世の中ラボ

【第124回】小池百合子はモンスター?

ただいま話題のあのニュースや流行の出来事を、毎月3冊の関連本を選んで論じます。書評として読んでもよし、時評として読んでもよし。「本を読まないと分からないことがある」ことがよく分かる、目から鱗がはらはら落ちます。PR誌「ちくま」2020年8月号より転載。

 7月5日の東京都知事選で予想通り、小池百合子知事が再選された。得票率59.7%。圧勝といえるだろう。
 ところで都知事選の直前(5月30日)に出版された、石井妙子『女帝 小池百合子』が20万部のベストセラーになっている。著者は一躍時の人となり、新聞、雑誌のインタビューに引っ張りダコだ。SNSも絶賛の嵐。特に「リベラル系男性論客」の激賞ぶりはスゴかった。せっかくなのでツイートの一部を紹介しておく。
 事実が虚飾をはいでいくサスペンスのようなノンフィクションです。(略)都知事選に向けてぜひにとお勧め。(参院議員・有田芳生)
「小池百合子」という人物の実像を描き切った傑作。都知事選までに、少しでも多くの都民がこの本を読み、「女帝」の正体を知るべきだと思う。(弁護士・郷原信郎)
 あまりに面白い。東京に住む者にとっては恐怖。(略)虚無を隠し通す冷酷な手法の数々が今に続いている。(ライター・武田砂鉄)
 石井妙子氏は3年半の取材、百人を超える証言を集め、小池が長年、隠してきた経歴にメスを入れた。(略)本書はプロによる瞠目すべき仕事だ。(弁護士・海渡雄一)
 すべてひっくるめて非常に面白かった。都民必読。できれば投票日前に。ぜひ。(コラムニスト・小田嶋隆)
 震えながら読んでいます。石井妙子さんの丹念な取材にこれこそジャーナリストだと感動します。(劇作家・鴻上尚史)
 毎日新聞に書評が掲載されました。政局の問題だけでなく、人間の「業」に迫るノンフィクションです。(政治学者・中島岳志)
 都知事選前だったことを差し引いても、こんだけいわれりゃ読もうかなって思いますよね。しかし私の率直な感想は「何が選挙前に読め、よ。だから選挙に負けるんだよ」だったのだ。

頑張り屋か上昇志向か
 その前に、別の本から読んでみよう。大下英治『挑戦 小池百合子伝』(以下『挑戦』)。『女帝 小池百合子』(以下『女帝』)も参考文献にあげているオーソドックスな評伝である。
 小池百合子は1952年7月15日、兵庫県芦屋市に生まれた。父の勇二郎は戦後、重油の卸業やガソリンスタンドの経営などに携わってきた人物。「女は手に職が必要だ」と母にいわれて育った小池は六五年、神戸のお嬢さん学校・甲南女子中学に入学する。この頃から英語で身を立てたいと考えていたが、アポロ11号月面着陸の同時通訳を見て、とても無理だと諦めた。
 ところがある日、新聞で「国連の公用語に、アラビア語が加わる」という記事を見つける。中東とつながりのある父は、かねて「日本人はアラブの国々のことを知らない」と嘆いている。
 エジプトに留学して、アラビア語をマスターしたい!
 両親も賛成し、71年9月、入学したばかりの関西学院大学社会学部を退学して、小池はカイロに向けて出発した。
 だがカイロ大学では、アラビア語ができなければだめだといわれて門前払い。カイロ市内の「アメリカ大学東洋学科」のアラビア語習得コースに入学した。エジプト人未亡人の家で下宿した後、大学の寮に移り、観光ガイドのバイトで学費を稼いだ。
 72年6月、カイロ大学にアラビア語を勉強してきたと伝えると入学が許可された。〈百合子は、アメリカ大学の寮を出て、日本人女性といっしょに住むことにした。/それを機会に、両親に手紙を出した。/「アルバイトもしっかりできるようになりました。もう、送金はいりません」/それ以後、仕送りはしてもらわず、授業料も生活費も、帰りの航空運賃も自分で出すことになる〉。
 行動的な頑張り屋さんの女の子って、感じですよね。
 そこで『女帝』の出番となる。はい、これが書き出し。
〈その人はひどく怯(おび)え、絶対に自分の名が特定されないようにしてくれと、何度も私に訴えた。同じような言葉をこれまでに、いったいどれだけ耳にしたことだろう〉。いきなりホラーモードである。そして〈彼女のことを古くから知るというその人〉の独白が続く。
〈なんでも作ってしまう人だから。自分の都合のいいように。(略)彼女は白昼夢の中にいて、白昼夢の中を生きている。願望は彼女にとっては事実と一緒。彼女が生み出す蜃気楼(しんきろう)。彼女が白昼見る夢に、皆が引きずり込まれてる。蜃気楼とも気づかずに〉。
 一種「決めつけ」ともいうべきこの不気味な証言にひきずられる形で、読者は先を読み進めることになるのである。
「その人」とは、エジプト留学時代、小池がルームシェアしていた早川玲子(仮名)。小池の「学歴詐称疑惑」について、著者に手紙をくれた女性である。手紙にはこうあった。
〈小池さんがカイロ・アメリカン大学に、正規の学生として在学していたかは不明と言えます。カイロ大学は一九七六年の進級試験に合格できず、従って卒業はしていません〉。
 これがどうやら、小池の経歴に決定的な疑問を投げかける「爆弾発言」であるらしい。カイロ時代の曝露話は微に入り細を穿っており、人物評価も手厳しい。〈百合子さんは仕草や表情が豊かで、相手の気をそらさない。目を大きく見開いて、じっと上目遣いに相手を見る。(略)カイロでは男性たちにとってアイドル的な存在だった〉。勉強している姿は見たことがなく、アラビア語もあやしい。「ある国際関係の専門家」も証言する。〈あの小池さんの意味不明な文語を聞いて、堪能、ペラペラだ、なんて日本のマスコミは書くんだから、いい加減なものだ。卒業証書なんて、カイロに行けば、そこら中で立派な偽造品が手に入りますよ〉。
 だから何?って感じよね。政治家になってからはどうか。
 環境大臣時代の実績を、『挑戦』は環境省事務次官だった炭谷茂や、長年小池とともに歩んできた秘書の中山恵子らの証言から描いている。特定外来生物の指定。京都議定書。水俣病患者認定訴訟で国が敗訴した後は、異例の私設懇談会を設けて報告書をまとめさせ、アスベスト健康被害問題では、前例のないスピードで健康被害の救済に関する法律を成立させた。炭谷は〈ここまで迅速にできたのは、小池大臣の行動力があったからだ〉と証言する。
『女帝』はそこにも茶々を入れる。〈小池にとって水俣問題は関心の持てない事柄だったのだろう。それは環境省にとっても好都合だったはずだ〉。〈水俣にもアスベストにも無関心な小池は、クールビズ、イフタールに続いて、「風呂敷」に入れあげていた〉。
 肝心なところはおろそかにする無能で嘘つきで目立ちたがり屋の嫌な女。それが『女帝』全体を貫く小池百合子像である。

いくらなんでも予断がすぎる
 私は小池百合子の政策も思想も支持していないし、『挑戦』がいうほど彼女が卓越した政治家だとも思っていない。しかし、であればこそネガティブな証言だけを集めてモンスターのような小池百合子像に仕立て上げていく『女帝』の手法はフェアとはいえず、ノンフィクションとしての質が高いとも思えない。
 とりわけ問題なのは、この本がきわめて質の悪い予断に添ってストーリーを組み立てている点だ。著者がことさらこだわるのは小池の頬のアザである。冒頭近くでいわく。〈彼女は重い宿命を生まれた時から背負わされていた。右頬の赤いアザ――〉。
〈アザのことなんか、まったく気にしていない〉し、〈百合子ちゃんはすごく前向きだった〉という同級生の発言を受けて著者は書く。〈この言葉を聞いた時、私は小池がいかに孤独な状況にあったかを察した。アザをまったく気にしていない。そんなことがあるだろうか。気にしていないように振舞っていただけだろう〉。
 16年の都知事選で自民党系候補者の応援に立った石原慎太郎は〈大年増の厚化粧がいるんだよ。これが困ったもんでね。俺の息子も苦労しているんだ〉とブチ上げた。世間は非難囂々。小池は生まれつきの頬のアザを化粧で隠しているのだと語った。
 そして『女帝』は書く。〈小池はこの時を、待っていたのかもしれない。彼女の人生において、ずっと。そして、ついにその日を、その時を、迎えたのだ。生まれた時に与えられた過酷な運命。その宿命に打ち勝つ瞬間を、ようやく摑んだのだった〉。
 いくらなんでも予断がすぎる。対象が誰であれ、ひとりの人物像を描く上で身体上の欠陥を起点にするのは完全にルール違反だ。
 女性権力者には常に予断がついて回る。
 歴史上の女性権力者を論じた原武史『〈女帝〉の日本史』は、中世の称徳天皇(=孝謙天皇)以降、江戸時代まで女性天皇が登場していない理由を、後世になって負のイメージが流布されたためだと述べている。徳川時代の『列女伝』は〈女が政治をする、あるいは権力を握ると、その国は滅ぶ〉という説を広めた。そして〈権力をもった女性が否定的に語り継がれていく場合、非常に淫乱な女だったという話が再生産されるわけです〉。
 小池百合子には男性がらみのスキャンダルが見つからない。それでも〈細川(註・護熙)の隣に、小池はミニスカート姿で寄り添った。/キャスター時代から、彼女は脚を見せることを好み、ひとつの売り物としてきた〉、〈彼女は「女」を前面に出して戦っていた〉(『女帝』)とは書かれるのである。
 もし小池百合子の暗部を暴くのであれば、いつどんな経緯で彼女は日本会議に入って後に抜けたのか、関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式の追悼文送付を見送った背景には何があったのかなど、政治家としての本質にかかわる部分を追及すべきではなかったか。過去がどうであろうと、有権者が見ているのは現在の小池百合子だ。このくらいの女性ならいくらでもいる。モンスターでも何でもない。

【この記事で紹介された本】

『女帝 小池百合子』
石井妙子、文藝春秋、2020年、1500円+税

今回の都知事選の前に出て「学歴詐称疑惑」が話題になった評伝。世評は高く、小池嫌いの読者には受けるだろうが、小池本人をはじめキーパーソン(細川護熙、小沢一郎、小泉純一郎ら)に取材していない、証言者の声を検証せずに「事実」として伝える、週刊誌の記事に頼りすぎ、類推や憶測が多いなど、ノンフィクションとしては疑問も多い本。仮に小説だとしても、悪意が強すぎる。

『挑戦 小池百合子伝』
大下英治、河出書房新社、2016年、1600円+税

 

小池が前回の都知事選に勝ったタイミングで出た評伝。『小池百合子の華麗なる挑戦』(2008年)の改訂版で、今回の都知事選直前に出た同著者の新刊『小池百合子の大義と共感』(2020年)も、半分以上は同じ内容。小池の政治家としての問題点にはふれず、周囲の軋轢と戦う姿を褒めちぎっている点では鼻白む提灯評伝だが、なぜ彼女がここまで支持を集めているかは理解できる。

『〈女帝〉の日本史』
原武史、NHK出版新書、2017年、900円+税

古代から現代まで、日本には女性権力者を是とする文化がなぜ育たなかったのかを探った本。道鏡とのスキャンダルで有名な孝謙(称徳)天皇、北条政子、日野富子ら、過去には実権を握った女性もいたが、秀吉の正室・淀殿が豊臣氏を滅ぼしたのを見た徳川家康は、女が権力を握るのを恐れて御台所を置かなかった。女性政治家が少ない今日の日本の源流を知る上でも興味津々。

PR誌ちくま2020年8月号

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