加納 Aマッソ

第57回「最近糖分足りてないんじゃないですか?」

 近頃はもう場所を選ばず顔をだすアマミちゃんに、ほとほと困っている。
 今年のお正月、私は小野照崎神社の御本殿の前で静かに手を合わせていた。東京の下町・入谷にあるこの神社は、かつて下積み時代の渥美清さんが訪れ、「お酒とたばこをやめるので仕事をください」と願い、見事『男はつらいよ』の寅さん役を獲得したという逸話が有名な場所だ。毎年、芸能に従事する者がこぞって訪れ、なにか自分の好きなものや依存しているものを断つ代わりに、仕事の繁栄をお願いする。御祭神は小野篁(おののたかむら)という公卿で、公式サイトには「平安時代を代表するマルチアーティスト」と書かれていた。ずいぶん寅さんの逸話に吸い寄せられてきた人に合わせた紹介文のような気がしなくもないが、たしかに見境なくいろんなジャンルにちょっかいを出したいと願う私のような強欲な人間には、これ以上ない魅力的な神様だ。一説によると「おじゃる丸」のモデルとも言われているらしい。かわいい。最高である。
 半信半疑の状態で参拝した昨年は、軽い気持ちで「コーヒー断ち」をすることにした。毎日平均2〜3杯飲むほどには依存していたので、キツさ的にも健康にもちょうど良いだろうと思った。そしてこの選択が大当たり、コーヒーの代用は紅茶で余裕だわ体調は良くなるわ前年よりも仕事は増えるわで、私は完全に小野篁の力を信じてしまった。そして私はさらなる大きな仕事を求め、迷いに迷った挙句、思いきって今年一年の「砂糖断ち」を決めた。
 砂糖をやめるというのは、コーヒーとは違い生半可な覚悟ではできない。しかし私は小野篁と約束した。世間で強固と言われる「男と男の約束」なんて比じゃない「篁と私の約束」、「砂糖やめるからでかい仕事ください」、そして小野篁の力強い「うむ」をしかと聞いた。
 そしてここまで10カ月、私はあらゆる誘惑を跳ね返してきた。楽屋のケータリングのお菓子、ライブでの関係者からの差し入れ、ミスタードーナツ前の通過、そしてコンビニ!コンビニ!コンビニ&エンスストア! 陳列棚を全部なぎ倒したいほど砂糖への欲望が爆発しそうなときもあったが、私は耐えた。そして耐えたことで、少しずつ仕事も増えている。よしよしよし。ありがとう小野篁、私にはあなたが必要、あなたがいればそれでいい。
 一方で、御祭神との関係が良好であるがゆえに、アマミちゃんが誕生したことに気づかなかった。ろくに糖分を入れてもらえなくなった身体は、知らない間にアマミちゃんというおてんば娘を生み出していた。
 アマミちゃんは、朝から容赦がない。家をでる時間ぎりぎりに起きたときでも「まあまあ、いいじゃなぁ〜い」とベッドに私を縛りつけてじゃれてくる。締め切りが迫っているときでも「仕事ばっかしてないで、ねえ〜」と私に抱きついて思考の邪魔をする。最近は打ち合わせにもついてくるからたまったもんじゃない。しかしアマミちゃんは、篁と私の間に授かった大切な神の子、邪険に扱うとバチが当たる。「ゴロゴロしましょ」「遊びましょ」「あとで考えましょ」アマミちゃんはいつしか私の思考回路に巣食って、私そのものになった。「最近糖分足りてないんじゃないですか?」半分しか開かない目の前から、知ったような声がする。「会議今度にします?」 届かない。私にはもう、神と神の子の声しか聞こえない。

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