世の中ラボ

【第147回】
地方が舞台の「コロナ小説」から見えるもの

ただいま話題のあのニュースや流行の出来事を、毎月3冊の関連本を選んで論じます。書評として読んでもよし、時評として読んでもよし。「本を読まないと分からないことがある」ことがよく分かる、目から鱗がはらはら落ちます。PR誌「ちくま」2022年8月号より転載。

 新型コロナウイルスが世界を席巻して二年半が経過した。
 国内の感染状況は、2022年2月に第六波のピークを迎えた後、感染者数・死者数ともに漸減。6月下旬から再び増加傾向に転じ、第七波の到来が懸念されているものの、ワクチン接種が行き渡ったためか、オミクロン株は重症化リスクが低いと喧伝されたせいか、昨年・一昨年の緊張感はすでにない。5月中には飲食店などへの規制が解除され、6月には海外からの旅行客の受け入れも不完全ながら復活し、三年ぶりに行動制限のない夏が訪れている。
 一方、文学の世界に目を転じると、濃淡の差こそあれ、コロナ禍を取り込んだ小説はもはや珍しくなくなった。
 中でも特に出色だったのは、コロナ下の地方都市を舞台にした作品である。コロナ禍は日本中をあまねく襲った厄災だったが、東京と地方都市では何が違ったのか。三冊の小説を読んでみたい。

Uターン組と移住組が体験したこと
 木村紅美『あなたに安全な人』は21年10月刊(書き下ろし)。舞台は2020年の岩手県らしき東北地方の町である。
 物語は二人の人物の視点が交互する形で進行する。
 妙は四六歳の女性。郷里で中学校の教師をしていたが、その後上京。母の病を機に前年の春、九年ぶりに故郷に戻ってきた。その母も、次いで父も逝き、いまは古びた実家にひとり住まいだ。
 忍は三三歳の男性。家賃を滞納して東京のアパートを追われ、前年の夏、一三年ぶりに故郷に戻った。だが、実家の母屋には兄一家が住んでおり、彼は土蔵で寝起きさせられている。
 半分世捨て人みたいな二人が便利屋とその客として出会うところから物語ははじまるが、この小説のポイントは、この町が「コロナとおぼしき新型肺炎の感染者がひとりも出ていない県」に属していること、さらに二人がともに「東京帰り」であることだ。
 妙が地域から孤絶した暮らしをしているのも、忍が家族に疎まれているのもそれゆえで、妙は過剰なほど衛生に気をつかい、忍は不衛生な環境での暮らしを余儀なくされている。
 陳腐な言い方をすれば、未知のウイルスは人の身体だけでなく、心も蝕む。妙の町内では、東京から移住してきた六〇代の男性が、最近、自殺とおぼしき謎の死をとげていた。
 彼が越してきたのは、ちょうど東京で感染が拡大したころだった。〈借りる契約をしていたマンションの住民会議で、東京から来たのならウイルスの潜伏期間がすぎるまで入居は控えるよう決議され廃屋同然の仮住まいへ移され〉た、そのあげくの死。
 忍は自身の境遇と重ね合わせて自嘲気味にいう。
〈まぁ、しょうがないですね。田舎だと、感染者になったら、一族の恥、って叩かれて、のちのちまで語り継がれますしね。もしかすると、すでにそれっぽい症状が出てるのに、裏庭の蔵、とかに閉じ込められてる人もいるかもしれませんよね。病院で検査を望んだら、県内の第一号になりたいんですか、って脅されて、受けさせてもらえず帰った人がいる、ってうわさも聞くし〉。
 いかにもありそうな話ではある。
 加えて、妙も忍も心にわだかまりを抱えていた。妙は教師時代に教え子の自殺を止められなかった負い目が、忍は警備員のバイトで赴いた沖縄で、新基地反対運動に参加していた女性を突き飛ばした過去がある。そのことで妙は死んだ子どもの父親に、忍はネットで彼の暴力シーンを見たという姪に脅されていた。
 後に二人は妙の家で同居することになるのだが、恋愛関係に進むどころか、できるだけ顔は合わせず、ひとつの食卓を囲むこともなく、会話もほとんど襖越し。究極のソーシャルディスタンスな関係? 純文学なのに気分はホラー。考えるだにコワイ。
 絲山秋子『まっとうな人生』は22年5月刊(初出は「文藝」19年冬号〜22年春号)。富山を舞台に、19年4月から21年10月までの二年半を描いている。じつは『逃亡くそたわけ』(05年)の一七年ぶりの続編で、主人公も同一人物だ。
『逃亡くそたわけ』は語り手の「あたし」こと花ちゃん(花田しずか)と、名古屋生まれのなごやん(蓬田司)が福岡の精神科病棟を抜け出し、鹿児島までを車で旅する痛快なロードノベルだった。当時の花ちゃんは二一歳。なごやんは二四歳。
 それから十数年後、花ちゃんは富山市に、なごやんは同じ県の高岡市にいた。アラフォーになった二人はそれぞれに家庭を持ち、配偶者の実家がある富山県に越してきたのである。
〈よそ者のことを、富山では「たびのひと」と言う。何十年住んでいても出身が違うだけでそう言う〉。福岡で生まれ育った花ちゃんも、名古屋生まれのなごやんも、要は「たびのひと」である。それでも彼らは平穏な暮らしを営んでおり、偶然再会したのをキッカケに家族ぐるみの付き合いをはじめた。
 ところがそこに予期せぬ事態が到来した。コロナ禍である。
 20年2月末、富山にはウイルスがまだ到達していない頃から、彼女の頭の中では警笛が鳴った。〈なりふりかまわず家族を守れ!〉〈食べ物を確保せよ!〉〈清潔を保て!〉。〈スタジアムに集まったサポーターみたいなご先祖様集団が、あたしたち家族を応援し、奮い立たせようとしているのだった〉。
〈あたしはたちまち覚醒して臨戦態勢に入った〉のには、理由がある。彼女には双極性障害(旧病名は躁鬱病)の持病があり、非常事態がもたらす興奮は「躁状態」に似ていたのだ。
 コロナ禍はまた、地域の排他性も明るみに出す。なごやんは妻の言葉に傷ついていた。〈今日もどこそこで他県ナンバーを見たとか、県外から来たら困るとか、ナチュラルに言うんだよね、うちの奥さん。えっ、そんなこと言うのって思った。俺だって「たびのひと」だもの。そういうところから差別って始まるじゃん〉。

コロナ禍があぶり出す差別
『あなたに安全な人』の妙と忍はUターン組、『まっとうな人生』の花ちゃんとなごやんは移住組という差はあれど、県内の土着の住人からみれば、彼らはいずれも「部外者」だ。二編があぶり出すのは、コロナ禍によって顕在化した「内と外」「浄と不浄」「敵と味方」の感覚である。なごやんが「差別の始まり」と指摘したように、それは関東大震災時の朝鮮人虐殺や、ナチス・ドイツのユダヤ人迫害と地続きの事態ともいえる。
 実際、『あなたに安全な人』の妙は車や壁に〈ひとごろし〉〈町からでてけ〉と落書きされ、忍は姪から〈おじさんは、このさき、どこかで野垂れ死にして身寄りも特定されないまま共同墓地に埋葬されるといいんじゃない、って、みんな、ニュース見ながら言ってます〉というメールを受け取るのだ。
 調べてみると、富山県で最初の感染者が出たのは20年3月30日、全国で最後まで感染者ゼロだった岩手県で最初の感染者が出たのは同年7月29日だった。当時のニースでは、富山の第一号陽性者は京都の私立大学に在籍する富山市の女性、岩手の第一号陽性者は盛岡市の男性で、彼が勤める県内企業のHPにはアクセスが殺到、サーバーが一時ダウンした、とある。感染者の属性が報道されている点からも、この件が県内では重大に受け止められたことがうかがえる。小説が描いている事態は誇張とはいえないのである。
 桜庭一樹『少女を埋める』(22年1月刊/表題作の初出は「文學界」21年9月号)は私小説的作品である。
 物語は二度目の緊急事態宣言中だった21年2月23日からはじまる。その日、語り手の「わたし」こと冬子は鳥取に住む母からのショートメールを受け取る。二〇年前に肺を患い、長く療養中だった父が危篤状態にあるという。病院は面会禁止。家族もリモート面会しかできない。〈もしわたしが鳥取に戻っても、感染者の多い東京から来た人は病院に近づけないだろう。それどころか、県内の離れた市に住む親戚が集まるのもいまは難しそうだ〉とは思ったが、やはり帰ろうと決意。PCR検査を受け、陰性を確認し、飛行機で郷里に飛んだのが25日。七年ぶりの帰郷だった。
 それから意識のない父との二回のリモート面会を経て、父を看取り、母と二人で火葬にし、告別式も終えて東京に戻る3月上旬までの日々が、現在と過去の記憶を行き来する形で語られる。
 冬子の場合、ニュースを見て〈この小さな町で感染者になってしまったら、その後の人生がさぞ大変だろうと怖しくなる〉ことはあっても、自身が露骨に排斥されてはいない。それでも彼女は、郷里の因習を嫌ってこの地を出ていった上京組だ。「部外者」に変わりはない。〈出て行け。もしくは、従え〉という声がどこからか聞こえる。〈共同体は、美少女、猿回し、異能者、性的少数派などをウイルスと判断し、免疫機能を働かせる。協力しあい、あくまで、排除し続ける。いま、このときも〉。
 二年前の春、未知のウイルスにおびえ、街頭から人が消えた頃を私たちはもう忘れそうである。けれどもそれは、非常時には虐殺すら起こりかねない社会の危うさを図らずも暴き出した。
『まっとうな人』の語り手・花ちゃんは、排他性とは内と外を分けて内側の衛生を保つこと、つまり〈身内を守ろうとする態度なのだ〉と考える。と同時に病気が悪かった頃を思いだす。〈家のなかではまるで病気なんかないように扱われ、学校では友達に無視された。病気はケガレだった。あたしがケガレやった〉。
 こんな状況を断ち切ることはできるのだろうか。『少女を埋める』は〈溺れてるとき、苦しいとき、正論がいつも命綱だった〉という。〈共同体は個人の幸福のために!〉という呪文のようなリフレインで終わるラストに解はあるのだと思いたい。

【この記事で紹介された本】

『あなたに安全な人』
木村紅美、河出書房新社、2021年、1837円(税込)

 

〈人を死なせた女と男の孤独で安全な逃亡生活〉(帯より)。舞台は岩手県のある町。わけあって首都圏から郷里に戻ってきた妙と忍だったが、コロナ下の故郷はUターン組の二人を温かく迎え入れてはくれなかった。二人が胸に秘めた過去の秘密が、ホラーな雰囲気に拍車をかける。疑心暗鬼にとらわれた人々の意識と、感染症が生む差別を鋭くあぶり出した佳編、作者は岩手県在住。

『まっとうな人生』
絲山秋子、河出書房新社、2022年、1892円(税込)

 

〈でもあたしには、そういう器用なことができんやった〉(帯より)。舞台は富山県。農機具の会社に勤める夫と一〇歳になる娘と富山市内に移住してきた花ちゃん。持病も小康状態を保ち、夫の両親とも友好的な関係を保ち、平温な家庭生活を営んでいたが、そこにコロナ禍到来。しかも福岡の実家では家族が倒れ……。富山の風物を盛り込んだご当地文学としても秀逸。作者は東京都出身。

『少女を埋める』
桜庭一樹、文藝春秋、2022年、1650円(税込)

 

〈著者初の自伝的小説集/出ていかないし、従わない〉(帯より)。舞台は鳥取県の、おそらく米子市。父の危篤の報を受け小説家の冬子は急ぎ帰省し、母とともに父を送り、その過程で父母の間の深い愛情を知る。が、久々に帰った郷里への違和感も拭えず……。静かな看取りの記録ながら、明日に向かって踏み出すラストが素敵。続編は表題作をめぐって起きた論争の顛末。作者は島根県出身。

PR誌ちくま2022年8月号

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