加納 Aマッソ

第53回「to the moon」

 繁華街とオフィス街のちょうど間にある「平気で全品まずい店!」は、今日も夕方から大賑わいだ。
 ライブ終わりの私たち4人が到着した夜20時頃も、予約席の札が置いてあるテーブル以外は満席であった。サラリーマンや大学生たちが普段よりも大きな声で、店内のガヤガヤに負けないように「おれ思うんだけどぉ〜」を発表している。
「おれはおまえが思ってるより思ってることあるんだけどさ〜」
「ほんとかな〜? おれもけっこう思ってるけどなぁ〜」
 入り口の正面奥にはドタバタと動き回る厨房スタッフ。その手前のデシャップには、汚れたビールジョッキとお皿、そして食欲をそそる、おいしそうな提供前の料理たち。口の中に広がる唾、鳴りだすお腹! でも忘れてはいけない、ここは平気で全品まずい店! ここは東京! いかれた気分さ!

 「お好み焼き屋だと思ってたんですけど、けっこうメニューあるんですね!」
「どれどれ?」
 メニューを手に持つと、「平気で全品まずい店!」だということを忘れてしまうからいけない。
「ミックスお好み焼きと、サラダと、ホルモン炒めも頼もっか!」「いいですね〜」「いいですね〜」「あ、海鮮塩焼きそばもいいですか?」「いっちゃえ〜いっ」
 大人が最高である理由のひとつに、好きなものだけを食べればいいというのがある。実家ではそうはいかんからね! 大人は自由だ! 自由が飛び交う、平気で全品まずい店! お通しだってもちろんまずい!
 私が昭和のエロオヤジなら「ねえちゃん年齢いくつぅ〜?」と話しかけたくなるような、マスク越しでもわかるキレイな店員さん。女優の卵? 読者モデル? だってここは東京、なんにでもなれるもんね!

「今日のウケどうやった?」「いい感じでした! 次こそは一個上のライブいきたいっす!」「コラ、一個上とか言ってんと、二個三個、もっとを目指さなあかんぞ?」「わかりました! 次はじゃあ、月までいきたいっす!」「そうや! その勢いや!」「お待たせいたしましたー! ミックスお好み焼きでーす!」「わあ! 見た目だけはおいしそう〜!」
 鉄板にはみ出るほどたっぷりかかったソースとマヨネーズ、上ではかつお節が「夜は長いぜ!」と踊っている。口に入れる前にまず、誰かと誰かのケンカ話!「え、まじで??」パクッ「詳しく聞かせて聞かせて」わ! 生地がべちょべちょでまず〜い!「で、そっから共演NGなんですって!」「すげ〜!」「すっげ〜!」すごすぎ〜!

 店を出ると、生ぬるい風がほてった頬を撫でた。「いや〜あったかくなってきましたねぇ」「ほんまやな〜」長くなった夜は、手放すのが惜しい。「ちょっと散歩して帰ろうか」「そうしましょう!」 ていうか、さっきの店まずかったよな?「あのさ、ほんまに月に行けるとしたら行きたい?」なんかホルモンも変に甘くなかった? 東京ってこういう店多すぎひん?「行きたくないでしょ!」なに開き直ってんねんって思わへん?「行きたくないんかい!」「加納さんは行きたいんですか?」「行きたいやろ」行きたいわ! なんやったら今から行きたいわ! 青い地球見て今のまずかった店のこと忘れたいわ! なんやねんあの店! こんなんばっかや! 東京にまずい店どんだけあんねん! 地方出身者は騙せると思ったんか! 絶対宇宙食のほうがうまいわ! 月行かせろ! はよ! この夜のあいだに!