大学在学中からほぼフルタイムで働き始めたわたしの半生は、「劇的な転換点の欠如」が特徴なのかもしれない。会社を辞めてから2年近く経つ昨今もその事実は意外なほど知られておらず、古い友人ですら「えっ、今はフリー?!」と驚くケースが多々ある。
彼らが驚くのは、わたしが「事実上のクビ」という表現をするからでもあるが。
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わたしが会社にいられなくなったのは、わたしが担当するbmrというウェブサイト(もとは雑誌)が社内で無用の長物と見なされたからである。同ウェブサイトの業績悪化にはさまざまな理由があるが、ツイッター・アカウントが凍結されたことも一因だろう。
そう!
こちとらツイッター凍結経験者なのである!
もちろん、当方はレイシストな内容をツイートしたわけではなく――日本の洋楽ジャーナリズムにおける無自覚レイシズムの根深さはさておき――とあるアーティストのツイートを引用しただけ。しかし、そのアーティストのツイートに含まれていた動画(だったか)がのちに著作権侵害と見なされたらしく、ちょうど当時その手の取り締まりを強化していた米Twitter, Inc.のレーダーに引っかかったようだ。
所定の手続きを踏み抗議の申し立てをするも、一向に反応なし。Twitter Japan株式会社に知り合いがいるという人物を通じても、日本法人は本国の決定に対する影響力を持っていないということが明らかになっただけで、打開策は皆無だった。
やがて我々は、フォロワーが数万いた旧アカウントをあきらめ、新規アカウントをゼロから立ち上げることと相成った。当然ながら発信力の激減は避けようもなく。
Twitter, Inc.を恨んではいないのだけど。
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さて、時代はツイッター凍結である。
ここで三浦瑠麗 Lully MIURA先生の至言を拝聴しよう。
スリーパーセルを日本に広めた人が「陰謀説を強化」と語ることの素晴らしさ! 意気に感じた人も多いらしく、賞賛の声が飛び交った。その中から二つだけ紹介したい。
ツイッターが「事実上の公共財」ならば、事実上不法行為を指示したトランプを追放するのは当然ということにならないか?
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わたしは時おり考える。
明確な戦争行為そのものは少ないトランプ政権だが、不法移民の強制収容所の件があり、人種差別の放置(むしろ扇動)があり、そして今回のアレコレがある。
ドナルドのおかげで死んだ人々は、いったい何人くらいいるのだろう、と。
三浦瑠麗が「不法行為を指示したわけではない」と擁護する先日の扇動ツイートにしても、それから派生した議会突入事件で死者が出ている。それをラスト・ストローとしてトランプのアカウント凍結に踏み切ったことを「言論弾圧だ」というなら、プロレスラーの木村花を死に至らしめた誹謗中傷諸々を断罪することも不可能となるのではないか。
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オリバー・ウェンデル・ホームズ・ジュニアという人が残した、こんな名言もある。
The right to swing my arms in any direction ends where your nose begins.
うまい和訳は難しいが、「私が腕を振り回す自由が保障されるのは、君の鼻の直前までだ」となろうか。
何をしようと自由である。だがその自由が、他人の自由を侵害することになってはならない。
あるいは、他人に危害を加えられずに生きていくという権利は、「何をしてもいい」という権利より優先される。
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しかし、ドイツのアンゲラ・メルケル首相の意見は違う。
トランプのアカウントを永久凍結したツイッター社の遅すぎた決断(とわたしには思える)について、「意見表明の自由を守ることの重要さ」を強調したらしいから。
これに勢いづくMAGAな論客もいる。
もちろんこれは綺麗事である。とても牛糞な。
日本でメディアに関わっていれば、法が謳う「表現の自由」など実際には存在しないことを痛感するはずだ。記者会見で自由な質問が許されないことは当然の常識。さらに、わたしに向かって「今回の表紙はももクロなので、ももクロの悪いことは書かないでください」と言った馬鹿な雑誌編集者もいた。
こうした規制の言い訳として使われるのが「コンプライアンス」という魔法の言葉だが、それを強調する連中が「台湾の臭豆腐を食べること」を罰ゲームとする番組を作っているのが日本という国だ。処世術たるコンプライアンスを語りはしても、他文化への配慮であるポリティカル・コレコクトネスの方は脳みそからスッポリ抜け落ちている。
「記者会見で自由な質問が許されない国」に戻ると……そんな中で、ハヤカワ・ミステリ文庫の某作における翻訳の酷さを批判したわたしの文章を自社メディアである『ミステリマガジン』に一字一句たがえず掲載した早川書房は見上げたものだと思う。原稿料は安いが。
トランプの政治姿勢を批判してきたメルケル首相がTwitter社の対応に異を唱えていることに関して、「私はあなたの意見には反対だ。だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」という言葉を思い出す向きもあるという。
だが、ツイートが原因で暴徒が議会に突入し、死者まで出るというのは、控えめに言っても非常事態である。そして、desperate times call for desperate measures(非常時には非常手段が求められる)ということを最も理解しているのはドイツではないか?
あの国には過去の反省から「民主的選挙によって非民主的政権(ナチみたいな)が誕生しそうな場合、それを阻止する」という仕組みがあるはずだから(詳細は忘れたが)。
※メルケル首相の真意は「私企業ではなくアメリカ政府がヘイトスピーチを規制せなアカンやん」だったようだが……ここでは当方の都合により、「MAGAな論客を勢いづけた」件を強調しておく。
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ところで。
時は1月なかば。そろそろ、新年の準備をせねばならない。丑年は2月12日からである。
先日、知人とこんなやりとりがあった。
わたし「旧暦主義者につき2月12日まで年始の挨拶は控えますが、happy new year!」
知人「旧正月派でしたね、そうでした! ちょうど去年の今頃 シンガポールに旅行にいったのですが、旧正月の準備ですごくにぎやかでした」
わたし「我也真的喜歡新加坡! 実はわたくし、人知れずシンガポールの団地で住み込み生活をしていた時期があります(添付)……毎日1食は海南鶏飯でした!」
知人「すごくきれいなマンションですね。イスラム系の方向けのエリアということでしょうか?」
Oh.
我が団地からは遠く離れた「モスク入口」の写真まで添付していたことが誤解の元だが、しかし、このやり取りがわたしに気づかせてくれた。
「明るい北朝鮮としてのシンガポール」は、さほど知られていないのだ、と。
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シンガポールは多民族・多文化・多言語・多宗教な国家だが、ムスリム居住エリアなど存在しない。インド系ネイバーフッドもない。リトル・インディアと呼ばれる地区はあるが、そこで働く人々は全国(面積は東京23区程度)から出勤してくるのである。インド系ピープルは全国に散らばって住んでいるから。
なぜか。
シンガポール建国以来、事実上の一党独裁を続ける人民行動党政権による強権支配の賜物だ。
Housing and Development Board、略してHDB。それはシンガポール式公団住宅の通称だ。国民の80%ほどが住むのは、そういう団地。わたしが住み込みしていたのもHDBである。
決して広いとは言えない国土に対して過剰な人口。そんな状況で緑地面積を保持しつつ住居も拡充するには、縦に積み上げるしかない! ゆえに、HDBは相当な高層である。20階建とか50階建とか。
高層団地数棟が一つの単位となり、それらが取り囲む中庭(たいていは屋根付き)にはいくつかの商店、そしてフードコートがある。中華を中心に多彩な味が楽しめる店が軒を連ねる空間。イートインもテイクアウトも素晴らしい。
住み込み生活の中で観察したところ、どのHDBも「中華系が3/4ほどを占め、残りの1/4をマレー系とインド系が分け合う(マレー系の方が多い)」という人口構成と見えた。
この比率、「中華系=76%、マレー系=15%、インド系=7.4%」というシンガポール国民の民族構成(CMIO: Chinese-Malay-Indian-Other)を、かなり忠実に反映したものだ。つまり、同じ民族が集まって住もうとするのが人情というものなのに、シンガポール政府はそれを全力で阻止! 個々の団地が国民の民族構成の縮図となるよう、めちゃめちゃ操作しているのである。
これがシンガポール、これが人民行動党政権の強権支配。
ただし、その目的は「民族対立を起こさない」「ゲットーを作らない」「国民を分断しない」「エスニシティを社会階層にしない」ことだ。
1965年にマレーシアから泣く泣く独立した後、シンガポールの開発独裁政権が見せた豪腕は見事だった。その中で「世界最悪のスラムがある国」という状況から抜け出すと同時に、国民を分断しないためにとった政策。それがHDBというプロジェクトの推進であり、多民族マンションを強制的に現出せしめることだ。
その結果、国民が住む場所を選ぶ自由は制限された。確かに。だが、「住みたいところに住む自由」と「民族対立のリスク」を秤にかけると……どうだろうね。
「安全を得るために自由を放棄する者は、そのどちらも得られないし、得るに値しない」と言ったのはベンジャミン・フランクリンだが、「何事にも代償が必要」というのもまた当然の事実ではないか。
平和や安全、平等のかわりに「多少の自由を手放すこと」を求められたら、それは大きすぎる代償だろうか?
わたしにはバーゲン(いい買い物)と思えるのだが。
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ナンシー・ペロシがトランプ追及の手を休めないのは「バッファロー男たちに自分のPCを盗られたことに焦っているから」と茶化す者もいたが、コンピュータを盗まれて困らないやつがいるだろうか? わたしだって、撮り溜めた自分の裸体写真が白日のもとに晒されたら、そうとう恥ずかしいぞ。
プライバシーはプライバシー。犯罪行為に及ばない限り、秘密を秘密のまま留めておく自由が保障されてしかるべきだから。
だがここで、カナダのSF作家ロバート・J・ソウヤーによる『ネアンデルタール・パララックス』三部作に目を向けてみよう。
何万年も前に我々の世界と分岐し、違った歴史を歩んだ並行世界。そこでは、君たち現生人類(ホモ・サピエンス)と比較して脳容量10%増/筋肉量100%増のホモ・ネアンデルターレンシスが生き残り、ホモ・サピエンスが絶滅している。
その世界は、「プライバシーを度外視して安全と公正に努める、優しい監視社会」だ。市民たち(ネアンデルタール人)は全員が全員、AIによる監視下にある。
さらに、24時間体制で常に行動を録画されているのだ。
だが彼らネアンデルタール市民は、その監視体制を当然のことと受け止めている。自分たちの安全のために。
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我々が安全を得るためには、代償として何を支払うべきか。
あるいは自由を守るために、どこまで犠牲を出していいのか。
わたし自身も答えを出しあぐねている。