昨日、なに読んだ?

File44.新しい小説を考えるときに読む本
高橋源一郎『今夜はひとりぼっちかい? 日本文学盛衰史 戦後文学篇』、村田沙耶香『地球星人』

紙の単行本、文庫本、デジタルのスマホ、タブレット、電子ブックリーダー…かたちは変われど、ひとはいつだって本を読む。気になるあのひとはどんな本を読んでいる? 各界で活躍されている方たちが読みたてホヤホヤをそっと教えてくれるリレー書評。 【坂上秋成(小説家/批評家)】→→北村早樹子(歌手/文筆家/女優)→→???

 高橋源一郎が2001年に刊行した著作に、森鷗外や田山花袋や石川啄木といった過去の文豪をキャラクター化したパロディ小説『日本文学盛衰史』がある。文豪たちがアダルトビデオやネット掲示板に触れるハチャメチャな展開が心地いい傑作だ。
 その「戦後文学篇」として、今年『今夜はひとりぼっちかい? 日本文学盛衰史 戦後文学篇』(講談社、以下、『ぼっち』)が刊行された。当然、前作の大ファンである俺は興奮しながら読み進めたわけだが、そこにあったのは俺が予想していた「小説」とはまったくの別物だった。『ぼっち』は小説という体裁をとってはいるが、実際はそこに、評論やエッセイがかなりの分量で挿し込まれた、奇妙な一冊だったのだ。
 この本は一篇の物語を用意するのではなく、「戦後文学」から東日本大震災までを射程に、断片的なテクストを並べていくような形式になっている。しかし、何故高橋さんはわざわざそんな面倒なことをしたのだろう?
 俺は直感的に、ここには重要な意味があると思った。おそらく、高橋さんはこの書き方を選択したんじゃない。単に、この書き方しか残っていなかったのだ。2018年現在において、広い射程で文学をとらえようとする時に、小説という形式が耐えられなくなったのだ。この本を書いた時の高橋さんには、自己解説として評論やエッセイを混ぜ込むことでしか、もはや文学を語る道はなかったのだ。
 これは結構つらい話で、2001年頃には通用していた(少なくともイケると思われていた)文学の形が、あっさり2018年には無効化されてしまったということでもある。物書きをやっている人間からすればなかなかに凹む話だ。とはいえ、「しょんぼりしました」とだけ言っているわけにはいかない。これまでの「ブンガク」が機能しなくなってるなんてのははるか昔から言われてきたことで、だったら新しい環境に適応した小説とて少なからず生まれているはずなのだ。
 そう考えた時に、俺は刊行されたばかりの村田沙耶香『地球星人』(新潮社)のことを思い浮かべていた。
『地球星人』の主人公・奈月は魔法少女でポハピピンポボピア星人で、小学生の時に同じく異星人の由宇とセックスして大人に怒られて、成長して三十四歳になってからも、人間を繁殖させるための「工場」として世界を捉えていて、一切身体の関係を持たないことを条件に夫と結婚して暮らしている。この時点でヤバい設定全部乗せって感じだが、大人になってまともな地球の人間として生きている由宇が、奈月とその夫に洗脳されるかのように再び自分をポハピピンポボピア星人だと思い込んでいく流れには狂気が凝縮されていて、作者の力量を見せつけられた。
 さらに言えば、読み進めるうちに俺たち読者=地球星人の価値観の方がおかしくて、奴らポハピピンポボピア星人の方に正義があるんじゃないかという気持ちになってくる。そうした読者を攪乱させる筆運びは流石の一言につきる。
 けど、そうした視点とはまったく別に、俺はこの本を読みながら、アクセルとブレーキのことを考えていた。優れた小説にはリズムがある。時にアクセルを踏んで物語や文体を加速させつつ、暴走しないように適宜ブレーキを踏み、展開を調節することで美しいリズムが生まれてくる。じゃあその観点で『地球星人』はどうかというと、こいつは端的に言えばブレーキがそもそも備わってないような小説だ。アクセル全開でひたすら一直線に突っ走るF1マシンみたいな作品だ。当然、リズムが悪い部分も出てくる。ラストの人肉を食べるシーンはいささかやり過ぎという感じがした。しかしそれでもなお、この小説はとてつもない解放感に満ちている。リズムとかルールとか伝統とかどうでもよくって、伝えるべきテーマと書いてみたいシチュエーションがひたすら狂喜乱舞するような造りがもたらすドライヴ感は圧倒的だ。
 読み終えた時、俺は『ぼっち』を受け止めた上でいま何を書くべきなのかが、少し分かった気がした。俺たちはきっと、機能しない部分が出てきたとしても、自分たちで環境を作らなくてはならない。アクセルとブレーキのバランスだけを考えるのじゃなく、自分で車を作って、それが走る様を見せつけてやらなければならないのだ。
 もちろん『地球星人』のようなやり方だけが新しい小説として正解というわけじゃない。けど作品のどこかに、いま多くの人、多くの書き手が感じている文学の窮屈なあの感じを消し飛ばすような「自由」を潜りこませなければ、『ぼっち』に表れてた高橋さんの危機感の先には行けないだろう。そしてこの「自由」を形にできるかどうかで、小説という形式の未来は変わっていくはずだと、そんな風に俺は思っている。

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