絶叫委員会

【第133回】永遠の入口

PR誌「ちくま」11月号より穂村弘さんの連載を掲載します。

 喫茶店で珈琲を飲みながら本を読んでいた時のこと。背中の方からこんな言葉が聞こえてきた。

「飲み会の近くの席のグループとか、何人かで喋ってるはずなのに、ずーっと一人の声しか聞こえてこないことってあるよね」

 あるなあ、と思う。飲食店とかでもあるけど、前にお花見シーズンの井の頭公園で暗闇の中から響いてきた声は不思議だった。長い長い独り言かと思ってしまった。でも、「まじ? だから前髪が焼けちゃうんだよ!」とか云ってたから、やはり相手のいる会話だったんだろう。

「あれってなんなんだろう。一人だけ声が大きいのか、滑舌がいいのか……」

 うんうん。

「それともグループのボス的な存在で、他のメンバーがほとんど口を挟めないのか……」

 面白いなあ。話の内容もさることながら、今まさにそうなのだ。背を向けた私の耳には、語っている一人の声しか聞こえてこない。こういうのなんて云うんだっけ? ブーメラン現象?
 もしも、と思う。このブーメランの面白さを飲み会などで話す時、私自身がまた同じ状態になったらどうだろう。ブーメランのブーメランというかマトリョーシカだ。
 そういえば以前、『毎月新聞』(佐藤雅彦)という本の中で、クレンザーの箱の話を読んだことがある。クレンザーの箱に描かれた女性が手に持ったクレンザーの箱に描かれた女性が手に持ったクレンザーの箱……を見た時の不思議な感覚が「日常のクラクラ構造」と呼ばれていた。そのクラクラ感、わかる。
 私もこんな短歌を作ったことがある。

 エレベーターガール専用エレベーターガール専用エレベーターガール

 エレベーターガールしか乗れないエレベーターのエレベーターガールしか乗れないエレベーターのエレベーターガール……への憧れが詠われている。
 別のパターンで、こんな短歌もあった。

 砂時計のなかを流れているものはすべてこまかい砂時計である      笹井宏之 

 砂時計の中を流れている砂時計の中を流れている砂時計……どこまでも続く迷宮的クラクラ感は時間というものの謎にも繋がっているようだ。こういう構造に惹かれるのは何故だろう。永遠の入口を見つけた感じがするからかなあ。

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