昨日、なに読んだ?

File97.なんかしんどい時に読む本
尾形亀之助『美しい街』『カステーラのような明るい夜』

紙の単行本、文庫本、デジタルのスマホやタブレット、電子ブックリーダー…かたちは変われど、ひとはいつだって本を読む。気になるあのひとはどんな本を読んでいる? 各界で活躍されている方たちが読みたてホヤホヤをそっと教えてくれるリレー書評。今回のゲストは詩人の小野絵里華さんです。

しんどい。
なんかしんどい。
いい歳をした大人がそんなことを言ってはダメだと知っているけど、でも、なんか、しんどいのです。この「なんか」という漠然としているところがポイントだ。

今でもぼんやり覚えているのだけど、わたしは四歳の時、不眠症になった。
眠ったら夜がくるのが不思議で仕方なく、時間というものが(流れていないのに)流れている!と驚いたわたしは、時間を捕らえてみようと本気で思っていた。(どうやって捕らえるかは謎。)だから、とにかく眠ったら負け、と心に決めていて、明け方の四時とかに目を覚ました。そして、時間はいなかった、と謎の確認をして、起きた時刻をメモして眠った。(だいぶ変な四歳児だった。)

翌朝、子供部屋の窓には、昨日あったはずの夜はもうすっかりなくなっていて、それなのに、わたしはわたしを続けていた。わたしは、自分が、世界が、存在している!ということに心底驚いた。この世界のワンダーに打ち震えた。そして、すぐに絶望がやってきた。この「わたし」という訳のわからないものを引き受けて、これまた「世界」という訳のわからないものの中で生きていかなきゃならないんだ…と悟った。途方もなさすぎた。意味がわからなかった。

わたしは結局、哲学者ではなく詩人になったのだけど、しんどさの根源には、あのとき気づいた、理不尽に投げ込まれたまま世界に存在している、ということがあるような気がしてならない。すぐに「疲れた」と心の声が漏れてしまう。即座にお前は何かしたのかよ、と自分にツッこむけれど、特に何もしていない。メールに返事をしただけで、どの服を着ようか悩んだだけで、「ああ、しんどい」と思っている。

そんなふうに、別に何もしていないのに、なんかしんどい時には、尾形亀之助の詩集をひらく。彼もまたびっくりするくらい何もしていない。その名も「いつまでも寝ずにいると朝になる」という詩。そのまますぎる。

眠らずにいても朝になったのがうれしい
消えてしまった電燈は傘ばかりになって天井からさがっている

眠れないまま布団の上にいて、電燈がぶらさがっているのをひたすら見ていたのだろう。(ちなみにこれは部分引用ではなくて、このたった2行しかない。)なんかもうそれだけで泣けてきてしまう。

尾形亀之助という詩人はひたすら見ている(だけの)人だ。

疲れた心は何を聞くのもいやだ と云うのです
勿論 どうすればよいのかもわからないのです
で兎に角ー
私は三箱も煙草を吸いました
(略)
どうしてこんなだろう と友人に手紙を書いて
私は外出した
(「ある昼の話」)

外出しただけえらいと思う。

午後になると毎日のように雨が降る
今日の昼もずいぶんながかった
なんということもなく泣きたくさえなっていた
(「雨日」)

わかるよ、わかる、とわたしはつい心の中で尾形亀之助に語りかけてしまう。(亀ちゃん、と勝手に呼んでいる。)もちろん、この時代は戦争に突入していく社会的な空気も関係していたと思うけれど、わたしもまた「なんということもなく」泣きたくなり、「なんということもなく」しんどいのであります。

この前、銭湯に行ったら(何もしたくないからといって何もしないわけではないよ!)サウナのテレビでモノマネ王座決定戦なるものが流れていた。もちろんリモコンなんてないから、強制的に見せられることになる。ロウリュの熱風を肌に感じながら黙ってモノマネ芸人たちを見ていたわたしは、出演者たちが「似てる〜!」と笑うなか、なぜか号泣しはじめてしまった。意味がわからない。ここまでがんばって生きていてえらいなぁ、とか思ったのかもしれない。ただ感情がぶっ壊れていただけかもしれない。自分で自分がわからなすぎて怖い。世界はしんどくて、ワンダーすぎる。

ちなみに、しんどさにもうんざりしたら、ルーマニアの哲学者シオランの著作をひらくといい。彼は生まれることがそもそもの不都合であるとすら言っている。共感しかない。ついでにシオランはこうも言っていた。

駄目な詩人がいっそう駄目になるのは、詩人の書くものしか読まぬからである
(『生誕の災厄』)

しんどいながらここまで書いて、締切がやってきた。
詩人が詩人の本をおすすめしてしまったけれど、仕方ないね。

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