昨日、なに読んだ?

File98.二人の声が聞こえる本
井上夢人『おかしな二人 岡嶋二人盛衰記』

紙の単行本、文庫本、デジタルのスマホやタブレット、電子ブックリーダー…かたちは変われど、ひとはいつだって本を読む。気になるあのひとはどんな本を読んでいる? 各界で活躍されている方たちが読みたてホヤホヤをそっと教えてくれるリレー書評。今回のゲストは小説家の福永信さんです。

一昨年の11月14日のことであるが、井上夢人氏のツイッターで、徳山諄一氏が8日に78歳で亡くなったと知った。二人は「岡嶋二人」という推理小説家だった。井上泉氏は、井上夢人名義で現在も第一線で活躍中であるが、徳山さんの方は、小説家としてのソロ活動は、長編をひとつ残したのみだったようである。

徳山氏の死を知って以来、本棚から井上夢人著『おかしな二人 岡嶋二人盛衰記』(講談社文庫)を引っ張り出して読んでいる。学生の頃、単行本で出たばかりの時に読んだし、何度も読み返していたが、実際に二人の小説を読むことはなかった。
世代からすれば、80年代を駆け抜けた彼らの作品とリアルタイムで接していておかしくないのだけれど、複雑怪奇なゲームブックには感激したものの、本を読むのが苦手だった僕は、コンビ作家であることに関心は持ったが推理小説には手を出さなかった。解散したことも、本書が出たことで知った。

それから30年になるわけであるが、ようやく僕は岡嶋二人を本格的に読み始めた。しかも、本書をいわばガイドブックにして読んでいるのである。江戸川乱歩賞応募当日の、慌ただしい原稿の仕上げの箇所を読みながら、該当作品を読む。二人の絶え間ない議論に付き合いながら、ちびちびとその議論の末に生まれた小説群を読んでいく。
本書は実際の制作プロセスに触れており、トリックの詳細についても書いてあったりするわけだが、それでも彼らの小説の魅力はビクともせず、むしろ二人の息遣いを感じながら読むことができて面白い。「読みたてホヤホヤ」といえば、こっちの方、彼らの小説の方なんだけど、昨日もずっと僕のかたわらにあった本書を、今日は紹介させてもらおう。

当時のメモや日記、大量の往復書簡などの資料をもとにして緻密に書かれているからだろう、この本で書かれている二人の会話や行動には、妙にリアリティがある。
出会いから別れまで、17年にも及ぶのだから、入り組んだ状況をわかりやすくするために単純化したり、面白く読んでもらうためのデフォルメも紛れ込んでいるはずだが、読んでいると、イズミや徳さん(二人はそう呼び合っていた)の声が、聞こえてくる気がするのである。セリフは、もともと映画を学び、シナリオライターも(生活のためにだが)やっていたことがあるイズミが得意とするところであり、的確かつ臨場感にあふれており、読者である僕は、ああ、本当にあいつら、近くでしゃべっているようだなあ、と思う。

衝撃的なセリフがたくさん出てくるので、ぜひ本書をくまなく読んでほしいが、中でも僕がもっとも好きなのは、締切の迫ったある短編に関して、徳さんが簡単なメモだけをイズミに渡し、「あとはイズミのアドリブ。書けるよ」と言うところだ。井上氏は、自分は岡嶋二人の「執筆担当」であると本書ではっきり書いているが、この「アドリブ」発言には相当なショックを受けたようであり、読者である僕も(読むたびに)イズミに同調してムッとする。そんなシーンを好きだというのは変かもしれないが、ムッとした後で、徳さんらしいな、と、読者の僕は微笑を浮かべるのである。彼の「小説」に対する態度が全て詰まっているような気がするからだ。
イズミへの全面的な信頼と、自分が書くことに対する無関心、これが徳さんの一貫した態度であり、岡嶋二人の「性格」を決定付けた。書くのはイズミ、徳さんは小説を書く欲望が全然ない。イズミによって完成度の高い独特で個性的な文体を研ぎ澄ましながら、他方で岡嶋二人は、二人ならではの強みを発揮した。扱うジャンルは極めて多岐にわたり、謎は二転三転して読者を心地よく裏切る作品を発表し続けた。「アイデアでひと山当てたい」とずっと思っていた徳さんは、とうとう一行も書かずして小説家になってしまったのだ。

本書が何度も強調するように、岡嶋二人を「岡嶋二人」たらしめたのは、際限ない会話、議論だった。議論といっても馬鹿馬鹿しい無駄話、雑談が大半だったがそれが大事だった。時間を膨大に使った二人だけのその言葉の場所で、斬新なトリックが生まれ、彼らにしか書けないストーリーの構成が生まれていったからである。
もし、二人の会話そのものを「作品」と呼んでいいのなら、それがすなわち岡嶋二人の作品だ、そう言えるかもしれない。むろん実際は「小説」という形式に落とし込まなければならない。読者が読むのはイズミが書いた文章であり、徳さんの痕跡は、読者にはわからない。当たり前のことだ。だが、本書の中には、二人の声が保存されている。小説には残らなかった徳さんの言葉が(イズミの記憶を通して)、この本に、二人の会話として残っている。僕が何度も本書を読むのは、彼らの会話を聞いていると、なぜかちょっとだけ元気になるからだ。読書というのは必ず一人になるものであるが、ページをめくれば、イズミと徳さんが尽きぬ会話を続けながら、僕を待っている。そう感じるのである。

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