昨日、なに読んだ?

File81. 断ち切られた繋がりを取り戻したい時に読む本

ピョートル・ワイリ/アレクサンドル・ゲニス 『亡命ロシア料理(新装版)』訳:沼野充義/北川和美/守屋愛

紙の単行本、文庫本、デジタルのスマホ、タブレット、電子ブックリーダー…かたちは変われど、ひとはいつだって本を読む。気になるあのひとはどんな本を読んでいる? 各界で活躍されている方たちが読みたてホヤホヤをそっと教えてくれるリレー書評。今回ご登場いただくのは、ロシアをはじめ東ヨーロッパのアート系書籍を専門としてきた書店「Art Book Iskusstvo(イスクーストバ)」代表・稲葉直紀さんです。様々な縁が引きちぎられた世界を前に、稲葉さんが手に取った本は――。

 ロシアがウクライナに侵攻したその日から、あらゆる繋がりが断ち切られている。ウクライナの人々は命を、生活を、日常を奪われ、多くの人が避難を余儀なくされ、家族との絆、故郷との絆を断ち切られている。またこの侵略を非難しロシアを脱出するロシア人も少なくないという。彼らもまた自国との繋がりを断つべきか苦しい選択を迫られている。

 ロシアに対する大規模な経済制裁により、懇意にしているモスクワの書店やロシアの美術館とも取引が行えなくなってしまい、今この瞬間も途方に暮れている。冷徹な独裁者による一方的な侵略戦争はあらゆるものを破壊している。無論、文化もその一つだ。今や「ロシア」と名のつくものはタブー視され、ロシアに関わる文化イベントは中止に追い込まれている。ロシアのマトリョーシカを扱う知り合いの雑貨店は出店予定の催事そのものがなくなってしまったという。世間の感情を考えれば仕方がないといえばそうだが、私たちが少しずつ地道に紡いできた文化の繋がりが無惨にも断ち切られたのだと思うと、どうしても悲しくなってくる。もう一度結び直すのに一体どれだけの時間がかかるのだろうか。

 そうした状況ではあったが、一時期足繁く通っていた吉祥寺のロシア料理店を久々に訪れた。その時は一部の心ない人間によってロシア料理店への嫌がらせが相次いでいる中で、どうにか応援したい気持ちがあったからだ。どうやら皆考えることは同じなようで、平日にも関わらず店内は満席で大盛況であった。本場の味と違わない本格的なロシア料理に舌鼓を打ちながら、数年前にモスクワで食べた料理がふと頭をよぎった。ああ、この味だと。

 ロシア料理への情熱が再び芽生えたところで、「亡命ロシア料理」という本を手に取ってみた。非常に目を引くタイトルで、少し前にTwitterで話題になっていたのも記憶に新しい。本書はソビエトを離れ、アメリカへと渡った二人の著者がロシア料理への愛と思い出を皮肉とユーモアを交えながら軽快な語り口で綴ったなんとも珍しい一冊だ。一般的な料理本やレシピ本とは異なる、文明批評のようなエッセイ集である。アメリカのパンはロシアのパンに比べてふにゃふにゃで恐ろしく不味いだの、マクドナルドやバーガーキングに引きこもるなだの、西側のジャンクフードを腐す様がクスりとくる。とはいえただ一方的に貶している訳ではなく、アメリカの食事もそれはそれで折衷的に楽しんでいたようだ。

 著者のピョートル・ワイリとアレクサンドル・ゲニスは1977年にラトビア(当時はソビエト連邦に吸収されていた)からアメリカへと共に移住し、ジャーナリスト、作家としてめざましく活躍した。ワイリ氏は2009年にプラハで亡くなったが、ゲニス氏の方は存命であり、現在もニューヨークを拠点に活動を続けている。今回のプーチン政権によるウクライナ侵攻に対して彼は反戦のメッセージを掲げている。

 では「亡命ロシア料理」の中で語られている料理をいくつか紹介しよう。
 まずはボルシチだ。基本的にビーツとキャベツが入った赤色のスープ料理のことを指し、地域や家庭によって作り方は様々である(緑色のボルシチだってある)。一般的にロシア料理の代表選手として知られるが、そのルーツは実はウクライナにある。「ボルシチ」という単語も元はウクライナ語からの借用だ。つまりボルシチの本家本元はウクライナということになるだろう。

 次にペリメニ。ロシア風水餃子のように呼ばれることが多いが、14〜15世紀頃にウラル地方から伝播した料理で、シベリアで特に好まれていた。スメタナ(サワークリームのようなもの。厳密にはちょっと違う)や溶かしバターをかけて食べる。このプリプリとした皮の食感がなんともいえない。モスクワのレストランで食べたペリメニがとにかく美味で、これがまたいくらでも口に運べてしまうせいで、胃もたれを起こしたことがある。食べ過ぎ注意。

 あとはジョージア料理になるが、ハルチョーを挙げよう。ハルチョーとは牛肉や米、クルミの入ったスープで、香菜や香辛料で鮮やかに風味付けをする。このスパイシーさが無限に食欲をそそる、まさに魔のスープだ。トクラピ(トマケリとも。チェリープラムを干してピュレ状にしたソース)で程よく酸味を効かせているらしいが、私が初めてモスクワのジョージア料理店で食べた時には、その味の正体がよく分からなかった。ジョージアではポピュラーな食材だが、アメリカでは手に入りにくいものらしく、「亡命ロシア料理」のレシピでは泣く泣くトマトピューレやザクロジュースで代用している。

 もしかしたら「食べること」とは断ち切られた繋がりを取り戻すための一つの手段なのではないか。著者が「亡命者を本国に結びつけている絆のうち、並外れて強いのが料理の伝統」と述べている通り、慣れ親しんだ故郷の味は、どれだけ国を離れようとも忘れることはない。たとえ忘れかけたとしても、たった一口、母国の料理を味わえば、あらゆる記憶が呼び起こされる。亡命者が本国の家庭料理を異国の地で再現しようとするのは、綻びた絆を結び直すためなのかもしれない。

 では逆に異国の料理を食べる場合はどうか。それは自身とその国の間に新しい結びつきを生み出すことだろう。著者はまた「料理とは、まぎれもなく言語である。それも、この上なく豊かな可能性をもった言語だ」とも述べている。たとえその国の言葉を知らなくとも、今口にしている料理がその国の歴史や文化を雄弁に語ってくれる。異国の料理を味わってみれば、不思議とその国を身近に感じられるようになり、新たな縁が生まれるのだ。

 私が久々にロシア料理を口にした時がまさにそうだった。遠ざかってしまったはずのロシアが目の前にあるように思えた。その一皿がいろいろな思い出を呼び起こしてくれた。愚かな戦争によって断ち切られた繋がりを少しだけ取り戻せたような気がした。

 幸いなことに日本には美味しいロシア料理店が数多くある。こんな状況下ではあるが、まだ味わったことのない人は是非ともロシア料理を食べてみてほしい。本稿で紹介した「亡命ロシア料理」を一読した後ならばより楽しめるだろう。

 国を憎んでも食は憎まず。平和を祈りながら、ここはあえてロシアを喰らってみようではないか。
 さて次はどの国の料理を食べてみようか。
 新しい縁を紡いでいくために…。