昨日、なに読んだ?

File82. イラストエッセイについてざっくり考えるための本

小林泰彦『イラスト・ルポの時代』/渡辺和博とタラコプロダクション『金魂巻』 /能町みね子『オカマだけどOLやってます。』/ つづ井『腐女子のつづ井さん』

紙の単行本、文庫本、デジタルのスマホ、タブレット、電子ブックリーダー…かたちは変われど、ひとはいつだって本を読む。気になるあのひとはどんな本を読んでいる? 各界で活躍されている方たちが読みたてホヤホヤをそっと教えてくれるリレー書評。今回ご登場いただくのは、アニメーション・イラストレーション・美術について研究されている、塚田優さんです!

 

 私はここ数年日本のイラストレーションについての文章を書いているのだが、どうにも位置づけが難しい領域がある。それはイラストレーターによる絵に文章が付されている、いわゆるイラストエッセイというものである。これは絵と文章がセットになっているので、イラストレーションとは別モノとして扱ってもいい気もするのだが、文章を書くイラストレーターは常に存在してきたし、実際に人気も集めていることもあり、どうにも切り捨てがたい。だがこの分野には広告や文学のように、なんらかの制度や団体が賞を与えるというシステムがなく、調査が進めにくいのが実情だ。そこでこの機会を利用しいくつかの本を紹介し、ささやかなイラストエッセイの小史を書いてみようと思う。

 イラストエッセイはイラスト・ルポと呼ばれることもあるのだが、これは1960年代後半にイラストレーションという言葉を大衆に普及させた立役者のひとりである小林泰彦が得意としていた形式だ。小林は海外の情報がまだ乏しい当時にあって、雑誌『平凡パンチ』でアメリカやヨーロッパでの現地取材を行い、それを絵と文章にして読者に届けていた。こうした小林の活躍もあり、イラスト・ルポは、そのままイラストレーションの代名詞となるほど流行した。小林の仕事は自分の体験したことを客観的に記述していくタイプのイラストエッセイであり、そのことは『イラスト・ルポの時代』(文藝春秋、2004年)を読めばよく分かるだろう。その一方で、イラストエッセイは対象を著者独自の視点から見立てることによってエンターテイメント性を獲得してきた。そのような傾向を持つ本として一世を風靡したのが、渡辺和博とタラコプロダクションによる『金魂巻』(主婦の友社、1984年)である。同書は31の職業それぞれの「金持ちの人」と「ビンボーの人」を想定し、その年齢や年収、趣味などについて書いたものだ。ここでは当時の風俗を象徴する単語とともに、様々な仕事が類型化されている。また、この本は取材に基づくことが明言されておらず、その点ではフィクションも含まれているであろうことも言い添えておきたい。

 そしてもうひとつ、イラストエッセイのタイプとして紹介したいのは、能町みね子『オカマだけどOLやってます。』(竹書房、2006年)だ。同書は著者の処女作であり、自身のブログが2006年に単行本化されたものだ。内容は書名のとおり、当時戸籍上は男性であった著者が、都内某会社でのOL生活や周辺の出来事についてつづったものである。同書には女として見られるための努力や苦労、「オカマ」と自称する理由や倫理観などが語られている。イラストエッセイは個人の体験や主観をよく伝える表現であり、そう考えるとこの本のテーマはとてもイラストエッセイに向いている。そもそも性別を隠して社会生活を送ることが困難であることは想像に難くないし、それに取り組む著者はどのように暮らし、どんなことを考えているのかは私たち読者に発見をもたらしてくれる。また、現在と比べたらトランスジェンダーという言葉も一般的だったわけではないだろう当時においては、啓蒙の役割を負っていたところもありそうだ。そう考えると同書は、ルポ的なイラストエッセイでありつつも、著者のマイノリティとしての立場が、結果的に内容に当事者性を帯びさせている。これは見立て的な視点とも言えるが、実体験をベースにしているため、『金魂巻』のようなフィクション的な部分も含むイラストエッセイとは区別されるべきだろう。以上のように私は、小林的なルポルタージュと、渡辺的な見立て、そして能町的な当事者性が押し出されたものにイラストエッセイは大別することができるのではないかと考えている。

 さしあったてのカテゴライズとしてこのようにイラストエッセイを分類することは可能なのかもしれないが、ここでふと私がそれと似たものとして連想したのは、最近SNSを中心に見かける機会が多くなっている趣味や仕事、育児等を題材にしたコミックエッセイである。例えば『腐女子のつづ井さん』(KADOKAWA、2016年)でブレイクしたつづ井などは、このジャンルの代表的な存在としてあげられるだろう。もちろんコミックエッセイ自体は昔からあるし、果たして本当にコミックエッセイが増加しているのか根拠があるわけではないのだが、画像を貼り付けることができるSNSでは、確かに文章をわざわざイラストレーションとともにレイアウトするよりも、マンガにしたほうが効率は良さそうである。

 おそらく能町の出自であるブログは、その意味においてまだ書籍や雑誌のような活字媒体の形式を受け継いでおり、だからこそイラストエッセイという体裁が機能していたのに対し、現在隆盛するTwitterやInstagramのようなSNSでは、まとまった文章を読むことが適さないため、結果的に直観的な理解や共感を得やすいマンガが、当事者の体験や視点を伝達するために選ばれているという整理をしてみても良さそうだ。そう考えると能町の著作は、過去のイラストエッセイの形式を踏襲しながら、SNSでコミックエッセイが盛り上がる前に単行本化されたという点において、その前後の時代を考える道しるべにもなるのかもしれない。

 以上のような状況を「イラストエッセイからコミックエッセイへ」という変遷としてまとめてみることはできるだろうか。もちろんイラストエッセイはなくなったわけではないし、インターネット定着以前のコミックエッセイをどう位置付けるかも問題だ。しかしひとつの仮説として、いつかより真剣にこのテーマについて考えてみたいと思う。