薄かった。
 五輪開催中に全国の新規感染者数は3000人台から1万5000人台にまで拡大、東京都の自宅療養者と自宅待機者の合計が2万人を突破した8月2日、厚労省は「中等症でも自宅療養」の方針を打ち出した。非難囂々でこの方針は撤回されるものの、医療崩壊は現実になったのだ。〈病床不足、自宅療養者の激増という負の現実は、安倍-菅政権下での一年半に及ぶ医療行政の帰結であった。その失敗を省みて病床を増やすどころか、現実に合わせて基準を変えるのは責任放棄ともとれる〉と山岡はいう。
 都内の公立病院の担当医はうめくように訴えた。
〈第五波ではワクチン接種を受けていない五〇代以下の患者さんが一挙に増えた。現役世代だから病院側も徹底的に集中治療をして救命します。でも、集中治療にたどりつくのが遅れると、救える命が救えない。(略)焦点は重症化を防ぐ中等症の治療です。ここを手厚くしなくてはまだまだ人が死ぬ〉(山岡『コロナ戦記』)。
 倉持医師も軽中等症患者の発見と治療が重要だという。〈重症入院患者の医療のみを重視し、結果的には軽症者を自宅放置することでかえって感染爆発を増大させてしま〉ったのだ、と。
 2年間のコロナ対策を概観して感じるのは、この国の宿痾ともいうべき血の巡りの悪さである。現場の声が行政に届かず、ゆえに上からの命令はいつも的外れだったり逆効果だったりする。
 これは医療だけの話でもない。惟村徹『コロナと闘った男』は、コロナの除染作業を行ってきた特殊清掃者の「戦記」である。
〈もうどうにもならないんです。助けてください〉という、ある病院の院長の電話で現場に向かうと、クラスターで業者が撤退、看護師たちが窓や壁、廊下などの清掃までしているという。しかし、見積書を作って再び訪ねると、待っていたのは予想外の答えだった。〈うちは市民病院で、市から提示された予算でなんとか運営している状態です。この金額を予算内に組み込むには市議会を通さなければなりません……きっと、断られるでしょう〉。
 一見些細に見えても、こういうことが積もり積もって、医療従事者は疲弊し、医療現場は逼迫に近づいていく。
 永寿病院のケースに戻って、山岡は情報開示の必要性を説く。風評被害を広げてはいけないという都の判断で、屋形船の一件は収束したとされた。しかし、ウイルスは市中に飛び火していた。だとしたら〈屋形船での感染をタブー視することは、冷徹なウイルスのふるまいを見えにくく〉したのではないか。
 これが事実なら、日本のコロナ対策は最初からボタンをかけ違っていたかもしれない。まるで先の戦争の「戦記」みたい。

【この記事で紹介された本】

『コロナ戦記――医療現場と政治の700日』
山岡淳一郎、岩波書店、2021年、1980円(税込)

 

〈現場の苦闘、迷走する政治/なぜ、日本は新型コロナの拡大を食い止められなかったのか〉(帯より)。著者はノンフィクション作家。永寿病院や沖縄のほか、ダイヤモンド・プリンセス号、検査の拡充で感染拡大を抑えた和歌山県、病院のネットワークで自宅待機ゼロを実現させた東京都墨田区、深刻な医療崩壊を招いた大阪市などを幅広く取材。現場の奮闘と政治の乖離にゾッとさせられる。

『倉持仁の「コロナ戦記」』
倉持仁、泉町書房、2021年、1980円(税込)

 

副題は「早期診断で重症化させない医療で患者を救い続けた闘う臨床医の記録」。著者はテレビやツイッターで政府批判を行うなどして有名になった、インターパーク倉持呼吸器内科クリニック院長。国がやらないならウチがやるとばかり、自らPCR検査センターやコロナ専門病床を立ち上げた。ツイッターの再録とともに再現された第一〜第五波のドキュメントは「国の失敗の軌跡」そのもの。

『コロナと闘った男――感染対策最前線の舞台裏』
惟村徹、幻冬舎、2021年、1650円(税込)

 

〈命をささげる覚悟はあるか/パンデミックとの死闘、437日間の記録〉(帯より)。著者は特殊清掃業専門の会社社長。ダイヤモンド・プリンセス号の除染作業を皮切りに、全国を飛び回ってコロナウイルスの消毒に携わる。医療現場の見聞のほか、自治体指定の宿泊療養施設に運営マニュアルがなかった、戦没者追悼式の感染対策で厚労省に有効な消毒液を拒否されたなど、驚く話もいっぱい。




PR誌ちくま2022年1月号

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