世の中ラボ

【第146回】
沖縄復帰五〇年を素直に祝えない理由

ただいま話題のあのニュースや流行の出来事を、毎月3冊の関連本を選んで論じます。書評として読んでもよし、時評として読んでもよし。「本を読まないと分からないことがある」ことがよく分かる、目から鱗がはらはら落ちます。PR誌「ちくま」2022年7月号より転載。

 今年、2022年は1972年に沖縄が本土に復帰して五〇年の年である。5月15日には沖縄県と政府の共催による復帰五〇周年記念式典が宜野湾市と東京で同時開催された。
 しかし、いまいち盛り上がりに欠けると感じたのは私だけだろうか。新聞やテレビは沖縄の特集を組み、今期のNHK朝ドラは復帰前後の沖縄を舞台にしたドラマ(「ちむどんどん」)だったりするものの、祝賀ムードにはほど遠い。辺野古などの米軍基地問題が背景に横たわっていることはやはり大きい。
 考えてみれば、私も含めた本土の住民が、復帰に至る歴史やその後のことを正確に知っているとはいいがたい。復帰五〇年に合わせて出版されたと思われる新しい本を読んでみた。

住民と米国の直接対決
 宮城修『ドキュメント〈アメリカ世〉の沖縄』はいきなり〈沖縄では四月二八日を「屈辱の日」と呼んでいる〉という衝撃的な一文からはじまる。〈一九五二年四月二八日、サンフランシスコ講和条約の発効によって日本は独立して主権を回復した。その一方で沖縄は奄美、小笠原と共に日本から分離され、米国が統治する米国施政権下に置かれることになったからだ〉。
 1952年〜72年の二〇年間が「アメリカ世」すなわち沖縄の米国統治時代である。〈この時期の沖縄は米軍人が最高権力者として君臨した。このため軍事優先の統治によって基本的人権は保障されず、自らの事を自ら決める自治権はないがしろにされた〉。
 いいかえると、その間の沖縄は、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を謳う日本国憲法の外にあったということだ。
 実際、「アメリカ世」の二〇年間に沖縄で起きた主要なできごとを時系列で追ったこの本を読むと、沖縄にとっての返還への道筋がいかに苦難に満ちた闘いの歴史だったかが分かる。
 米軍と島民の闘いは、サンフランシスコ講和条約発効直後の、強制的な土地収奪に抵抗するところからはじまる。
 45年に沖縄を占領した米軍は、田畑や集落をつぶして飛行場、兵舎、軍事物資集積所などを建設。講和条約発効後も占有した軍用地を使用するため、52年に「契約権」を公布した。あまりの条件の悪さゆえ、ほとんどの地主は契約を拒否したが、さらに襲いかかるアコギな政策。53年には告知の三〇日後には地主の意思にかかわらず強制的に土地を収用できる「土地収用令」を公布して、真和志村銘刈、安謝らが強制的に接収された。
 住民側も黙ってはいなかった。琉球政府や市町村長会は激しく抵抗。①一括払い反対、②適正補償、③損害賠償、④新規接収反対の「土地を守る四原則」を掲げて、ことは「島ぐるみ闘争」にまで発展する。代表団を米国に派遣する。東京にも派遣する。56年7月には、主催者発表で15万人が参加する大集会が開かれた。
 米国側の圧力も露骨だった。分断工作で「島ぐるみ闘争」にゆさぶりをかけ、12月の那覇市長選で日本復帰を公約に掲げた人民党書記長の瀬長亀次郎が当選すると、「金融封鎖(補助金を制限し負債の返済を迫るなどの経済的圧力)」や「水攻め(米軍からの給水を止める)」などの、えげつないやり方で圧力をかけてきた。
 軍用地をめぐる一連の攻防は、占領下の沖縄の住民は米軍(あるいは米国政府)との直接対決を強いられたのだ! という事実をあらためて突きつけてくる。まるで象と蟻の闘いだ。
 それでも住民の闘争は一定の成果を残した。米軍による度重なる瀬長追放工作にもかかわらず次の那覇市長選で瀬長の後継者が勝つと、さすがの米国も対沖縄政策の見直しを迫られ、四原則のうち、一括払い方式の撤廃と地代の適正補償は実現。それまでの強硬策から経済重視の政策へと方針を転換した。
 しかし、沖縄の闘いはまだまだ続く。
 1968年、それまで任命制だった琉球政府主席がようやく公選制になり、即時無条件全面返還を公約に掲げた屋良朝苗が当選。いよいよ沖縄返還が射程に入ってきた。ところが、そんな矢先の68年11月、嘉手納基地でB52戦略爆撃機が離陸に失敗して爆発炎上。沖縄戦の恐怖を覚えている人々の恐怖は大きく、労組などで結成された共闘会議はゼネストの実施を決定した。その一方で、屋良主席は佐藤栄作首相にB52の撤去を米国に働きかけるよう要請したが、政府はこれを反故にした。〈県民が愚弄されている。B52を撤去させるには、ゼネストくらいの抗議をしないといけない〉(全軍労委員長)。ついには基地労働者2万人を束ねる全軍労もゼネストへの参加を決定する。
 このゼネストは結果的には回避されたが、米国務省や日本政府を相当ゆさぶったのも事実。沖縄の抵抗は〈米軍基地が「敵意をもつ住民に囲まれている」ことを顕在化させた〉のだ。
 こうした流れを見てくると、1970年12月のコザ騒動も、米兵の交通事故に起因する突発的な暴動ではなかったことがわかる。それは切羽つまった思いの発露だったと見るべきだろう。
 沖縄が激しい闘いを続ける一方、では日本政府と米国政府はどんな交渉をしていたのか。河原仁志『沖縄50年の憂鬱』は返還までの道程を日米の政治家や官僚の側からたどっている。
 沖縄返還交渉の表舞台に立った佐藤栄作首相は、もともと沖縄に思い入れがあったわけではなかった。佐藤を沖縄返還という外交課題に向かわせたのは、もっと別の理由である。
〈佐藤は70年安保問題の争点化を避けるための「手段」として沖縄返還を強く意識していました。だから、返還の合意は何としても70年以前でなければならなかったのです。基地の在り方や米軍の役割への深い洞察は、そこにはありませんでした〉。
 さらに続けて著者は書く。〈その思いは米政権も同じでした〉。米国にとって安保条約は沖縄に基地を置く最大の根拠。ことにベトナム戦争が泥沼化する中、当時のジョンソン政権にとって極東の安全保障は死活問題だった。加えて佐藤の首相(自民党総裁)の任期は70年11月まで。日米の利害は一致した。
〈返還合意の目途付けをうたった67年の日米共同声明は、任期中の返還合意を目指す佐藤と、ベトナム政策で支援を得たいジョンソンがお互いの内政事情に配慮し合い成立した妥協の産物でした〉というのが著者の見立てだ。沖縄返還に向けた合意は、沖縄の民意とはまったく違うところで進んでいたのである。

決定権のない決定者
 とはいえ、真摯に返還を模索していた人たちもいた。その最初のひとりが61年に駐日大使に着任したライシャワーである。沖縄に対する彼の認識は、米軍の喧伝通り「沖縄の人は本来日本人ではなく、日本に恨みがあるので米国統治を歓迎している」というものだった。しかし、着任した年に沖縄を訪れて、彼の認識は一変する。自叙伝によると〈一目見て沖縄は日本だとわかりました〉〈あ、これは返還しなければならないと覚ったのです。こんな状態は決して長続きするはずがないと思いました〉。
 東京に戻ったライシャワーは、国務省に沖縄の実情を報告するなど、具体的な行動に出る。62年、進言を受けたケネディ大統領は〈琉球諸島は日本の一部であり、主権が復活する日が来ることを期待する〉という声明を出した。そこには一部行政機能の琉球政府への移譲や住民自治の拡大策も盛り込まれていた。
 びっくりしたのは外務省。彼らの視野に沖縄はまったく入っていなかったのだ。この例にもれず、本書がたどる米国と日本のキーマンの言動を見ていくと、沖縄の基地移転をまじめに模索していた人物はむしろ米国側のほうに多く、日本政府や外務省は返還交渉に基地縮小議論などは端から無理、と考えていた節がある。
 ことに外務省や防衛庁の幹部は、米国側が基地縮小を持ち出すたび、必死で押し戻そうとした。著者はそれを安保族の「見捨てられ不安」と呼ぶ。そうした態度は交渉の席で米国を優位に立たせ、今日の「思いやり予算」などにつながっていく。
 佐藤政権は「核抜き本土並み」の方針を掲げたが、「本土並み」とは「安保条約を本土並みに適用する」の意味で〈沖縄民意と政府方針との違いを不可視化したマジックワードでした〉。
 内と外、視点の異なる二冊を平行して読むと、生活がかかった沖縄と政治的な打算しかない政府のズレにメマイがしそうだ。
 住民の意思を無視したやり方は、現在も同じである。
 熊本博之『辺野古入門』は現下最大の焦点である辺野古の新基地建設問題を概説した入門書だが、1996年に浮上し、今日まで延々と続く、選挙戦を含む沖縄と日本政府の攻防は、軍用地問題をめぐる五〇年代の沖縄の闘いと重なるところがある。住民の切なる思い。揺れ動く民意。政府と県との果てしない攻防戦。
 しかし、そもそも辺野古には〈建設の是非を決める決定権がない〉のである。名護市にも沖縄県にも決定権はない。それなのに辺野古が普天間基地の移設候補地になった九六年からずっと、建設に賛成か反対かと、彼らは問われ続けてきた。
 こうした状態が続くと、人は賛否を問われること自体から距離を置きはじめる。〈いくら反対の意思を示しても認めてもらえず、賛成したときだけ決定したとみなされるのであれば、賛否を答えることに意味がなくなるからだ〉。
 沖縄の歴史は常に本土側の都合で左右されてきた。軍用地問題も、沖縄返還交渉も、辺野古の新基地建設も。決定権のない中で果てしなく続いてきた消耗戦。〈戦争で失った「領土」はたしかに返還されました。しかし、「沖縄」そのものは半世紀を経ても、まだ戻ってきていないのかもしれません〉(『沖縄50年の憂鬱』)という言葉にいまの沖縄は象徴されている。こんな状態がいつまで続くのだろうか。問われているのは本土の側だ。

【この記事で紹介された本】

『ドキュメント 〈アメリカ世〉の沖縄』
宮城修、岩波新書、2022年、1078円(税込)

 

〈占領から日本復帰へと至る「もう一つの現代史」〉(帯より)。著者は沖縄県生まれ。琉球新報の記者を経て現在論説委員長。基地問題を中心に米国占領時代(1952〜72年)の沖縄の闘いを描く。占領期のリーダーとしての役割を担った政治家、瀬長亀次郎、屋良朝苗、西銘順治にも注目。アメリカ世を終わらせた最大の要因は、粘り強く闘った沖縄の民意だったという言葉が印象的だ。

『沖縄50年の憂鬱――新検証・対米返還交渉』
河原仁志、光文社新書、2022年、990円(税込)

 

〈「いびつな日本」の原点がここに――。〉(帯より)。著者は共同通信の記者として沖縄取材を続けてきジャーナリスト。19年に退社した後、相次いで解禁された日米の機密文書を渉猟。いままで報道されていなかった新事実もまじえて、日米の交渉現場で何が行われていたかを詳細に検証する。中高生でもわかる臨場感たっぷりな書き方ながら「ぶっちゃけ」な話も多く、たびたび絶句する。

『辺野古入門』
熊本博之、ちくま新書、2022年、880円(税込)

 

〈なぜ、ここに新しい基地がつくられるのか?〉(帯より)。著者は二〇年にわたって現地でフィールドワークを続ける社会学者。キャンプ・シュワブのある名護市辺野古は「基地の町」として繁栄した過去を持ち、米軍とも友好的な関係を築いてきた。しかし……。95年から2022年までの経緯を選挙戦、市民の運動、住民投票の動きなどを中心に解説。辺野古問題の複雑さが浮かび上がる。

PR誌ちくま2022年7月号

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