昨日、なに読んだ?

File92.朝、小さなベランダでひとつずつ読む本
ヴァルター・ベンヤミン『一方通交路』(晶文社、幅健志、山本雅昭編)/J・P・へーベル『ドイツ暦物語』(鳥影社、有内嘉宏訳)

紙の単行本、文庫本、デジタルのスマホやタブレット、電子ブックリーダー…かたちは変われど、ひとはいつだって本を読む。気になるあのひとはどんな本を読んでいる? 各界で活躍されている方たちが読みたてホヤホヤをそっと教えてくれるリレー書評。今回のゲストは落語家の林家彦三さんです。

 最近、この課題図書を読了し、今、私の小さなベランダの煤けた室外機の上には、新しい日課のための主役がいる。まるで鍬を肩に一服する農夫のような風情で。秋の光の中に。J・P・へーベル『ドイツ暦物語』。ごく短い、素朴な小噺集というようなもの。枯葉の寄せ集め。敬虔な教訓譚。ひとつの物語が短いから、調子が良い。短い方が良いのは、日課として心地よく制限されるから。そしてすぐ忘れられるから。
 これは前課題とは異なる趣の散文だが、新しい朝の光に晒されると、それは同じく、ただの活字として現れる。例えるならばタール数の違いくらいのもの。あとは朝日の入射角と反射角の問題で、ある種の鉱物がそこにあるだけで、見え方でキラリと輝くだけ。
 私のカレンダーの升目は秋の日を擦り減らしながら、日々を数えている。煮え切らない信心と覚え切れない古典落語の台本を抱えながら、私は今日も暦に罰点を付ける。どうしよもない人間性には、芸人らしくかえって甘んじて丸印を付けながら。あるいは『ドイツ暦物語』は、そのような現代的な日陰者にさえも古くて新しい一条の光を与えてくれる。ごく稀に。可能性の隙間から洩れこぼれるように。
 長くなってしまいそうなので、この辺りで。続きを書きたい気持ちもあるが、とりあえずは自分の立場を左右確認しながら、その機会をじっと待つことにする。
 さて、最後に、お断りをしておきたい。この私自身に。心せよ。忘れないように。私は専門家ではないのだ。そういう方々には多大な敬意があるので、部分的にしか読んでいない私は謙虚に、恐縮しなければならないのだ。あくまでも芸人。しかし、卑下はするな。落語を覚え、忘れながら、新しく日々の暦をめくるだけ。それにはまず月々の店賃を遅らせないように、気をつけよ。ご用心。この私の、小さなベランダのためにも――

※ちなみに、このたびの朝の二冊については何の作為もなく偶然のことなのであるが、へーベルについては『一方通行路』の施工者もどうやら偏愛していた作家である。曰く、「読んだあとからすぐに忘れられてしまうのが、これらへーベルの物語の特性であり、その完璧さのしるしでもあるのだ。ひとつの話を心にとめたといったん思っても、ほかの話をどんどん続けて読んでゆくと、つねに別のことを教えられ、つねに新たに啓発されることだろう。」(『ベンヤミン・コレクション2』浅井健二郎編訳、久保哲司訳、筑摩書房)
 

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