加納 Aマッソ

第38回「And I love car」

  車はあくまでも 快適に暮らす道具 
  車に乗らないと いけないワケではないぜ イエー

 ほどよく力の抜けた声で奥田民生は歌う。明るくこう続ける。

  だけど好きなんだ いいだろ こんなにも 愛しているよ
  And I love car この気持ちを 歌うんだ 君と僕の歌を
             (奥田民生『And I Love Car』)

 テレビCMに起用された曲の中で、これほど一瞬で商品に好意を持たせてくれるものはなかった。車って、いいな。車を好きな大人って、なんかカッコいいかも。20歳でこの曲を聴いてからというもの、今までなんとも思っていなかった車が急に魅力的に感じられるようになった。それはまるで、視界に入っていただけのクラスメイトが突然キラキラして見える恋の始まりのようだった。私も車を運転したい。私もクールにキメて、何を言ってるかわからない勢いだけの洋楽をかけてドライブしたい。サングラスをかけて、片肘を外に出したりなんかして。できれば場所は、映画に出てくるようなアメリカの一本道。快晴の中、サンフランシスコやロサンゼルスの海岸沿いを赤い車でかっとばす。うわ〜!考えただけでかっこいい。イケてる。And I love car。そんな憧れを抱いたまま、奥田民生のように心から車を好きな大人になっていきたかった。

 しかし理想はあくまで理想。何を隠そう、実際の私は車に乗るのが大嫌いである。もうとにかく酔う。乗って5分もしないうちに必ず酔う。外の風景を楽しむ余裕などなく、いつも目的地までずっと少しでもラクになる呼吸法を探っている。だけどスーハーもスゥーーーハァーーーも何ら効果がない。「はやく着け」と願うだけの、最悪の時間である。
 乗車中にかけられたくない言葉第3位は「酔うと思うから酔うんだよ」。これは本当に、うるさい。私はどうしたって酔うのだ。たとえ故郷の母を想おうが、好きなスイーツのことを考えようが、他のどんな思考が独占していても気分が悪くなるのは変わらないのだ。それが車酔いをしない人間には腹立たしいほど伝わらない。まるっきり適当な精神論を持ち込んできて、こちらの気持ちにこれっぽっちも寄り添わない。
 第2位は「自分で運転するようになれば酔わないよ」。うるせえ。私は今気分が悪いのだ。もし自分が運転するとしたら、なんて未来の話をできる余裕はない。奥田民生? 知らない。私は今気分が悪いのだ。ほっておいてくれ。
 ぶっちぎりの第1位は、「中国とアメリカも雲行きが悪くなってきましたねぇ」。助けてくれ。勘弁してくれ。これは本当に困る。最近メディアに出させてもらう機会が増え、嬉しいのと同時に困るのが、タクシー利用の増加だ。私は車の中でも特にタクシーがダメで、できることなら電車で帰りたいが、終了時間の都合上そうもいかない。さらに運を持ち合わせていないのか、たいていおしゃべりのおじさんにあたる。家までそっとしておいてほしいのに、小心者の私は「静かにしてもらえませんか」も「こっちの雲行きのほうがやばいです」も言えず、次々に繰り出させる世間話に「はあ」だの「へえ」だの吐息だけの相槌を打ってしまう。「タクシー使うお客さんも減っちゃってね、東京で稼げないから、もう地元に帰ろうと思ってるんですよ」うわ、ウソやろ。身の上話まできたやん。ちょっとちょっと。「コロナでこんな状況になってからね、かみさんに仕送りもできなくてね」やめてよ。吐き気がしてるのに、心も沈むんですけど。「田舎帰って、またタクシーやろうかなって思ってるんです」田舎にだって、車酔いする人きっといますからね。ねえ、おじさん。「なんの取り柄もないですけど、昔っから、車の運転だけは好きだったんですよ」……And I love car。

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