昨日、なに読んだ?

File95.創作の熱に孤独な密室で浮かされる本
松尾潔『永遠の仮眠』

紙の単行本、文庫本、デジタルのスマホやタブレット、電子ブックリーダー…かたちは変われど、ひとはいつだって本を読む。気になるあのひとはどんな本を読んでいる? 各界で活躍されている方たちが読みたてホヤホヤをそっと教えてくれるリレー書評。今回のゲストは「月と怪物」が “ソ連百合” として大きな反響を集め、今年7月に第一長編『蝶と帝国』を発表した新進気鋭の小説家、南木義隆さんです。

『永遠の仮眠』のストーリーそのものは単純明快だ。キャリアといい手がける音楽といい、極めて松尾潔本人を思わせる中年期に差しかかった音楽プロデューサーの主人公が、かつて袂を分かったシンガーや関係者と再びタッグを組み、なかなか首を縦に振らないドラマ・プロデューサーと対峙する形でドラマ主題歌を制作する。また主人公とその配偶者の不妊治療とその葛藤が第二軸として同時進行する。
 松尾潔の音楽にまつわる文章という意味では、「メロウ二部作」が音楽論稿であると同時に見事な九十年代の回想記となっている点で、正直なところ僕はこの小説がリリースされ、あらすじを見たとき違和感を覚えた。端的に、「小説ではなく、メロウ・シリーズの第三部を読みたかったな」とすら思った。
 メロウ二部作はここでさんざん語った「2.文章においては現実に存在する楽曲を、文によって豊かに想起させることができる」を完全にクリアしている。だからこそ、海外のミュージシャンたちと取材者として関わった二部作の次は、作り手として関わった日本のミュージシャンたちが出てくるメロウ・シリーズを期待せずにいられなかったのだ。
 半信半疑のまま小説を手に取ってやがて、本作が限りなく主人公のモデルを自分に近づけてもなお、フィクションとして書かないとならない理由を悟った。無条件にリスペクトを払うべき綺羅星のような音楽家たちとの関わりを描いたキラキラとした青春回想記(松尾がマチュアな文化をなにより愛すると知りつつ、こう表現する)としての側面を持ったメロウ二部作に比べて、『永遠の仮眠』は徹頭徹尾、憂鬱なトーンを持っていたからだ。

 物語のミッションである「主題歌を手がけるゴールデンタイムのトレンディドラマ」についても主人公は内心俗っぽいものとハッキリ見下しているし、ある出来事を契機に印象が変わるものの、それでも手放しの絶賛ではなく屈託を隠さない。
 そもそも、完璧にビューティフルな音楽と映像の関わりを描くなら、本稿でさんざん語ったような「作家性の強い映画」という格好のシチュエーションがあるのだ。劇中の登場人物たちすら、トレンディドラマとそれらの映画との差について語り合う。よって第三部の章題は強い言葉で「貴賎」とある。
 音楽事務所やテレビ局との駆け引きも権利関係についてなど細かく筆が割かれており、リアリティがあるが、そのリアリティ全てがどちらかと言えば音楽そのものとはまた別箇のビジネスの駆け引きである。そして主人公は「ビジネスなんて下らない」という体で突き進むのではなく、かと言ってビジネス的価値観を内面化するでもなく、自身の感性とビジネスとの折り合いをつけるために音楽を作り続ける。
 これらの葛藤は、ある程度モデルがいたとしても、「架空の物語」という俎上に乗せなければ料理しきれないものではなかったのではないか、と推測する。この世はリスペクトに値する綺羅星のような存在だけでできているわけではないし、もちろんそんな存在の方が圧倒的に稀なのだ。それでも創作する仕事を選んだなら、そのときどきでやれることをやっていくしかない。つい最近文筆でデビューしたばかりの自分ですらこのことについては実感を持って言えるのだから、松尾のようなキャリアの人間にはいわんやと言ったところである。
 そんな主人公の主戦場はもっぱら完全防音のプライベートスタジオだ。もちろん打ち合わせの会食や、会議で喧々諤々となる場面もあるが、そこではあくまで「人間関係の面倒さ」あるいは「業界関係の憂鬱さ」を嘆く色合いが(とくに物語前半では)強い。つまりビジネス側の出来事というわけだ。
 対してプライベートスタジオは社会とは隔絶されたものとして描写される。足触りのいいラグや、お気に入りのテーブルについて細かく描写されるのだが、これは一見ラグジュアリーさやオシャレさの記号のようで、その実、いかに主人公が創造的自由を確保するために一つの調和された世界を作り上げているのかという証である。
 彼の感性の本質、すなわち人間としてのはらわたが出てくるのは、ここでMacBookと古いアップライトピアノ、そしてスピーカーという最小限の機材を前に一人で構想を練り、手を動かしている瞬間である。
 この小説ではスリリングな演奏シーンや、観客が熱狂するようなライブシーンは出てこない。劇中でリリースしたCDがチャート上位に食い込んだり、ドームツアーが行われるにも関わらず、そこには筆が割かれない。せいぜいプライベートスタジオで相棒のシンガーの仮歌を録る場面くらいだが、そこですら主人公の熱くなりつつもどこかでは冷めたプロデューサーとしての視点が三人称単一という形で崩されない。
(ただし、三ヶ所だけ主人公以外の一人称の語りがインサートされるあたりには小説的作為が読み取れる)
 主人公はポップミュージックを作るにあたり、歌詞とメロディとアレンジの原型となるトラックをプライベートスタジオで作り上げ、その後にそれを様々なスタジオミュージシャンに演奏や打ち込みをさせて作品を完成させる。バンドはもちろん、豪華絢爛なオーケストラが入る楽曲もあるが、レコーディングして吹き込むのは後々にその道のプロに託すのが正解だという、ソングライターかつ統括的なプロデューサーであるのが主人公のスタンスだ。

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