自分のお店を持ち、ひとりでレジカウンター内にいるようになってから増えたのは、ネットニュースを見る時間だ。本を磨き、値付けをし、棚に並べるという作業の合間に、新刊書籍の情報収集や、入荷した本の紹介のためにSNSをチェックする。情報を得る、というよりは「奇跡的に出会う」に近い形でザザッとタイムラインに目を通していると、たくさんのニュースに、みんなが思い思いのコメントをしているのが目に入る。本当は微笑ましいニュースに癒されたいのだけれど、嫌なニュースほどたくさんの人が反応しているので、どうしてもそちらばかりが目立ってしまう。
読んでいて、とりわけ気分が落ち込むのは、いじめのニュース。何も小学生や中学生だけの話ではない。言ってみれば過労死なんていうのも、大人だから可能な壮大ないじめだし、たちが悪いのは、そのようないじめのほとんどが、まるでいじめられている側に選択権があるかのように見えることだ。要求を断れないような環境を作っておいて、むちゃくちゃな要求をする。要求を呑まないと、殴る蹴る、精神的に追い込む。これは特殊な世界の出来事なんかじゃなくて、「誰もが当事者なんじゃない?」と改めて思うようになったのは、『ピンポン』を読んでからだ。
「適応できないんです みんな結局、自分のことしか言わないし 話を聞いたらみんな間違ってないし 何でこうなんでしょう、何で、誰も間違ってないのに間違った方向へ行くんでしょう 僕がこうなっちゃったのは誰の責任なんでしょう 何よりも 許せないのは 六〇億もいる人間が 自分が何で生きてるのか誰もわからないまま 生きてるじゃないですか それが許せないんです」
『ピンポン』は、いじめられている中学生2人、釘とモアイが主人公。彼らもまた、多くのいじめがそうであるように、いじめられているのは自分たちが原因だと信じ込まされている。彼らの心を繋ぎ止めているのは、空き地にある卓球台。2人で卓球をしているうちに、宇宙から巨大なピンポン玉が降ってくる。そして、その中で行われる、人類をインストールしたままにしておくのか、アンインストールするのかの選択権を得るための試合で、人類の代表として戦うことになり……。
引用した釘の言葉に対して、卓球の師匠でもあるセクラテンは、こう言う。
「ねえ君、世界はいつもジュースポイントなんだ。」悪意と善意の結果を出せないままジュースポイントを繰り返し、広い宇宙で、人類だけが卓球を続けている、と。
暗い暗いニュースを見続けて、最近の世界のジュースポイントは、明らかに傾き始めているような気がしてくる。『ピンポン』ではどんな結末が描かれているのか。僕らは釘とモアイの言葉に、耳を傾けるべきだと強く思う。
紙の単行本、文庫本、デジタルのスマホ、タブレット、電子ブックリーダー…かたちは変われど、ひとはいつだって本を読む。気になるあのひとはどんな本を読んでいる? 各界で活躍されている方たちが読みたてホヤホヤをそっと教えてくれるリレー書評。 【 小国貴司(ブックス青いカバ店主)】→西川アサキ(哲学者)→???