絶叫委員会

【第134回】夢想暴走

PR誌「ちくま」12月号より穂村弘さんの連載を掲載します。


 読んでいる本の中にどんなに不思議なことが書かれていても、それがファンタジーやSFであれば、すんなり受け入れることができる。そもそもの世界の設定が現実を超えているのなら、何だって起こり得ると思うからだ。でも、ミステリーの場合はそうはいかない。いかに非現実的な連続殺人が起こったとしても、作中世界の法則自体は現実に従うというルールを前提としているからだ。現実に不可能なことは作中でも不可能。だから、そんなこと書いて大丈夫なのか。本当にルールの中で解決できるのか、と驚いてしまうのだ。
 現に大丈夫じゃないことがある。例えば、江戸川乱歩の場合、現実を超えた世界への憧れがあまりにも強すぎて、作品の前半で提示される謎がファンタスティックになることがある。自らの夢想の素晴らしさに酔っているかのように、七色の謎が鏤められ、迷宮が深まってゆく。凄い。大サービスだ。でも、ちょっと心配。本人もうすうすやばいと思っているんじゃないだろうか。案の定、その夢想の素晴らしさが、後半の合理的な解決にあたって作者自身の首を絞めることになる。愛読者としては、作品の興奮とは別な意味でもはらはらしてしまう。
 がんばれ、乱歩先生。まだまだ伏線は残ってます。「カエルの手を、千倍も大きくしたような、水かきのある、みどり色の手でした」とか「われわれ地球の人間には、とてもかなわないほどの、すばらしい知恵を持っていることも、わかってきました」とか「あの虹のようなトカゲのからだが、かえって、うつくしく思われてきたほどです」とか「その薬を注射すると、人間のからだが、だんだんかたくなっていって、人形になってしまうのよ。ルミちゃん、わかる? わたし、その薬で、もう半分ぐらい人形になってしまっているのよ。ほら、ここをさわってごらんなさい」とか「インド人は今、地面に種をまいたかと思うと、みるみる、それが芽を出し、茎がのび、葉がはえ、花が咲くというようなことは、朝飯まえにやってのける人種だからねえ」とか云っちゃってますよ。他にも、巨大な怪魚や殺人光線や空飛ぶ円盤の謎を解かないと……。なんとか最終章まで辿り着いて鮮やかなフィニッシュを決めてください。
 そんな心の中の応援も虚しく、ざんねんな結果に終わることもある。それでも読者は決して恨んだりはしない。むしろ、作品を破壊するほどの夢想の純度に感動さえしてしまう。先日、『ガール・イン・ザ・ダーク』(高原英理編著)というアンソロジーを読んだ時、同じ思いの人がいることを知った。そこには『魔法人形』(江戸川乱歩)という「探偵小説」の前半部分のみが収録されていたからだ。「この小説の最も魅力的な謎の提示部分だけを抄出した。これを解明されるべき物語の前半部とは考えず、暗い憧れに満ちた、結末のない幻想小説として読みたかったからである」と編著者は記している。「探偵小説」から「幻想小説」へ、つまりミステリーからファンタジーへ編著者の独断でジャンルを変更してしまったのだ。なんと大胆な、と思いつつ、その気持ちはよくわかる。ジャンルの枠組みの方を変えてでも、乱歩の美しい夢想を生かしたかったのだろう。