昨日、なに読んだ?

File49.夢を見にくいこどもに話しかけようかなと思った時に読む本
ジュール・ルナール『にんじん』

紙の単行本、文庫本、デジタルのスマホ、タブレット、電子ブックリーダー…かたちは変われど、ひとはいつだって本を読む。気になるあのひとはどんな本を読んでいる? 各界で活躍されている方たちが読みたてホヤホヤをそっと教えてくれるリレー書評。 【雁須磨子(漫画家)】→→吉川浩満(文筆家)→→???

 私の両親は若くして結婚して、母は二十歳そこそこで二人の娘を産んだ。
 街のショッピングセンターのレストランで両親は働いて、子供達はショッピングセンターの中に放流されて一日を過ごす。
 私はだいたいゲームコーナーか本屋のまんがコーナーに入り浸っている。その頃は本屋の立ち読みが今より自由だった。楽しかったな。でもなかなかしんどいことも多かった。

 そんなくらしの中で、いいことだと思うけれど親は私たちにとても厳しかった。今にして思えば若い二人が必死に生活しつつ二人も子供を育ててるのでまあしゃあない。家は裕福とはとても言えなかった。
 おかあさんはヒステリーだな、と思っていたし、理不尽な八つ当たりだって事細かに覚えている。父親は面白いほど口をきかない。そのころは姉も私に厳しかった。
姉の機嫌をとって、母の機嫌をとって、しかし全くとりきれず、早くどうにかなんとかなりたいとたくさん考えた。
 小学校5年生のときに真剣に家を出たい(早い)と思ってアルバイトがしたいなと思ったけど、当たり前だけど小学生のアルバイトなんて新聞配達ぐらいしかないし、1ヵ月配達して5、6千円ぐらい、と聞いてそんなんでは1年働いてもダブルラジカセぐらいしか買えない、って思ったのを覚えている。朝も起きられる自信ない。

 反抗期だし気難しいし親のことを可哀想だと思ってしまうことを覚え始めた頃で何もかもが気に入らない。こうなると好きな読書もしんどい。
 楽しくてほがらかでまさかのラッキーが降りかかるような話はあんまり読めなくなった。読んでも主人公に対する嫉妬心がメラメラと湧き上がる。いいなあってなる。そしてそれが嫉妬だなんて子供心が傷付くのでとても信じたくない。
 でも悪い奴が成功したりほくそ笑んだりする話も気が悪い。
 物語は私と違う人生だからつらいなとかよくわからないことを考えていた。
 どうせなら遠すぎる話のほうがいいかなと考えて海外の話を読もうかなってなって、廃品回収について行って(なんかワードがパンチ効いてるけど、その頃は割と普通の感じのことだった。リヤカーで町内会のおじさんおばさんと家々を回る)、もらってきて読んだのがルナールの『にんじん』(岸田国士訳、岩波文庫)だった。

 主人公のにんじんが、親や兄弟に自分だけだいぶつらく当たられて自分自身も気難しくて性格が悪い。
 悪くもなる。にんじんは頭が良いのだ。この母親はおそらく病気だ。父親のルピック氏も卑怯者だ。そういうふうに書いてあることが嬉しかった。にんじん自身が偏屈なことも。
 街のみんなもこの家で行われているいじめを知っていて、時々は優しい。みんな知ってるんだなって思った。
 読みながら、私はこいつ(にんじん)が、早く救われて欲しい、早く救われて欲しいって願う。小公女みたいに。窓からインド人が入ってきて早くこの意地悪な母さんがぎゃふんと言えって思う。
 でも同時にどうせ救われるんでしょうねっとも思う。どうせね。ああでも挿入されるふわふわした詩的で残酷な描写に、にんじん途中で死ぬかもしれんと不安にもなる。しかも親のせいとかでもなく事故とかで。そんな終わり方しそうって気持ちになる。

 寄宿舎では急にBL味のあるエピソードも入っている。にんじんの気持ちもよくわかるし、すごくときめくので読んで欲しい。
 名付け親のおじさんとのエピソードも、安心できて嬉しい。

 ネタバレするとにんじんは死なない。でもたいして救われもしない。
 ルピック氏は言い放つ。「仕方ない、母さんも兄弟も何も変わらない、お前は大人になるしかない。大人になって私たちを捨てるのはお前の自由だ」こんな感じのこと。
 ああこれこれ。これ。
 その時その瞬間の自分にはすごくいいことだった。
 世の中には絶望の物語にしか救われないものもあると思う。
「ほら、目を上げれば扉はそこにいつでも開いてるんだよ」とか言われても、自分の時だけ閉まるんじゃないかと思うし、大抵は間に合わない。
 間に合わないような怯えに満ちてる。
「周りは変わらない! 救われないぞ! 開いてるドアはラッキーじゃみつからない。お前が賢く変わらないと」
 ほんとやん。と思えてよかった。それからにんじんはとうとう母親への不満をぶちまけてしまう。
「母親がぼくを愛してないしぼくも母親を愛してない!」
 これにルピック氏が「私があの女を愛してるとでも思うのか?」と寄り添ってくるのは読んでて頭にくるのだが、にんじんの気持ちになればそれも嬉しいのかな。私は悲しかった。

 その時も泣いたと思うんだけど、そんなん読んで泣いてる子供の自分を思えばまた涙腺もあつくなる。
 何か声をかけてあげたい。でも今の自分にはその頃の自分にかける言葉が見つからない。怖くてとても。
 人間じゃ無理。本じゃないと、本の言うことなら聞きますけどみたいな子供に、それでも何か言ってあげて軽蔑されるしかない。
 絶望だけに寄り添っていてもよくないけれど、あてのない楽観もより闇を深くしてしまう。
 肝心なのはバランスでしかないということを。

 そういう話いっぱいあるかなと思って色々読んだけど、ここまでどうにもならないよってそのまま書いてあるものには(戦争などの異変時物以外では)なかなか会ってない気がします。

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