加納 Aマッソ

第54回「パルト」

 もうどれくらい、いもちゃんの寝ている姿を見ていないだろうか。逆にいもちゃんは今まで何度、私の寝顔を見てきただろう。つい先週も、終電でいもちゃんの家に行き、到着するなり「5時になったら起こして」と言って彼女が編集作業で寝ないであろうことを前提に、ベッドを占領してグーグー寝た。
 朝になると、パンパンッと柏手のように手を叩く音と「時間です」という抑揚のない声が聞こえ、私は不機嫌にのろのろと起き上がる。いもちゃんはいつも私の体を揺さぶったりはせずに、必ず柏手方式で起こしてくれるが、「なんで?」とは聞かない。サイドテーブルには、コンビニで買ってきてくれた私の好きな朝食が並べられている。それらをおいしくいただき、眠い目をこすりながらいもちゃんちを出て家に帰る。駅に向かう道中で、本来の訪問の目的をすっかり忘れていたことを思い出す。そうや、イベントの打ち合わせをしないと、と思って仕事終わりに足を運んだんやった。そんなことがしょっちゅうある。
 数年前までは相方と二人暮らしをしていたので、私たちコンビの映像や音楽・企画と幅広く担当しているいもちゃんは、うちに泊まっていくことがよくあった。泊まっていくといっても、パソコンの前で作業している途中で寝落ちして、また起きたらそのまま作業を続ける、を繰り返していただけだ。いもちゃんはパソコンの前で相方よりも「Aマッソ労働」をしているので、初めての人には「二人目のAマッソです」とふざけて紹介しているが、費やしている時間だけ見ればむしろ一人目かもしれない。
 6畳1Rのアパートで、初対面の私に名刺代わりの自作曲を弾き語りしてくれた時から、ずっといもちゃんの神秘に触れてきた。その歌声はあまりの高音でほとんど何を言っているのかわからなかったが、「役人と思し召す」だけ聞き取れた。そのときも「なんでその歌詞?」とは聞かなかった。この神秘を逃すまいと、すぐに「ライブを見に来てほしい」と誘った。運良くそのライブはネタがドカドカとウケて、来てくれたいもちゃんが「一緒にライブ作りたいです」と言ってくれた。
 初めての単独ライブの日、一本だけいもちゃんが映像を使うコント台本を書いてきてくれた。「女郎蜘蛛の親子がホームパーティーにハリウッドの俳優を呼ぶがその席決めに迷う」というネタだった。「なんで女郎蜘蛛?」なんて聞けなかった。夜中にいもちゃんの家で一緒に小道具を作り、外が明るくなると隣の部屋から朝食を作っているにおいが漂ってきた。私がぼーっとした頭で「となり、たまご焼いてるなあ」と言うと、いもちゃんは「錦糸たまごですかねえ」と言った。そのときもまた「なんで?」を飲み込んだ。
 打ち合わせ中、急に脈絡なく「パルト」と呟き、「パルトって?」と聞き返すと恥ずかしそうに「……スウェーデンの肉団子です」と言ったときも、数日前に一緒にロケをした後輩の霜降り明星がM-1で優勝した直後に二人で散歩していると横で「悔しい」と言って私の代わりに泣き出したときも、ひたすら「なんで?」をこらえた。
 もしも我慢できなくなって、うっかり聞いてしまってもどうか何も返さないでほしい。いもちゃんの神秘は、ずっとわからないほうがいい。今日も隣で、神秘に包まれて眠る。

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