昨日、なに読んだ?

File95.創作の熱に孤独な密室で浮かされる本
松尾潔『永遠の仮眠』

紙の単行本、文庫本、デジタルのスマホやタブレット、電子ブックリーダー…かたちは変われど、ひとはいつだって本を読む。気になるあのひとはどんな本を読んでいる? 各界で活躍されている方たちが読みたてホヤホヤをそっと教えてくれるリレー書評。今回のゲストは「月と怪物」が “ソ連百合” として大きな反響を集め、今年7月に第一長編『蝶と帝国』を発表した新進気鋭の小説家、南木義隆さんです。

 さて、映画と音楽と文章にまつわる筆者の見解を二つ並べたことで成り立つテーゼはこうだ。
1.映画においては現実に存在しない楽曲を(これまでには存在しなかった楽曲を)、物語のなかで豊かに歌うことができる。
2.文章においては現実に存在する楽曲を、文によって豊かに想起させることができる。

 そして小説に立ち戻ろう。小説は文章による表現様式だから、特定の楽曲を上手く引用することによって、フィクションながら現実とのリンクで「2」の効果を発揮させることは比較的可能な手法であり、成功例を挙げればキリがないと思う。村上龍や伊坂幸太郎だって使っている。
 けれども架空のシンガーを登場させ、それを魅力的に描くことは、(比喩的な意味ではなく現実的な問題として)歌声が耳に響かない小説にとってこの上ない難事である。
「音楽小説」というジャンルで、ポピュラーミュージックより、クラシックや吹奏楽など伝統的なインストゥメンタルを主題に扱った方が歴然として名作と評される作品が多いのは、読者の耳の参照元となる音楽が現実に存在することと、切っては切り離せないと考える。物語のなかのピアニストが実在しなくとも「ラ・カンパネラ」の優れた演奏は現実に数多く存在する。
 しかし声の聴こえない、「歌」の描写、ないしは小説家の考えた架空の歌詞といったもので、どれだけ音楽が読者の耳に鳴るだろうか?
 よってポピュラーミュージックにまつわる興奮をフィクション、あるいは文章によって得たくば、どちらにせよ小説という表現様式の序列は残念ながらかなり低いと言わざるを得ない。映画かルポタージュ。これが本論の前提であり、結論でもある。
 にも関わらず、僕は現在ポピュラーミュージックにまつわる長編小説を構想し、そろそろ執筆を始めている。僕は今年の七月に初単著にして第一長編小説を上梓した、無冠の完全なる新人である。売れっ子でもなんでもない。書き上げたところで担当編集者が首を傾げれば、シームレスにお蔵入りだ。
 いわばここまでの文章は、自分が今抱えている漠然とした悩みをこの場を借りて文章に起こす作業でもあった。
 ポピュラーミュージックに題を取ったのは、「俺ならばできる」という自負があったわけではない。僕の第一長編となる『蝶と帝国』の舞台は十九世紀末から二十世紀初頭のロシア帝国であり、あまりにも遠く預かり知らない時代と土地と文化と人々とを入念に調べ、想像を巡らせた小説であることの反動で、書き上げた段階から漠然と「今度は自分が深く関わってきたもの、自分の人生に現れて、あるいは去っていった人たちをなんらかのモチーフとしたフィクションにしたい」という感情が湧き上がった。
 その上で新作を構想していくと、どうしても、自然と題材はここに至ってしまったのだ。だからこそ、僕は十七歳のころ、二十三歳のころ、ジョン・カーニー監督に抱いた激しい嫉妬をより鮮やかに思い出している。

 よって「昨日、なに読んだ?」というテーマでオファーされた本稿は自動的に最近参考に読んでいるポピュラーミュージックを題材にした本のどれかになるわけなのだけれど、そのなかでもあえてノンフィクションではなく、難事を滔々と述べた上で、日本の小説をピックアップした。
 それが松尾潔の『永遠の仮眠』だ。第一の理由は、僕が現在構想している小説で主に扱われるのがブラックミュージックである点。後述するが、これらの音楽はこと日本においては松尾潔の影響が様々な場面に及んでいる。
 第二の理由は、正直こちらの方がずっと重要なのだけれど、これまで読んできた音楽にまつわる小説のなかで、ほぼ唯一と言ってもいいほどの、「小説が音楽に思慕している」のではなく、「音楽が小説に思慕している」という感情を僕に思わせたからである。
 まず本作は作品としてのコンセプトの段階で数多の小説家、あるいは音楽家が小説に挑むとしても成立不可能な複雑な条件をパスしている。その理由となる作者の松尾潔について、一応かいつまんで説明する。
 彼のキャリアの出発点はジェームズ・ブラウンやクインシー・ジョーンズを筆頭に数々のブラックミュージックのレジェンドたち(誰もが知る前述の二人のような者もいれば、それまでは日本で彼とその仲間たちくらいしか知らなかったのではないか、という者もいる)にインタビューを敢行し、同時並行して今以上に日本語の情報の少なかったブラックミュージックについてレビューやライナーノーツといった「文章」で紹介してきた特異な音楽ライターである。それらの主要な仕事の総括については『松尾潔のメロウな日々』と『松尾潔のメロウな季節』という二冊にまとまっている。
 そして松尾は後に自ら詞と曲を書き、編曲も手がけるリズム&ブルースのミュージシャン、プロデューサーとなり、『メロウな日々』の序文で山下達郎が評したように“音楽ライター出身のレコード・プロデューサーは大成しないというジンクスを見事にくつがえ”す存在となる。我々の世代(評者は九十一年生まれである)が松尾潔という名をまず認識するのは、数多のミュージシャンのブレーンも含めた総合的なプロデューサーとしての顔が多いと思われる。

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